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対談:岡田彰布×鳥谷敬 早大野球部とタイガース

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Thu 14 Sep 23

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Thu 14 Sep 23

対談:岡田彰布×鳥谷敬 早大野球部とタイガース

『早稲田スポーツ125周年記念誌』 Special Interview #4

早稲田大学野球部、東京六大学、さらには阪神タイガースで球史に名を残す選手となった岡田彰布と鳥谷敬。「監督と選手」として共に戦った経験を持ち、誰よりも注目を集める環境で野球を続けた二人だからこそ語り合える“大舞台で結果を残す秘訣”と“早稲田の野球部らしさ”とは?

※2022年11月競技スポーツセンター発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より転載

岡田が阪神タイガースの監督に就任するタイミングで鳥谷が入団(前列右)。入団会見では運命的な師弟関係に注目が集まった

岡田が阪神タイガースの監督に就任するタイミングで鳥谷が入団(前列右)。入団会見では運命的な師弟関係に注目が集まった

これ以上ない、最高の指名になりました

ライバルたちとの切磋琢磨で
安打数は早稲田歴代トップ2

早稲田大学野球部時代の岡田(左)と鳥谷

早稲田大学野球部時代の岡田(左)と鳥谷

──早稲田から阪神ドラフト1位・自由獲得枠、という同じような系譜を歩まれたお二人。まず、早稲田大学を選んだ理由を教えてください。

岡田

小学生のとき、早慶戦がNHKで毎年流れていたんです。そこで見た「WASEDA」のユニフォームに憧れましたね。明星中(大阪市)に進学したのも、系列の明星高校から早稲田への進学率が高かったから。まあ、結局は別の北陽高校に行きましたけど、大学は早稲田、という点はブレませんでした。

──鳥谷さんは、早稲田大学の「スポーツ推薦入学第1号」でもあります。

鳥谷

たまたま高校の監督さんのお知り合いに野球部出身の方がいて、「ショートと投手を探しているからセレクションを受けにいかないか?」と話をいただきました。本当に幸運だったなと思います。

──お二人の共通点に、ともにリーグ戦での三冠王獲得があります。結果を出せるようになったきっかけは何かありますか?

岡田

当時の石山建一監督(1965年商学部卒)から、「プロ野球で一番いい打者は誰だ?」と質問されたことがあったんです。ほとんどの部員が長嶋茂雄さんや王貞治さんを挙げたなか、僕だけ「藤田平さん(※1981年のセ・リーグ首位打者)」と答えました。阪神ファンだったし、藤田さんのリストの利いたスイングが好きだったので。あれから監督や上級生に一目置かれた気がします。石山監督の指導もリストを使った打ち方で僕に合っていた。その打ち方を追求して数字を残せたので、監督の指導はとてもプラスになりましたね。

──実際、通算打率(.379)と打点(81)はいまだに六大学記録です。

岡田

これは抜けないでしょう。自分でも不思議ですね。打点は意識していなかったけど、計算するとほぼ1試合に1打点ペース。それはすごいなと自分でも思います。

──鳥谷さんは2年春に「リーグ史上最速での三冠王」という記録も作りました。

鳥谷

実は、1年冬から2年春までの期間で、ガラッと野球観が変わりました。1年目で体重が6~7kgほど痩せてしまったんですが、人間科学部の授業で本格的なトレーニングに出合い、プロ入り後も基準になった80~82kgくらいの体重で野球をする、という身体のベースが出来上がったんです。その結果として打撃成績も付いてくるようになりました。

──通算安打は岡田さんが117本、鳥谷さんが115本。早稲田歴代トップ2です。

鳥谷

最後のシーズンは岡田さんの記録を意識しました。でも、あの年はチームが好調で秋が10連勝で終わってしまい、試合数が少なかったんです。四球の数も10試合で19個と多く、ほとんど勝負してもらえない中、首位打者は獲れたのですが、通算安打数は2本届きませんでした。

──強すぎた故に記録更新ならず! 鳥谷さんが4年生のときは「早稲田史上最強打線」と呼ばれ、4連覇を遂げました。

鳥谷

今も現役のヤクルト・青木宣親選手(人間科学部卒)、オリックスに入った由田慎太郎(第一文学部卒)、広島に入った比嘉寿光(社会科学部卒)が同期(2004年卒)ですし、一つ下には田中浩康(社会科学部卒)、さらに下に武内晋一(人間科学部卒)というヤクルトでプレーした二人。チーム内でタイトル争いをしている感覚でした。それこそ練習から刺激的ですし、それぞれがライバル意識を持って個の力を上げ、チームとしても強くなったのかなと思います。

──ライバルという意味で、岡田さんが学生時代に意識していた対戦相手は?

