アメリカにおける非正規メキシコ移民と在外投票
―「接触が難しい人々」の政治行動を可視化する新たな調査法―
発表のポイント
- 本研究では、第二期トランプ政権により強制送還の対象とされている、非正規のメキシコ移民(通常、不法移民と称されることが多い)が政治参加についてどのような意見を持っているのかを調査しました。
- 非正規移民が、移住先の国や母国の政治をどのように捉え、どのように関与しているのかについては、研究が発展途上にあります。アメリカで選挙権を持たない非正規移民は、母国メキシコの在外投票を通じて自身の声を政治に反映させることができます。しかし、強制送還を恐れて身元を伏せる傾向がある非正規移民は「接触が難しい人々(hard-to-reach populations)」です。このことが、投票参加の実態についての研究の発展を妨げてきました。
- 本研究は、非正規移民を対象に回答者主導型サンプリングを用い、在米メキシコ移民による母国メキシコの在外投票への参加の実態を明らかにするため、2023年にアメリカ・イリノイ州で大規模調査を行いました。
- 在外投票は、在外市民向けの有権者身分証の取得、選挙ごとの有権者登録、投票の3段階を経て行われます。調査の結果、次の4つの要因が投票参加へ影響を与えていることがわかりました。①選挙管理機関から公式の選挙情報を得ている場合、また教育水準が比較的高い場合には、いずれの段階においても投票参加が促される、②アメリカ政府への信頼感が強い人ほど、すべての段階で投票率が高まる、③メキシコ政府への信頼感が強い場合には、有権者身分証の取得の段階のみで参加が促される、④自分の投票が意味を持つと強く感じている人ほど、有権者身分証を取得する、です。
- 本研究は、新たな方法を用いて、非正規メキシコ移民の政治行動を明らかにした先駆的な試みです。現在、日本を含む先進諸国で移民問題の政治的重要性が高まる中、本研究は移民の政治行動に対する理解を深める上で大きな貢献となります。
早稲田大学政治経済学術院の高橋百合子(たかはし ゆりこ)准教授、関西大学総合情報部の宋財泫(そん じぇひょん)准教授、同志社大学法学部の飯田健(いいだ たけし)教授は、アメリカに滞在する非正規メキシコ移民が、在外投票を通して母国メキシコの政治にどのように関与しているのかを明らかにしました。世界中で移民人口が増加するにつれて、近年、在外投票制度(※1)へ学問的関心が高まりつつあります。しかし、非正規移民は流動性が高いため、その人口動態や政治行動について正確なデータを入手することは困難です。とりわけ、強制送還を恐れて身元を明かすことを控える非正規移民は、「接触することが難しい人々(hard-to-reach populations)」であるため、これまで体系的な研究は行われてきませんでした。本研究は、回答者主導型サンプリング(Respondent-Driven Sampling: RDS)(※2)という手法を用いて、米国に滞在する非正規メキシコ移民の政治参加の実態を明らかにした先駆的な研究です。
本研究は2025年9月5日に「The Journal of Race, Ethnicity, and Politics」に掲載されました。
論文名:Transnational Political Participation of Undocumented Mexican Immigrants in the US: Respondent-Driven Sampling with the Hard-to-Reach Population
(1)これまでの研究で分かっていたこと
これまでの研究では、在外投票は国内投票と比べて、政党や候補者に関する情報源が限られていることや、有権者登録の手続きや郵便投票の手間が煩雑であることから、投票コストが高いと考えられてきました。さらに、国外における政党の積極的な選挙キャンペーン、市民社会組織との接触、所得や教育水準の高さ、母国語によるメディアの利用可能性などが、在外投票のコストを低減し、投票参加を促す要因であると指摘されてきました。しかし、従来の研究は、データの入手が困難な非正規移民を十分に対象としてこなかったため、得られた知見が移民一般に当てはまるかどうかは必ずしも明らかではありませんでした。
(2)今回の研究で新たに明らかになったこと
本研究は、アメリカにおける非正規移民全体の約30%を占めるメキシコ移民に焦点を当てました。Pew Research Centerによれば、2022年時点でアメリカの移民全体に占めるメキシコ移民の割合は約23%であり、そのうち約38%が非正規移民でした。メキシコは2000年の民主化以降、国外在住の自国民に在外投票権を拡大してきましたが、在外メキシコ人の約97%が居住するアメリカにおいては、投票率が徐々に上昇しているものの依然として低く、2024年の大統領選挙では有権者人口の約0.5%未満にとどまりました。移民の中でも、非正規移民はアメリカで投票することはできない一方で、メキシコの在外投票には参加可能です。アメリカで滞在資格を持たないまま居住する非正規移民は、アメリカにおいて多くの公共サービスや情報、教育、就労機会へのアクセスが限られています。このように、非正規移民が日々直面するさまざまな制約は、アメリカだけでなく、参加の権利が認められている母国メキシコの在外投票へ参加することも難しくしている可能性があります。
