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対談:村岡桃佳×須崎優衣 金メダリストへの道のり

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Thu 14 Sep 23

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Thu 14 Sep 23

対談:村岡桃佳×須崎優 金メダリストへの道のり

『早稲田スポーツ125周年記念誌』 Special Interview #1

日本の女子スポーツを牽引する二人の早稲田アスリートがいる。東京2020オリンピック・レスリング女子50kg級金メダリスト、須崎優衣。アルペンスキーで冬季パラリンピック日本史上最多通算4個の金メダルを獲得し、陸上で東京2020パラリンピックにも出場した村岡桃佳。彼女たちが早稲田で過ごした、栄光までの道のりとは?

※2022年11月競技スポーツセンター発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より転載

“日本選手団の顔”になった二人
重圧を乗り越えてつかんだ金メダル

東京五輪レスリング女子50kg級2回戦でエクアドルの選手にテクニカルフォール勝ちを決めた須崎

東京五輪レスリング女子50kg級2回戦でエクアドルの選手にテクニカルフォール勝ちを決めた須崎

早稲田大学の学生パラリンピアン初の金メダルは光栄です

──お二人に共通するのは在学中に金メダリストになったこと。須崎選手は女子学生初の五輪金メダル、村岡選手も2018年平昌パラリンピックで現役女子学生初のパラ金メダル、という点も重なります。

村岡

私にとって幼少期からの目標であり、夢だったパラリンピックでの金メダル獲得を叶えることができて本当にうれしかったです。また、早稲田大学の学生パラリンピアンとして、女子として初の金メダルだったこともとても光栄です。

須崎

平昌パラリンピックでの村岡さんは、同じ早稲田大学の先輩ということですごく応援して見ていました。早稲田から世界の舞台で活躍する姿に刺激をもらい、「私もがんばろう!」と思ったのを覚えています。

──平昌大会での村岡選手は、冬季パラ日本選手最多となる1大会5個のメダル獲得と圧倒的でした。ただ、須崎選手も東京五輪では4試合全てがテクニカルフォール勝ち。ポイント合計41対0と、レスリング史に残る金メダル獲得劇でした。

須崎

私の場合、東京五輪に出場するまでが本当に厳しい道のりで、一度は出場が絶望視されました。でも、そこから諦めずにはい上がって代表権を勝ち取ることができた。この試練に打ち勝って出場した先につかんだ金メダルだったことも、私の人生にとって意義のあることだったと思います。

村岡

自国開催という緊張、メダルラッシュが続いていた重圧もあった中、しっかり金メダルを獲得された須崎さんは本当にすごいなと思いました。大会が1年延期になったことで、コンディション調整も難しかったでしょうし、あとは気持ちの面ですよね。私自身も東京大会の1年延期によるモチベーションの維持は大変でした。その中で結果を出されたことも含め、東京パラリンピック出場を控えていた私にとっても非常に刺激になりました。

──もう一つ、お二人に共通するのは、“日本選手団の顔”を務めたこと。須崎選手は東京五輪で旗手を務め、村岡選手も平昌パラでは旗手、北京パラでは日本選手団主将に就任されました。

須崎

旗手の話をいただいたときはとても驚きましたし、私でいいのかなという気持ちもありました。でも、そうやって期待していただけているのだから、自分にできることを全うしようと思ってお引き受けしました。開会式で日本国旗を持ったときには、ここから東京五輪が始まるし、自分が明るく元気よく堂々と歩いて日本選手団がいいスタートを切れるようにがんばろう、という気持ちで国立競技場を歩きました。

村岡

私の場合、初めてパラリンピックに出場したのはまだ高校生だった2014年ソチ大会のとき。当時は滑ることで精一杯でした。でも、そこから経験を積み、4年前では考えられなかった旗手という大役の話をいただいたことで、自分のがんばりであったり成長をいろんな人に認めてもらえたような気がして、とてもうれしかったですね。

──さらに4年を経て、選手団主将を務められた北京パラリンピックでは、金3つを含むメダル4個と大活躍でした。

村岡

東京パラリンピック出場のため、スキーから長期間離れていた私が主将でいいのかな、という気持ちもありました。ただ、ずっと末っ子のように先輩方の後を追いかけていた私も 25歳になり、少しは成長した姿も見せられたらいいな、と。主将という注目される立場だったからこそ、結果が伴った面もあったかもしれません。

