2024年度開講科目早稲田大学ティーチングアワード
総長賞受賞
対象科目:産業組織論01
受賞者:遠山 祐太
本授業は、政治経済学部における中級レベルの科目として位置づけられ、1年次に必修として履修するミクロ経済学やゲーム理論を前提とし、主に2年生が受講する。履修者数は例年300人前後、多い年には上限の350人に達する大規模講義だ。内容は、ミクロ経済学の理論を応用し、市場における企業の行動を分析することに主眼が置かれている。
具体的には、企業がどのように価格を決定するのか、新製品をどの程度差別化すべきか、企業合併や市場への参入・退出といった中長期的意思決定をどのように考えるのかといったテーマを扱う。遠山先生は「現実における企業や会社の行動を分析する分野」と説明する。
授業は1回につき1トピックを基本とし、前回の内容を踏まえながら理論を積み重ねていく構成となっている。抽象的な理論にとどまらず、現実社会との接点を強く意識した設計が、この授業全体を貫くスタンスである。
モデルと現実を結びつけることで生まれる学びの実感
この授業は学生から「最高に面白い授業だった」と評価されている。その理由の一つが、理論モデルと現実の事象を強く結びつけている点にある。数理モデルだけで完結しない授業運営を、遠山先生は意識している。
産業組織論は本来、ミクロ経済学の数理モデルを用いた理論分析が中心となる分野である。しかし遠山先生は、「理論モデルだけで終わると、やはりどうしても、現実的にはどうなんだろうか?と思われる」と指摘する。そこで、授業では必ず実際の事例やデータ分析を紹介し、「今学んだ理論は、現実とも繋がっているんですよ」というメッセージを伝える構成にしている。
象徴的な事例の一つが、米国のIT企業による価格実験の紹介である。企業がサービス価格を設定する際、統計的手法を用いて需要関数を推定し、価格と売上の関係を分析した結果、「価格改定により収益を40%程度改善することができた」という実例を示す。抽象的な「需要関数」という概念が、実際のビジネス成果に直結することを示すことで、学生は理論の実用性を具体的に理解できる。
こうした「需要を推定する」という考え方を、より身近な例を通じて理解してもらうため、授業内ではアンケート実験も行っている。有名なお菓子である「きのこの山」と「たけのこの里」を題材に、両製品の価格を変えた場合に「どちらを購入するか(あるいは購入しないか)」を尋ねる仮想実験を実施する。学生の回答データから推定した需要関数を示すことで、消費行動が価格に反応すること、そして価格だけでは決まらないブランド価値が存在することを実感してもらう。
もう一つの重要な取り組みが、公正取引委員会で働くエコノミストによるゲスト講義である。企業合併の可否を判断する実務の現場で、「どのように経済理論であったり、はたまたデータ分析が使われているか」を直接聞く機会を設けている。寡占化の進行や価格上昇といった理論的懸念が、どのように政策判断へと落とし込まれているのかを知ることで、学問と社会の距離が一気に縮まる。
こうした構成により、学生は「方法論を学ぶ」段階から一歩進み、理論が社会を読み解く道具であることを実感する。その体験こそが、この授業を印象深いものにしているのだといえる。
双方向性を意識した大規模授業の工夫
300人規模の大教室で双方向性を確保することは容易ではない。本授業では、その課題に対する一つの解として、オンラインツール「Slido」を導入している。遠山先生は「大教室なので発言がとても少ないんですよね」と、従来の対面授業での限界を率直に語る。
Slidoには大きく二つの機能がある。一つは、教員から学生へ問いを投げかける投票機能である。数理的な概念を説明した後、「これを日本語で解釈するとどういったものとなるか?」と問いかけ、学生に平易な言葉で書かせる。学生の回答はその場で共有され、他者の表現を見ること自体が学習の機会となる。
もう一つが、学生から自由に質問を投稿できるQ&A機能である。「この数式のノーテーションってどういう意味でしょうか?」といった素朴な疑問から、「AIと独占禁止法」に関する発展的な問いまで、多様な質問が寄せられる。教員は話題の切り替わりや板書の合間に画面を確認し、「こんな質問があるので答えますね」と拾い上げる。
この仕組みは、単なる質疑応答にとどまらない効果を生んでいる。遠山先生が「ほどよい休憩時間みたいなものが生まれている」と語るように、100分授業の中に自然な緩急が生まれ、集中力の維持にもつながっている。質問に即答できない場合でも、後日Moodleのアナウンスメントでフォローするなど、学習機会を途切れさせない工夫がなされている。
このツールを用いることによって、学生の参加意識を高め、授業への心理的ハードルを下げている。この双方向性の設計こそが、大規模講義において「聞くだけ」で終わらせない学びを実現しているのである。