岡田

大学1、2年のときは法政4連覇の時代だったので、エースの江川卓(元巨人)さん。甲子園で活躍した選手がほとんど法政に進学した時代で、とにかく「打倒・法政」「打倒・江川」ですね。その後は明治と優勝争いをするようになり、鹿取義隆(元巨人ほか)さん、高橋三千丈(元中日)さんといった、後にプロで活躍する投手を打たないと優勝できない時期でしたね。

同級生3人と共にドラフト会議で指名され、歴史に残る黄金世代として注目を集めた

同級生3人と共にドラフト会議で指名され、歴史に残る黄金世代として注目を集めた

鳥谷は2017年に2000本安打を達成。<br />
早稲田OBでは谷沢健一(1970年第二文学部卒)、青木宣親(2004年人間科学部卒)に次ぐ快挙だった。

鳥谷は2017年に2000本安打を達成。
早稲田OBでは谷沢健一(1970年第二文学部卒)、青木宣親(2004年人間科学部卒)に次ぐ快挙だった。

いかに自分を高めるか。その姿勢こそ"早稲田らしさ”

「早慶戦」の大観衆&大応援は
甲子園球場の阪神ファン以上

──野球部と言えば「早慶戦」を抜きには語れません。学生当時の早慶戦への意識はいかがでしたか?

岡田

やっぱり早慶戦のテレビを見て憧れたものですから、「これが早慶戦か!」と。僕らのとき、特に3年秋は8勝1敗同士の早慶戦で、優勝を争う大一番。神宮球場の周りには1週間前から並ぶ学生もいて、当時は外野も芝生席だったので詰めて詰めて5万人以上。2試合とも完封勝ちで優勝できましたが、早慶戦の後、神宮から早稲田の安部球場までの優勝パレードもとんでもない盛り上がりでしたね。

鳥谷

あれだけの人に応援してもらって野球ができる経験はありません。阪神に入団してたくさんのファンが集まる甲子園球場で野球をする上でも、早慶戦での経験は大きかったです。また、野球というスポーツを通して学生が熱くなる瞬間、応援部が本当に気持ちを込めて応援する姿を間近で見る体験も普通はできないこと。価値のあるものだなといつも感じていましたね。

岡田

甲子園の巨人戦で5万8千人近くのお客さんが溢れかえる光景もすごかったけど、早慶戦の5万人の方が迫力があった気がするからね。なぜかと言えば、早慶戦では内野・外野の応援団がそれぞれマイクを使うから。その音量がすごかった。

──阪神の話題が出ましたが、鳥谷さんが阪神タイガース入団を決断した要因は?

鳥谷

ジャイアンツとベイスターズ、そして阪神で迷いましたが、その迷っていた2003年に阪神が優勝したこと。そして岡田さんとの縁。でも一番の理由は、将来的にメジャーに挑戦したい気持ちもあったので、人工芝ではなく、土のグラウンドでプレーしたい、という点が大きかったですね。

──鳥谷さんのプロ1年目が、岡田さんにとっても阪神の監督1年目となりました。改めて、指名する側から見た鳥谷選手はどう評価していましたか?

岡田

ドラフトのときは1軍の内野守備コーチ。内野手の鳥谷を獲るわけだから、当然しっかり考えました。結果的に、10年以上ショートの不動のレギュラーを務めた。そしてその座を、鳥谷は与えられたわけではなく、自分の力で獲得したんです。これ以上ない、最高の指名になりましたね。

──鳥谷さんは、そんな岡田監督からの教えで印象深いことは?