この可能性を検証するため、2023年3月から4月にかけての2か月間、メキシコ移民が長年コミュニティを築いてきたイリノイ州の都市部と農村部で、回答者主導型サンプリング(RDS)にもとづく調査を実施しました。非正規移民は強制送還を恐れて身元の開示を避ける傾向があるため、調査会社を通じた従来型のサンプリング方法には限界があります。RDSは、非正規移民同士の信頼ネットワークを通じて参加者を募り、さらに各参加者がネットワークに含まれる確率の逆数(inverse inclusion probability)で重みづけを行うことで、サンプルの代表性を高めることが可能です。加えて、研究者は調査参加者の名前や住所といった個人情報を収集することなく回答者をリクルートできるため、非正規移民のプライバシー保護にも有効です。この手法を用いた結果、502名の非正規移民をリクルートすることができました。
メキシコの連邦選挙(大統領・上院議員)における在外投票は、①在外市民向けの有権者身分証の取得、②選挙ごとの有権者登録、③投票(郵送・インターネット・在外公館)の3段階を経て行われます。RDSによって収集したデータを用いて、この3段階における参加要因(図1)を分析した結果、以下の点が明らかになりました。
- アメリカ在住の非正規メキシコ移民は、選挙管理機関などメキシコの公的機関から選挙情報を得ている場合、また教育水準が比較的高い場合には、いずれの段階においても投票に参加する傾向が見られました。
- アメリカ政府への信頼感が強い人ほど、すべての段階で投票率が高まることが分かりました。これは、アメリカで選挙権を持たない非正規移民が、母国メキシコの選挙を通じて自身の声を政治に反映させようとしている可能性を示唆します。
- 一方で、メキシコ政府への信頼感が強い場合には、有権者身分証の取得(①)のみで参加が促されました。これは、母国政府への信頼にもとづく投票意欲が②・③の段階まで持続しないと解釈できます。
- 自分の投票が意味を持つと強く感じている人ほど、有権者身分証の取得(①)に積極的に取り組む傾向がありました。

(図1)本図は、Takahashi, Song, and Iida (2025)のFigure 2を日本語へ訳したものである。
(3)研究の波及効果や社会的影響
本研究は、これまで十分に注目されてこなかった非正規移民の政治意識や政治参加を、体系的に調査するための新しい方法を提示しました。この成果は、移民のみならず、その他の「接触が難しい人々」の意見や行動を研究する新たな道を開くものといえます。とりわけ、世界的に移民が増加するなかで、日本を含む先進諸国において移民問題は重要な政治課題となりつつあります。こうした状況を背景に、移民受け入れ国の住民が移民に抱く感情や認識に関する政治学的研究は進展していますが、一方で、新たな居住地で生活を始めた移民自身が政治をどのように捉え、どのように関与しているのかについては、依然として研究が発展途上にあります。今後、移民は受け入れ国だけでなく、出身国の政治や社会に対しても影響力を強めていくと考えられます。その意味で、本研究は移民自身の意見や行動をより体系的に分析する必要性、およびそのために有益な研究手法を示しています。
さらに、本研究から得られる知見は、学術的な意義にとどまらず、社会的にも重要な含意を持ちます。移民送出国の多いグローバルサウス諸国では近年、在外投票制度の整備が進み、国外に居住する自国民の選挙参加を拡大する動きが活発化しています。本研究の対象であるメキシコでは、総人口の約9.3%にあたる約1,180万人が国外に居住しており、その約97%がアメリカに在住しています(2022年時点)。こうした在外市民は送金を通じて母国経済に影響を与えるだけでなく、在外投票に積極的に参加することで政治的影響力も高めています。実際に、メキシコの中央および地方の選挙管理機関は、有権者の参加を促すため、候補者や政党の政策綱領に関する情報発信の手法を模索しています。メキシコを含め、国外に居住する自国民の数が増加している国々にとって、在外市民が母国の政治をどのように認識し、関与しているのか、またどのような政策が在外市民の選挙参加を後押しするのかを検討する上で、本研究は重要な示唆を与えるものです。
(4)課題、今後の展望
今後の研究課題は、本研究で用いたRDSを活用し、これまで十分に研究されてこなかった他の「接触が難しい人々」の政治意識や政治行動を明らかにすることです。たとえばアメリカでは、人種やエスニシティに基づくマイノリティ集団の投票率が低いことが、多くの先行研究で指摘されています。とりわけ、ラテンアメリカやカリブ諸国をルーツに持つ「ラティーノ」と呼ばれる有権者は、低投票率で知られています。しかし、なぜ彼らの多くが投票や有権者登録を行わないのか、また政党や候補者から動員される経験が乏しいのかについては、十分に解明されていません。このような人々は「政治的に不可視(politically invisible)」(※3)とされ、研究者が直接アクセスすることは困難だと考えられます。