村岡は北京でアルペンスキー5種目に出場し、金メダル3個、銀メダル1個を獲得

村岡は北京でアルペンスキー5種目に出場し、金メダル3個、銀メダル1個を獲得

競技でも人間的にも成長できた
早稲田での学びと刺激的な日々

スキー部のメンバーとの寮生活は
とても刺激的な日々でした

村岡は陸上競技(車椅子T54)でも活躍。ジャパンパラ競技大会では日本一を飾った。

村岡は陸上競技(車椅子T54)でも活躍。ジャパンパラ競技大会では日本一を飾った。

──村岡選手は、スポーツ界のリーダーとなり得る学生の入学を期待する「トップアスリート入試」でパラアスリート初の合格者でした。村岡選手の活躍もあり、パラスポーツへの理解は高まったでしょうか?

村岡

トップアスリート入試で初めて入学したパラアスリートであることに対して、自分が早稲田大学の中で何かを切り拓いたとは思っていません。ただ、当時はどうしても健常者のスポーツとパラスポーツとの間で、今以上の差がありました。その中で、私が入学したことでなにかを感じてくれる人がいたり、知ってもらえる機会になったらうれしいなという気持ちもありましたので、自分の中でも一つの挑戦であり、大きな経験になったと思います。

──入学後はスキー部に所属。早稲田のスキー部としても、パラアスリートの入部・入寮は初だったと聞いています。

村岡

ずっとパラスポーツという枠組みの中でスポーツに取り組んでいた私にとって、健常者のスポーツの世界に入ること、村岡は陸上競技(車いす T54)でも活躍。ジャパンパラ競技大会では日本一を飾った他の部員との共同生活に関してはハード面も含めて不安もありました。でも、それはスキー部側も同じですよね。結果的に自分が知らなかった健常者スポーツの世界を知ることができ、スキー部のメンバーとの寮生活はとても刺激的な日々でした。

──須崎選手が早稲田大学に進学した理由は何でしたか?

須崎

高校 3年のときに世界選手権で優勝することができ、その先に見据えたのは、大学 3年で迎える予定の東京五輪での金メダル。その一番大事な目標の実現のためには……という点で考えました。他大学からもお誘いをいただきましたが、その中で環境面はもちろん、私の父や姉、私のレスリングの恩師も早稲田大学出身でずっと憧れを抱いていたことから、早稲田への進学を決めました。学業面でも日本私大トップの大学ですので、レスリング以外での人間の幅、競技引退後の幅も広げていきたい、という点も早稲田を選んだ要素の一つです。

──実際、その目標通りに金メダルを獲得。金メダリストの功績を讃えるために設置される記念の「ゴールドポスト」を大隈講堂の前に設置され、話題になりました。

須崎

ゴールドポスト設置の話をいただいたとき、他の人は地元に設置することがほとんど。でも、私が東京五輪に出場して金メダルを獲得できたのは、早稲田大学で本当にたくさんのことを学び、レスリングでも人間的にも成長することができたからなんです。その恩返しの気持ちもあって、大隈講堂の前に設置をお願いしました。今後そのゴールドポストが早稲田の新たな名所になればうれしいですね。

北京五輪のアルペンスキー女子大回転座位では2大会連続の金メダルを獲得

北京五輪のアルペンスキー女子大回転座位では2大会連続の金メダルを獲得

応援される選手を目指して自分を磨いていきたい

須崎は東京五輪の開会式で、バスケットボールの八村塁と共に日本選手団の旗手を務めた

須崎は東京五輪の開会式で、バスケットボールの八村塁と共に日本選手団の旗手を務めた

東京五輪の須崎は1回戦から1ポイントも失わず、圧倒的な成績で金メダルに輝いた

東京五輪の須崎は1回戦から1ポイントも失わず、圧倒的な成績で金メダルに輝いた

早稲田での学びを活かし、
応援していただけるアスリートになっていきたい

──改めて、大学スポーツの魅力とは?

