
日大戦でドライブする宮本
強豪校である横浜市立原中に進学した宮本にとって、中学バスケはまさに「地獄のような毎日」だった。朝6時から練習が始まると、授業中も顧問の先生が見回りに来て、また夕方から練習が再開する。しかしそのような日々が、宮本をさらに上へと押し上げた原点と言える。「中学で全国を見て、上を見たからこそ、やるからにはプロを目指してやりたい」。この時から、大学までバスケットボールを続ける意志はあったという。その後、桐光学園高に進学すると、1年時から試合に出場し、3年時にはエースナンバーの7番を背負った。U16日本代表、U19日本代表候補にも選出されるなど、高いレベルでプレーしてきた。→続きを読む