
4年早慶戦に出場する西川
早大ア式蹴球部でマネージャーを務めている西川。しかし、高校以前はプレイヤーとして活躍していた。小学校の時に親の影響で始めたサッカー。中学校時代は部活動に入らず、地元のクラブチームに所属。順調なサッカー生活を送っていた。中学の頃から自分がプロになるというイメージが湧かなかったため、文武両道を掲げている石川県では有数の進学校である県立金沢桜丘高校に入学。しかし、学業では勉強しても勉強しても勝てない人がいた。一方、サッカーでは全国高校生選手権大会出場を目指したが県大会で敗れてしまう。ポジションとしてはサッカーも勉強もトップと争える土俵には上がっている。そのため比較される機会が多い。手が届きそうだが、決して届くことはない。そんな残酷な状況に立たされ、「自分はトップではない未熟者」だと感じていた。この挫折は西川のその後の人生に大きな影響を与えることとなった。→続きを読む