2021年度も熱い戦いを繰り広げ、多くの感動を与えてくれた早稲田大学の体育各部。今春に大学を巣立っていく学生たちを、早稲田スポーツ新聞会が伝えています。前編と後編に分けて紹介します。
第1回 丸山壮史/野球 主将の成長
「早稲田に来て良かった」――。丸山壮史(スポ=広島・広陵)は4年間をこのように振り返った。堅実な守備と勝負強い打撃でチームに貢献。ラストイヤーは野球人生で初めて主将を務め、熱い気持ちと確かな実力で仲間を率いた。栄光も挫折も存分に味わった4年間。誰よりも明るくひたむきに野球に向き合った丸山のこれまでを振り返る。
第2回 福本翔/野球 覚醒の2番
2番打者。打線のつながりを生み出すため、犠打や盗塁など様々な役割が求められる重要な打順である。その役割を昨秋の東京六大学リーグ戦(リーグ戦)で任せられた男、それが福本翔(社4=東京・早実)だ。春はけがに悩まされたものの、夏のオープン戦で好調を維持し、迎えた秋に覚醒した。10試合全てで安打を放ち、打率は4割に乗せ、ベストナインにも選出された。チームの中心として準優勝に大きく貢献した福本だが、大学で競技の第一線を退くことを決めている。福本の大学4年間、そして競技引退の決断に迫る。
第3回 今井脩斗/野球 苦境から掴んだ三冠王
2021年10月31日、長きにわたる東京六大学リーグ戦(リーグ戦)の歴史に今井脩斗(スポ=埼玉・早大本庄)は戦後15人目の三冠王として名を刻んだ。昨年の秋季リーグ戦、優勝争いを繰り広げた早大打線をけん引していたのは間違いなくこの男だっただろう。そんな今井も初スタメン、初安打はともに4年春。決して注目されていたわけではなく、度重なる故障にも悩まされるなど、順風満帆とは到底言い難い大学野球人生であった。そうした中ラストイヤーに飾った有終の美。そこには活躍を支えた仲間の存在、そして今井なりの考え方があった。
第4回 畠山尚/庭球 愚直に歩み続けた4年間
名実ともに日本一の庭球部の主将としてチームを引っ張った畠山尚(スポ=神奈川・湘南工大付)の大学テニス生活は最初から順調だったわけではなかった。入学してからはなかなか結果を残せず、もどかしい日々。主将になってからも同期が少ない中でチームを率いていけるか最初は不安だった。それでも、増田健吾(社3=東京・早実)とのペアで徐々にレベルアップし、結果を残せるようになると3年時の全日本学生室内選手権(インカレインドア)で準優勝という好成績を残し、団体戦にもダブルスの1番手として出場できるように。プレッシャーと戦いながら王座優勝という目標に向かって、地道に進み続けた先には最高の景色が待っていた。
第5回 杉田栞/庭球 全身全霊を注いだ4年間
「いろいろな思いが口に出てしまった」と杉田栞(社=埼玉・山村学園)は卒部式で自らの苦しかった思いを語った。それは大学4年間で部活をやりきったからこそ言える言葉であった。それもそうだろう。なかなかプレーでチームを引っ張ることができず、団体戦ではサポートの立ち回り。2年生の時には王座の連覇が途絶えるというつらい経験もした。主将としてもレギュラーの気持ちに寄り添いきれているのかという不安がつきまとった。それでもチームの精神的支柱として言葉で部員たちを鼓舞し続けた杉田。同期や後輩にも助けられながらチームを再び浮上させ、王座奪還を目指して戦った。その中で杉田は人間的にもさらに大きく成長していった。
第6回 宇野聡恵/漕艇 クォドルプルにささげた4年間
クォドルプルにささげた4年間だった。宇野聡恵主将(スポ4=大分・日田)は1年生からずっと早大女子部の花形・クォドルプルに乗り続けた。練習でもタイム測定以外はほとんど一人でボートをこぐことはなかったという。1年次、初めての全日本大学選手権(インカレ)で優勝するとそのまま三連覇。しかし、4年生のラストレースでは惜しくも2位という結果に終わった。今、宇野が抱える思いとは。