その点で、RDSはこうした集団を調査する有効な手法となり得ます。ただし、政治的に不可視な人々が実際にネットワークで結びついているかどうかは不明であり、RDSをそのまま適用できるかどうかには課題が残ります。今後はRDSの改良を進めることで、これまで過少代表され、政治的に不可視とされてきた「投票しないラティーノ」について、理論的・実証的な両面から研究を深めていきたいと考えています。
(5)研究者のコメント
現在、政治学においてはサーベイ・データの分析が研究の重要な位置を占めるようになっています。本調査を通じて、既存のサーベイがどの程度の代表性を持つのか、非正規移民のように公式統計に現れない「接触が難しい人々」がどこまで含まれているのか、そしてその声がこれまでの研究に十分に反映されてきたのかを、改めて問い直す契機となりました。今後は、従来のサーベイで過少代表されてきたマイノリティ集団の政治意識や政治行動を体系的に解明するため、より適切な調査手法を構築していくことが重要な課題です。
(6)用語解説
※1 在外投票制度
在外投票制度とは、国外に居住する国民が、選挙の際に国外から投票できるように認める制度です。多くの国では、民主主義の発展に伴い、政治参加の機会を広げる一環として導入されてきました。具体的な方法としては、記入済みの投票用紙を出身国の選挙管理機関へ郵送する郵便投票、インターネットを利用する電子投票、自国の在外公館で行う在外公館投票などがあります。
※2 回答者主導型サンプリング(Respondent-Driven Sampling: RDS)
RDSは、非正規移民同士の信頼ネットワークを基盤に参加者を募り、さらに各参加者がネットワークに含まれる確率の逆数(inverse inclusion probability)で重みづけを行うことで、サンプルの代表性を高めることが可能となります。「接触が難しい人々」を調査する手法として、これまで社会学や疫学の分野で応用が進められてきました。
※3 「政治的に不可視(politically invisible)」
アメリカの投票行動研究では、多くの場合、公的データとされる有権者登録者名簿や、消費者リストに掲載された人々を対象にサンプリングが行われます。そのため、頻繁に転居する人や、有権者登録を行ったことがなく低所得層に属する人は、いずれのリストにも記録されず、研究から排除されやすい傾向があります。以下に示す重要な研究は、こうした人々を「政治的に不可視」と概念化し、政治学研究者が一層の関心を寄せる必要性を指摘しています。
Jackman, Simon and Bradley Spahn. 2021. “Politically Invisible in America.” PS: Political Science & Politics 54 (4): 623-9.
(7)論文情報
雑誌名:The Journal of Race, Ethnicity, and Politics
論文名:Transnational Political Participation of Undocumented Mexican Immigrants in the US: Respondent-Driven Sampling with the Hard-to-Reach Population
執筆者名(所属機関名):高橋百合子*(早稲田大学)、宋財泫(関西大学)、飯田健(同志社大学)
掲載日:2025年9月5日(Online First)
掲載URL:https://www.cambridge.org/core/journals/journal-of-race-ethnicity-and-politics/article/transnational-political-participation-of-undocumented-mexican-immigrants-in-the-us-respondent-driven-sampling-with-the-hardtoreach-population/25F3F10D14F9C27221F3869A2B7863E1
DOI:https://doi.org/10.1017/rep.2025.10018
(8)研究助成
- 研究費名:日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(B)
研究課題名:在米メキシコ移民の政治意識・政治参加:混合手法を用いた実証分析
研究代表者名(所属機関名):高橋百合子(早稲田大学)
- 研究費名:公益財団法人 村田学術振興財団 研究助成
研究課題名:在米メキシコ移民の政治文化に関する調査:定性的・定量的分析を用いた実証研究
研究代表者名(所属機関名):高橋百合子(早稲田大学)