発表のポイント
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軍事組織への市民の信頼と当該組織に対する文民統制の因果関係について、仮想シナリオを用いたオンライン・サーベイ実験を通じて検証しました。
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この実験において、武力紛争下で軍事組織が文民統制から逸脱したという内容の仮想シナリオを提示された参加者は、当該組織への信頼を有意に失うことが確認できました。
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ただし、こうした文民統制違反が信頼にもたらす影響の大きさは文脈依存的であり、非遵守の方向性(恣意的な行動、行動停止)、統制に関与する主体(首相、立法府)、そして実験参加者の属性(党派性)によって顕著な差異が検出されました。
民主主義の必要条件である「軍事組織による文民統制※の遵守」は、軍事組織に対する市民の信頼を規定する重要な要因であると考えられてきました。しかし、この主張は実証的根拠を欠いており、その分析枠組みも十分に整備されていませんでした。そこで、早稲田大学政治経済学術院 現代政治経済研究所の篠本創(しのもと そう)次席研究員による本研究では、改めて理論的整理を行った上で、仮想シナリオを用いたオンライン・サーベイ実験を日本で実施し、その因果関係を検証しました。その結果、武力紛争下で軍事組織が文民統制から逸脱したという仮想シナリオを見せられた実験参加者は、当該組織への信頼を有意に失うことが確認されました。ただし、こうした影響の大きさは、非遵守の方向性(恣意的な行動、行動停止)、統制に関与する主体(首相、立法府)、そして実験参加者の属性(党派性)によって顕著な差異が検出され、文脈依存的であることも明らかになりました。
本研究成果は、2024年5月16日にSage Journals発行の『Journal of Peace Research』誌にオンライン掲載されました。
論文名:Does the military lose public confidence without compliance with civilian control? Experimental evidence from Japan
(1)これまでの研究で分かっていたこと(歴史的な背景など)
政治的信頼は、現代の政治社会や民主主義制度と密接に関連しています。その広範な意義を踏まえ、なぜ、そしていかに一般市民が政治的組織(特に政府や議会)を信頼し、あるいはその信頼を失うのかという問いについては多くの研究者が取り組み、大きな成果をあげてきました。しかし、軍事組織に対する信頼の決定要因に関する研究は、国家安全保障や国際安全保障に関しても大きな含意を持つにもかかわらず、比較的低調なままでした。
こうした研究状況ながら、いくつかの潜在的なは提起されており(例:軍事組織のパフォーマンス、社会的美徳の体現)、軍事組織による文民統制の遵守もその一つとして挙げられてきました。文民統制は民主主義の必要条件であるため、この因果関係に関する分析は、市民が文民統制をどの程度重視しているかや、現代民主主義社会の安定性・持続可能性についての議論の深化にも寄与するものでもあります。この因果関係が実証的に検証されることはほとんどありませんでした。さらに、世論調査やサーベイ実験を用いた複数の関連研究により、現代の民主主義社会の市民は必ずしも民主主義の原則を堅持しているわけではないという調査結果が示されるなど、前述の因果関係についての主張とは緊張関係にあるような知見も現れてきました。そのため、市民の信頼評価が実際にはどのように形成されているのかを直接、実証的に検討することが必要となっていました。
(2)今回新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、新しく開発した手法
本研究では軍事組織に対する文民統制という要素に焦点を絞り、この原則の違反が軍事組織に対する市民の信頼にもたらす影響を調査しました。また、この効果が文脈依存的であるかどうか、具体的には非遵守の内容や統制に関与するアクター、実験参加者の属性によって差異が検出されるのかという点を検証しました。
こうした調査のために、本研究は、2022年11月に日本人(約3000人)を対象としたオンライン・サーベイ実験を実施しました。この実験では、参加者を無作為に5つのグループのいずれかに割り当て、グループごとに異なる内容の仮想シナリオを見せた後、各参加者の態度(例:軍事組織に対する信頼)を測定し、そこで得たデータを統計的に解析しました。この実験で用いた仮想シナリオは、米軍の後方支援のために海外派遣された自衛隊部隊の活動に関するものであり、では、この部隊の指揮官が、与えられた任務を賢明なものではないと考え、文民統制から逸脱する振る舞い(恣意的な行動もしくは恣意的な行動停止)をしたという記述が実験参加者に提示されました。さらに、自衛隊の統制への立法府の関与についても実験処置として操作しました。