第7回 船木豪太/漕艇 『人間万事塞翁が馬』
船木豪太主将(スポ4=静岡・浜松北)はインタビューの最後に大学の競技生活を表す言葉として「人間万事塞翁が馬」を挙げた。全日本大学選手権(インカレ)で2位の好成績を収めた男子エイトを率いた男子部主将に漕艇部での生活を振り返っていただいた。
第8回 百瀬敦也/柔道 主将として、柔道家として
「柔道をしていた日々がどれだけ充実していたか」――。柔道漬けの日々からの解放感もつかの間、百瀬敦也(社=長野・松本第一)は埋めようのない空白に寂しさをこぼす。大学生活の4年間で柔道人生にピリオドを打ち、一般企業に就職することは前から決めていた。「柔道家としてあまりにも後悔が残る試合はしたくない。」集大成が近づくにつれ、その言葉の重みが増していく。主将として早大柔道部をけん引したラストイヤーは決して順風満帆ではなかったが、それでも周囲への感謝は尽きなかった。そんな百瀬の4年間を振り返る。
第9回 本野凜太郎/弓道 自分を『信じ』、仲間を『信じ』た4年間
日本一という目標を掲げて奮闘した本野凜太郎(人4=東京・國學院久我山)。未経験から弓道を始め、主将としてチームを鼓舞してきた。弓道とは『信じること』と語る本野の4年間はどのようなものだったのだろうか。
第10回 二見颯騎/相撲 自分次第
「正直悔しい気持ちもあるが、そういった経験も含めて成長できた」。けがと新型コロナウイルスの影響に苦しんだ最後の1年を、二見颯騎(スポ=東京・足立新田)はこう振り返った。相撲を始めて16年。早大相撲部での4年間を中心に、これまで二見が歩んできた相撲人生を振り返る。
第11回 倉持快/男子サッカー 早稲田で築いた自分らしさ
早稲田が誇るスピードスター、倉持快(人=神奈川・桐光学園)。天性の圧倒的なスピードを武器に、第一線を駆け抜けてきた。中学、高校では全国の舞台を経験し、選手としての実績も十分。しかし、早稲田入学後はケガや不調に苦しみ、思うようにいかない時期も多かった。ア式蹴球部(ア式)での4年間を終え、サッカー人生に一つの区切りがついた今、倉持は何を思うのか。倉持のサッカー人生に迫る。
第12回 西川玄記/男子サッカー 早慶クラシコに捧げた4年間
2021年10月24日、西川玄記(スポ4=石川・金沢桜丘高校)は早慶クラシコの舞台を見つめていた。4年間の集大成として、自分が作り上げた早慶戦を終えての感想は「結果は自分の実力だが、負けた」。試合の勝敗ではない、自分の望む最高のクラシコを作り上げることができなかったことに対する敗北だ。早慶戦に全てを捧げた男が4年間のア式生活と学生生活で得たものとは何だったのか。
第13回 加藤希/女子サッカー 「やりきった」日本一に導いた主将のサッカー人生
過去に何名もの選手をなでしこリーグに送り込み、2021年に新設された日本女子サッカー初のプロリーグ、WEリーグには現在10名のOGが在籍するア式蹴球部女子(ア女)。創部30周年を迎えた2021シーズンを主将として率いたのがDF加藤希主将(スポ4=アンジュヴィオレ広島)だ。大学最後の大会となった全日本大学女子選手権(インカレ)で優勝し、有終の美を飾った加藤のサッカー人生に迫る。
第14回 牛尾哉太/馬術 思い出の馬たちとともに
早大馬術部の主将として過ごした1年間を、「非常に大変で頭を悩ますことも多かったんですが、振り返ってみると非常にやりがいのある仕事ばかり」で、人間的にも大きく成長することができたと振り返った牛尾哉太(人=兵庫・福崎)。馬歴は大学からで、次期主将に決定した後の取材では驚きとともに少し不安な部分もあると話していたが、競技及びチーム作りにどのように取り組んできたのか。コンビを組んできた馬匹への思いとともに、その軌跡を振り返る。
