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対談:渡部暁斗×谷地宙 オール早稲田でつかんだ五輪銅メダル
Thu 14 Sep 23
Thu 14 Sep 23
渡部暁斗 ×谷地 宙 オール早稲田でつかんだ五輪銅メダル
『早稲田スポーツ125周年記念誌』 Special Interview #6
北京2022オリンピックで銅メダルに輝いたノルディックスキー複合団体。1走:渡部善斗、2走:永井秀昭、3走:渡部暁斗、4走:山本涼太、バックアップの谷地宙は全員、早稲田大学スキー部の先輩後輩。「オール早稲田」でつかんだメダルだった。そのエース、 渡部暁斗と次世代を担う谷地宙が、今度はトークでバトンをつなぐ。
※2022年11月競技スポーツセンター発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より転載

北京五輪のノルディック複合男子団体メンバー。左から渡部善斗(2014年スポーツ科学部卒業)、永井秀昭(2006年人間科学部卒)、渡部暁斗、山本涼太
早稲田のスキー部には 「世界を目指す」意識がある
歴史をつないだ五輪団体メダル
「次は任せた」の思いと共に
──28年ぶりの五輪団体メダル、改めておめでとうございます。河野孝典コーチ(スキー部OB・1991年人間科学部卒)も含め、「オール早稲田での快挙」として話題になりました。実際に戦ったみなさんは、早稲田大学スキー部の先輩後輩でつないだメダル、という点はどう感じたのでしょうか?
渡部
過去のOB・OGから引き継がれてきた伝統が今も続いているのはすごく誇らしいですね。今回のメダルによって改めて歴史をつなげたこともうれしく思います。
谷地
素晴らしい先輩たちと一緒に五輪に出場することができてうれしいというか、心強いなと実感できた日々でした。その中で、現役学生として一番の後輩でしたので、とにかく全力でがんばる、ということを意識してやってきました。
──渡部選手はこれまでの冬季五輪で、2014年のソチ(個人ノーマルヒル銀)、20 18年の平昌(個人ノーマルヒル銀)と個人では連続メダル。今回も個人ラージヒルで銅メダルを獲得しました。一方、団体は2010年バンクーバーが6位、ソチが5位、平昌が4位と一つずつ順位を上げて迎えた北京五輪でした。大会に臨むにあたってのモチベーションはいかがでしたか?
渡部
五輪団体では段階を踏みながらもずっとメダルに届かず、W杯の団体戦でも4位という順位は多かったんです。自分がアンカーを務めることも多く、目の前で表彰台やメダルが遠のいていく瞬間をたくさん感じてきたからこそ、今回は「どうしてもチームで獲りたい!」という気持ちはありました。五輪のメダルがもたらすナショナルチームへの恩恵を自分が過去2大会で獲ってきたメダルで感じていましたし、チームで獲ることができれば、自分の競技力だけでなく、チーム全体として底上げされた証拠にもなる。そのことを証明したい気持ちもあって、今まで以上に強い気持ちを持って団体戦に臨みました。
──今の話にもありましたが、普段はアンカーが多い渡部暁斗選手が今回は3走でした。どのような狙いがありましたか?
渡部
コーチに聞いたわけではないので個人的な見解ですが、僕がアンカーのときは3走までに勝負が決まっている場合が多かったのは事実です。僕を3走に置くことで4走まで可能性をつなげる、という戦略だったのかなと。4走の山本涼太選手(2020年スポーツ科学部卒)にタッチする瞬間は、「あとは頼んだ! 任せた!」という気持ちでした。
──谷地選手は団体戦終了後、「先輩たちから多くのことを学んだ」と話されていました。その「学んだこと」とは?
谷地
たくさんありますが、やっぱり「諦めないこと」。これに尽きます。そして、いくつもの感情を同時に経験できた機会にもなりました。僕も当然、今回の北京五輪では団体メダルを一番の目標としてやってきたので、チームとしてメダルが獲れたことはとてもうれしかったし、感動もしたんですが、表彰式を見て、「あの場所に立ちたかった……」とも感じましたね。
──表彰式の後、日本でも人気を集めた大会マスコット「ビンドゥンドゥン人形」を渡部選手から谷地選手に手渡したシーンが印象的でした。
渡部
ビンドゥンドゥンが日本で盛り上がっていることは知らなかったですし、なにか特別な狙いがあったわけではないんです。ただ、僕は割とあのとき冷静で、日本チームのみんなが盛り上がるなか、パッと見て谷地選手がすごく寂しそうに見えたんです。今の話にあったような複雑な表情が見えて、思いつきですが「次はお前の番だぞ」という気持ちもあって渡しました。
谷地
その瞬間、もう惚れましたね(笑)。個人ラージヒルでの銅メダルでも感動しすぎて「かっこいいな」と思ったんですけど、団体戦のビンドゥンドゥンで完全に撃ち抜かれました。「次は自分が獲るんだ」という気持ちを持つことができましたし、もし次の五輪でビンドゥンドゥン人形のようなものがあれば、今度は自分が獲って、暁斗さんにお返ししたいです。