須崎

大学スポーツは同期の仲間や先輩・後輩と共に、学生の青春を全て捧げる場所です。学生人生をかけて切磋琢磨できること、先輩・後輩・同期と一致団結してがんばれることは大きな魅力だと思います。

──その一方で、大学の部活動が求められる役割、とくに女性アスリートが活躍する上での課題というと何がありますか?

村岡

競技によっては増量・減量・体重管理等が必要なケースがありますが、女性アスリートが過度な減量をすると無月経や骨成績粗鬆症の心配があるなど、女性特有の問題も存在します。実業団に入っていた場合、栄養士が管理してくれることも多いと思いますが、大学スポーツでそこまで手厚いケアができているかといえば、現状ではなかなか難しい。思春期の延長である大学の部活動のなかでは口に出しにくい部分でもあります。だからこそ、よりケアできる環境や組織作りが今後さらに重要になっていくのではないでしょうか。

──先輩・後輩問わず、早稲田出身で注目している選手はいますか?

須崎

同期ではサッカー・なでしこジャパン代表でもある植木理子選手( 2022年スポーツ科学部卒)。同じ授業も多かったですし、彼女の活躍は自分にとってがんばる活力になるので注目させてもらっています。また、卓球の張本智和選手(人間科学部・通信教育課程 2022年入学)はJOCエリートアカデミーの後輩で、早稲田でも後輩になったということでがんばってほしいですね。

村岡

私は 1年生のときからたまたま同じクラスの同期で、今は所属先も一緒という縁が続く競泳・平泳ぎの渡辺一平選手在学中に世界新記録を樹立した一方で、東京五輪の出場は残念ながら叶いませんでした。だからこそ、本人には期するものがあるはず。今後の活躍をとても期待している選手です。

──そしてもちろん、多くの人がお二人の活躍に期待しています。

須崎

もちろん、次の2024年パリ五輪での連覇という目標があります。そして結果を出すことで、レスリング界であれば吉田沙保里さんのような、レスリング以外なら野球の大谷翔平選手のような、国民のみなさんから愛され、応援されるような選手になりたいと思っています。競技が強いだけでなく、人間性も兼ね備えた人しかそういった国民的アスリートにはなれないはず。早稲田での学びを活かし、多くの人から応援していただけるアスリートになっていきたいです。

村岡

私もパリ夏季パラリンピックでの陸上競技の出場と、その次のミラノ・コルティ場を目標としています。その過程では大学院の修了も控え、ハードな挑戦ではありますが、まずは一つ一つ目の前の目標に向かって全力で取り組んでいきたいです。実は最近、「村岡さんの姿を見て勇気が出ました」と言ってもらえることが増えて、私自身のモチベーションにつながっています。今後もそういった人間になれるように、しっかり自分を磨いていきたいですね。

Profile
村岡桃佳(むらおか・ももか)

1997年3月3日生まれ、埼玉県出身。 4歳のときに病気の影響で車いす生活に。パラリンピックは平昌冬季大会アルペンスキーで出場5種目全ての表彰台に立ち、冬季パラ日本選手史上最年少金メダリストに。東京夏季大会にも出場し、陸上短距離で 6位入賞。北京冬季大会では金3個、銀 1個のメダルを獲得。2019年にスポーツ科学部を卒業後、現在はスポーツ科学研究科博士後期課程に在籍。

 

須崎優衣(すさき・ゆい)

1999年6月30日生まれ、千葉県出身。父がコーチを務めるクラブでレスリングを始め、中学 2年から高校3年までは日本オリンピック委員会( JOC)の若手育成機関「エリートアカデミー」で実力を磨く。世界選手権は 2017、 2018年大会で連覇。2022年大会も優勝。東京五輪・女子フリースタイル50kg級で全試合失点なしのテクニカルフォール勝ちの金メダル。2022年、スポーツ科学部を卒業した。

取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒)

写真提供:共同通信

冬季・北京パラリンピックと夏季・東京オリンピックで、それぞれ金メダルを獲得した村岡と須崎

冬季・北京パラリンピックと夏季・東京オリンピックで、それぞれ金メダルを獲得した村岡と須崎

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