第15回 五十嵐史弥/卓球 『日本人初』の挑戦
卓球イタリアリーグ。そこに日本人で初めて参戦したのは、五十嵐史弥(スポ=石川・遊学館)だった。早大では、新型コロナウイルスの感染拡大やケガを乗り越え、最後の1年間は主将としてチームをまとめた。日本とイタリア、2カ国を舞台に『強さ』を追い続けた4年間を終え、「早稲田に入って良かった」という五十嵐。その挑戦を振り返る。
第16回 岩越帆香/卓球 4年分の感謝
全日本大学総合選手権(インカレ)で優勝を果たした卓球部女子。チームを率いたのは、岩越帆香(スポ=福岡・希望が丘)だ。個人戦ダブルスでもインカレの頂点に立つなど、輝かしい成績を残して卓球部を引退した。「自分が入れるとは思っていなかった」という憧れの早大に入学してから、主将として日本一をつかむまで。試練も栄光も経験した充実の4年間を振り返り、岩越は周囲の人々への『感謝』を口にした。
第17回 岡村泰靖/ボクシング 全力で過ごした4年間
「人生で最も消費カロリーの多い4年間だったと思います」。ボクシング部で過ごした日々をこう振り返った岡村泰靖主将(商4=東京・早実)。いかにしてボクシングと出会ったのか。ボクシング部で仲間と過ごした時間で、何を感じ、何を思ったのか。岡村の4年間を振り返る。
第18回 竹端健太郎/体操 「修行」を乗り越える原動力
「なんか修行みたいな感じですよね」。竹端健太郎(スポ4=京都・洛南)は自身にとっての体操をそう語る。U-21強化選手(U-21日本代表)入りを目指し、強豪の洛南高校から早大に進学。期待十分に飛び込んだ大学での体操だったが、苦しいことも多い4年間となった。卒業後は体操競技から離れる竹端。体操人生を振り返り、その原動力に迫る。
第19回 仲濱陽介/男子バレー 誰かのために
難しい、プレッシャーだと多くの選手が口にする途中交代でチームを救ってきたのがセッター仲濱陽介(スポ4=愛知・星城)だ。「大学時代が1番苦しかった」。そう振り返る仲濱とって、早大での4年間は彼の人生にどんな物語として刻まれたのだろうか。バレーボール人生を紐解いていく。
第20回 浅野円花/剣道 仲間がいたから
女子主将として、チームを6年ぶりの全日本女子優勝大会(全日本)に導いた浅野円花(社=岐阜・中京)。後輩たちが「本当に大好きなチームだった」と振り返るほどのチームをつくりあげてきた。けがやスランプなど、さまざまな困難を乗り越えた先で浅野が手にしたものは、自分なりの『主将像』だった。
第21回 鈴木涼也/剣道 重要視したのは、部員とのコミュニケーション
前年度の早大剣道部を、全日本学生優勝大会ベスト16まで導いたのは主将の鈴木涼也(社=佐賀・龍谷)。前年度のコロナ禍の制約を経験した後、主将を引き継ぎ意識したのは、自分だけでなく部員全体を注視し、活発なコミュニケーションを通じてより部を結束させることだった。
第22回 永山開一/米式蹴球(3月1日) 愚直
「本当に申し訳ない気持ちでいっぱい」ーー。永山開一(教=東京・足立学園)は何度もこの言葉を口にしながら、忘れられない敗北の味を噛み締めていた。低学年時からBIG BEARSのDLとして試合に出場し、ビッグプレーを量産してきた永山。4年時には自ら主将に立候補し、大学生活の全てを悲願の「日本一達成」のために費やしてきた。誰よりも「愚直」にフットボールと向き合い、チームに影響を与え続けた永山の「これまで」と「これから」に迫る。
第23回 石丸圭吾/米式蹴球(3月1日)初志貫徹
順風満帆ではなかった。自他ともに認める不器用さがあった。それでも一貫して圧倒的な努力を積み重ね、徹底的にやり遂げた石丸圭吾(政経=埼玉・栄東)の4年間。ラストイヤーはディフェンスリーダーとして、副将としてチームをけん引した。そんな石丸の喜びと苦悩の4年間を振り返る。