現職:三重県公立小学校 教諭(日本語教育担当)
新聞の地域紙面に「日本語指導で早大院と協定 鈴鹿市教委」という見出しが出たのは2008年2月のことでした。日研と鈴鹿市が協定を結び、日本語教育の充実を図る新しい取組みが始まったのです。身近なところでこのような流れが起こり、自分が関わることになろうとは・・・。数年前の私には想像もできなかったことです。
日研を志した2005年、私はバンコクで働いていました。仕事の関係上自由に帰国はできませんでしたが、国外受験制度があったおかげで翌2006年春から日研の先生方や仲間たちと共に学ぶ機会を得ます。大学院では留学生から地域の子どもたちまで、様々な実践の場を経験させてもらいながら、自分と日本語教育の未来を模索する日々でした。そんな院生活が終わろうとしていた頃、あるきっかけから日本語教育コーディネーターという職業が生まれます。日本語教育に携わる先輩たちが積み重ねてきた研究や実践が新しい職業につながった瞬間でした。そして運と縁に恵まれ、タイミングよくそこに居合わせたのが私です。改めて10年間の諸先輩方の研究実績や現場の実践に敬意を表さずにはいられません。
協定を結んで3年が過ぎ、行政と大学院が連携した取組みは節目の年を迎えました。幸いにも人と人、組織と組織がつながることで生まれた力は、今でも地域の日本語教育の現場で循環しています。日本語教育コーディネーターという職業が現場で活きるのは、日研や行政をはじめ多くの方々の支えや協力があるからです。日研には、これからも時や空間を越えて多くの人や想いをつなげて支える、希望と創造に満ちた挑戦的な存在であり続けてほしいと願っています。私自身も現場に身をおき、少しだけ遠くの空に憧れながら、いつかまた飛ぶための準備をしていたいと思っています。