この実験の結果、文民統制違反が発生したという情報を目にした参加者は、自衛隊に対する信頼を有意に失いました。しかし、得られた実験データの分析をさらに進めると、より複雑な結果、すなわち効果の文脈依存性が浮かび上がりました。第一に、自衛隊部隊の恣意的な行動停止は、恣意的な行動よりもはるかに小さな信頼低下しか引き起こしませんでした。第二に、国会の関与についての情報は、実験参加者の信頼評価に明確な影響を与えませんでした。この結果は、日本の市民が立法府による統制を重視していない可能性を示唆しています。第三に、実験参加者個人の政治的イデオロギーに起因するバイアスは観察されなかったものの、参加者個人の支持政党と統制アクター(首相)の所属政党が一致するかどうかによって信頼評価に差異が検出されました。
(3)研究の波及効果や社会的影響
本研究は、実証的に結論が出ていない問いを検証することにより、軍事組織に対する信頼のメカニズムの全容解明の一助となるものです。また、本研究におけるサーベイ実験により、市民の信頼評価が、これまで議論されてきたよりもはるかに文脈依存的であることを実証的に示しました。
本研究は民主主義を対象とする研究や社会的議論にも貢献するものです。ここで得られた調査結果は、確立した民主主義国である(はずの)日本の人々でさえ、文民統制という政治的原則、ひいては民主主義を必ずしも堅持しているわけではない可能性を示唆しています。これは現代社会における民主主義の安定性や持続可能性に関する不吉な兆候と言えるかもしれません。
最後に、本研究は、急速に防衛力を増強しつつある日本において、人々がその軍事組織の統制をどのように捉え、この組織をどのように評価しているかを理解する手がかりを提供することで、国家安全保障や国際安全保障のダイナミクスへの洞察を与えるものでもあります。
(4)課題、今後の展望
本研究にはいくつかの限界があり、その一つとして、実験デザイン上の瑕疵のために、軍事組織の文民統制違反が市民の信頼に及ぼす影響と、この組織の攻撃性がもたらす影響を分析上明確に区別することができなかった点が挙げられます。したがって、今後の研究では、この問題点を克服するような、より精緻な実験デザインを構想する必要があります。もう一つの限界は、政治的リーダー(首相)の所属政党と市民個人の支持政党の一致性が評価の差異を一般的に引き起こすのかという点については完全には立証できなかったことです。これは、シナリオのリアリティを確保するために、本実験では首相の所属政党を操作しなかったことに起因します。今後、国会の勢力図が変化し、この点に関する変更を加えたシナリオのリアリティが増した場合、そうしたシナリオを用いても本研究と一貫した結果が得られるかどうかを再度検討することが望ましいと考えています。
(5)研究者のコメント
文民と軍事組織の関係が持つ複雑性や政治的重要性は古くから認識されており、多くの人々の関心を集めてきました。しかしながら、この問題に関する議論はともすれば印象論に流されがちであり、客観的で検証可能なデータに基づく慎重な検討が不足してきました。本研究がこうした状況を改善する一助となれば幸いです。
(6)用語解説
※ 文民統制:政治家などの文民が軍事組織を統制するという原則。
(7)論文情報
雑誌名:Journal of Peace Research
論文名:Does the military lose public confidence without compliance with civilian control? Experimental evidence from Japan
執筆者名(所属機関名):Sou Shinomoto(早稲田大学現代政治経済研究所/日本学術振興会)
掲載日時(現地時間):2024年5月16日
掲載URL:https://doi.org/10.1177/00223433241231849
DOI:10.1177/00223433241231849
(8)研究助成
研究費名 :日本学術振興会 科学研究費助成事業 研究活動スタート支援
研究課題名:「軍事組織に対する市民の信頼と文民統制:サーベイ実験による実証研究」(JSPS KAKENHI Grant Number JP22K20110)
研究代表者名(所属機関名):篠本創(京都大学法学研究科[研究費取得時点])(早稲田大学現代政治経済研究所/日本学術振興会[論文採択・掲載時点])