5大会連続出場の渡部は北京五輪の開会式での日本選手団の旗手に選出された
伝統が今も続いているのはすごく誇らしいです

渡部は北京五輪のノルディック複合で団体に加えて個人のラージヒルでも銅メダルを獲得

北京五輪で銅メダル獲得を喜ぶ団体メンバー。渡部(右から二人目)の右手に握られているのがビンドゥンドゥン
“世界を目指す”早稲田スキー部「考える文化」と「自主性」の伝統
──渡部選手は高校生でトリノ五輪にも出場。すでに第一線で活躍されていた中、どうして早稲田大学に進学されたのでしょうか。
渡部
実は大学に行くつもりはなく、高校卒業後は今も所属する北野建設でスキーをしたいと考えていました。そのことを北野建設の監督に話をしたところ、「スキー選手だけの人生ではないし、良くも悪くも大学は面白い場所だから進学した方がいい」という話をされたんです。そこで思い出したのは、祖父が早稲田の卒業生だったこと。その祖父から「昔は学生服に下駄を履いて通っていた」といった話も含め、いろいろと聞いていて面白そうな大学だなと思い、早稲田進学を決めました。
谷地
私の志望理由は、ジャンプとクロスカントリーのどちらにも実績のあるコーチがいたことです。ジャンプについては五輪出場経験もある一戸剛スキー部監督(1999年人間科学部卒)、クロスカントリーは藤田善也助監督(2007年スポーツ科学部卒・2012年スポーツ科学研究科博士後期課程修了・スポーツ科学学術院准教授)が教えてくれる点に魅力を感じました。あとは、渡部さんや荻原健司さん(1994年人間科学部卒)を始め、これまで日本の複合を引っ張ってきて下さった偉大な先輩たちが数多く在籍してきたこと。私が入学したときの4年生にも北京五輪で一緒に戦った山本涼太さんなど強い先輩たちがいたので、そういったトップ選手がどんな生活や練習をしているのかが気になって早稲田大学に決めました。スキージャンプだけでなく、クロスカントリー、アルペンスキー、フリースタイルスキーと、さまざまな選手がいることも刺激があってよかったですね。
──谷地選手の話にもありましたが、なぜ早稲田のスキー部からは複合に強い選手がずっと出続けているのでしょうか。
谷地
僕の想像ですが、早稲田のスキー部には「世界を目指す」意識があるからではないでしょうか。また、スキー部の基本方針として、自分の頭で考えて練習する、というものがあります。そういった「考える文化」というか、自由度が大きいからこそ自分で考えて競技に取り組む選手が多い。そのことが早稲田スキー部の複合がずっと強い理由じゃないかなと思っています。
渡部
谷地選手も言ったように、自主性が重んじられているところが早稲田の校風であり、コンバインド(複合)という競技の特性にも相まってフィットしているんじゃないかなと思います。ジャンプとクロスカントリーという、相反する2種目でバランスよく競技力を向上させていく上では、自分を律していないとなかなかそのバランスは取れません。その点、早稲田出身者はその「自由」の中で生き抜く術を自然と身につけているのかもしれないですね。