鳥谷

岡田さんが監督だった5年間は、オープン戦から含めてどんな展開だろうが全試合に出続けさせてもらいました。自分の「グラウンドに立ち続ける」というベースを岡田さんに作っていただいたんです。それがいつしか、公式戦1939試合連続出場、13シーズン連続全試合出場という記録につながったので、感謝しかないですね。

1979年のドラフト会議で、意中の阪神タイガースに指名され会見する岡田

1979年のドラフト会議で、意中の阪神タイガースに指名され会見する岡田

「常に謙虚であること」が“
早稲田野球部らしさ”の真髄

──早稲田の野球部に限らず、東京六大学野球自体が改めて注目されるようになるにはどんなことが必要でしょうか?

岡田

甲子園のスターがもっと入ってきてほしいね。僕が見ていて、「プロはまだ早い。大学で4年間やった方がいいんじゃないか」という子がプロに入って伸び悩むケースが多いんです。プロだから成長できるわけではなく、大学で野球はもちろん、さまざまなことに取り組むことで、結果的に野球選手としても成長できることもある。早稲田だけじゃなく、六大学の各チームで甲子園のスターが増えれば、お客さんも入るし、盛り上がるんじゃないかな。

鳥谷

まずは、早稲田にいる選手、そして早稲田から巣立った選手がそれぞれ活躍すること。そうなれば、そのプレーを見た人が「この選手は早稲田出身なんだ」と興味を持ってもらうきっかけになる。これは野球に限らず、各分野でも当てはまるはずです。早稲田出身の人が企業でもどんどん活躍すれば、早稲田にもっと関心が集まると思うんです。一人一人が価値を高めていく意識が大切なんじゃないかと思います。

──最後に、野球部の歴史に大きな足跡を残したお二人にお聞きします。“早稲田大学野球部らしさ”とは?

鳥谷

自分は学生時代、当時の野村徹監督から「チームがどれだけ強くても、どれだけ活躍しても、常に謙虚であること。練習に取り組む姿勢が最後には大事になる」という話をよくされました。野球への姿勢、野球以外でも感謝する気持ち……そういったことを早稲田大学で教えてもらいました。どんなことが起きても変わらず野球と向き合い、結果がよくても悪くてもしっかり受け止めて前に進んでいく姿勢は、プロ入り後も自分のベースになった部分です。

岡田

トリが言う通りで、「謙虚」であること、相手チームに対しても思いやりを持つことは一つの早稲田らしさだよね。4年生のときにある試合で負けた翌日、新聞記事で「岡田の悔しい顔を見てうれしかった」という相手チームのコメントが載ったんです。その記事を見て、もう考え方が違うんだと。自分は早稲田でよかったと改めて思いましたね。

鳥谷

野球は勝負事なので、もちろん相手を倒すことが目的です。ただ、「どんなことをしてでも倒す」というマインドではなく、「自分を高めることに集中し、その結果として倒す」という姿勢の方が人として強くなれる。僕はプロでも相手のミスを喜ぶのではなく、いかに自分を高めるかを大事にしました。その姿勢こそ“早稲田らしさ”なのかもしれないですね。

Profile
岡田彰布(おかだ・あきのぶ)

1957年11月25日生まれ、大阪府出身。北陽高校から1976年に早稲田大学教育学部に入学。東京六大学では3年秋に三冠王に輝くなど、通算成績はリーグ歴代1位の打率(.379)と打点(81)を記録。1980年、ドラフト1位で阪神タイガースに入団し、1年目に新人王。1985年には5番打者として阪神の日本一に貢献。1995年にオリックスで引退後、阪神監督となって2005年にセ・リーグ優勝を果たした。オリックス監督を経て2022年シーズン終了後、15年ぶりに阪神監督へ復帰した。

 

鳥谷敬(とりたに・たかし)

1981年6月26日生まれ、東京都出身。埼玉・聖望学園を経て、2000年に早稲田大学人間科学部に入学。2年春に史上最速三冠王に輝き、3年春から4年秋まで4季連続優勝。2004年、ドラフト自由枠で阪神に入団し、2005年のリーグ優勝に貢献。歴代2位の公式戦1939試合連続出場、13シーズン連続全試合出場を果たす。2017年2000本安打達成。2020年に千葉ロッテに移籍後、2021年限りで現役を引退。

取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒)

写真提供:共同通信

リーグ優勝を果たし胴上げされる岡田(2005年)と、2000本安打を達成し花束を受け取る鳥谷(2017年)

リーグ優勝を果たし胴上げされる岡田(2005年)と、2000本安打を達成し花束を受け取る鳥谷(2017年)

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