谷地は北京五輪の団体メンバー入りを惜しくも逃したが、個人ノーマルヒルで出場を果たした

北京五輪の個人ノーマルヒルで30位に終わるも、ジャンプでは5位とメダル圏内に
“均一化されない強さ”でさらなる飛躍と新たな挑戦を
──お互いを選手としてどう評価していますか? 渡部選手から見た谷地選手は?
渡部
谷地選手は……普通にいい選手です。ただ、均一化されたいい選手、という印象も受けます。谷地選手に限らず、今の若い選手はすごく真面目ですよね。情報量も増えた中、効率的に競技力を高めようとすると真面目にならざるを得ない部分もあるのだと思います。まぁ、うるさいOBとして言わせてもらうと、一つ飛び抜けたものが欲しい。競技力の部分ではなく、人間として「あいつ変だよな」という部分があると、それが一つのトリガーとなって競技力もドカンと向上したりするんです。自分に秘められた特徴・可能性みたいなものを探し出せると、選手としてもっと大成するだろうなと思いながら見ています。
──均一化されない強さが欲しい、と。
渡部
僕も昔は尖りまくっていました。でも、その尖りは年を重ねるとどんどん丸くなってくるものなので、今から丸くてどうするんだ? という感じです。若いのに丸くなっていたらつまらないよ、と。
今度は自分が獲って、暁斗さんにお返ししたい

W杯で好ジャンプを見せる谷地。日本代表の次代を担うことが期待されている
──谷地選手は渡部選手をどのように見ていますか?
谷地
今の話もそうですし、いろいろな面で「やっぱり深いなぁ」と感じています。五輪3大会連続メダルをはじめすごい経験をたくさんされていますし、考え方や言葉の選び方がとにかく深いので、いつも勉強させていただいています。
──最後に、これからのアスリート人生における目標を教えてください。
渡部
今34歳ですが、まだまだ選手として今までと同じモチベーションで競技と向き合えるつもりでいます。その一方で、北京五輪後に二人目の子どもが生まれたことで生活スタイルがガラッと変わり、トレーニングのやり方・考え方から変えていく必要がある、という変化の時期にも来ています。でも、父親として育児に励みながら競技力向上がどれだけできるかというのも新たな挑戦です。勝利に向かう目標は同じで、登っていくプロセスが違うだけですから。
谷地
北京五輪に出場できたことは一つの成功体験ですし、ノーマルヒルで今の自分の実力を出しきれたことも収穫になりました。一方で、ラージヒルや団体戦に出られなかった悔しさもある意味では収穫です。この悔しい気持ちを原動力に今後の練習をいかにがんばれるか。まずは地道に自分の実力を上げていき、ゆくゆくはW杯や世界選手権、2026年ミラノ・コルティナ五輪で金メダルを獲ることが最大の目標です。
Profile
渡部暁斗(わたべ・あきと)
1988年5月26日生まれ、長野県出身。白馬高校を経て早稲田大学に入学。大学在学中の2009年世界選手権団体で14年ぶりの金メダル。2011年スポーツ科学部を卒業後は北野建設に所属。五輪3大会連続メダルに加え、2017-18シーズンに荻原健司氏以来、日本人ふたり目のW杯総合優勝の偉業を達成。W杯通算19勝は荻原健司氏と並んで日本人歴代最多(2022年9月現在)。
谷地宙(やち・そら)
2000年5月4日生まれ、岩手県出身。「岩手から世界へ」をコンセプトに始まった岩手スーパーキッズ5期生。盛岡中央高校3年時に世界ジュニア選手権出場。2019年、早稲田大学スポーツ科学部に入学。2020-21シーズンからW杯に参戦。2022年北京五輪では個人ノーマルヒルに出場し、最終順位は30位(ジャンプ5位)。ブログやTwitterなどでも積極的に情報を発信している。スポーツ科学部4年。
取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒)
写真提供:共同通信

団体戦で銅メダルを獲得し記念撮影する日本チーム。(前列左2人目から)渡部善選手、永井選手、渡部暁選手、山本選手、谷地選手と河野コーチ(後列右)。まさに早大スキー部一丸といえる表彰台だった