Graduate School of Japanese Applied Linguistics早稲田大学 大学院日本語教育研究科

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喬穎(日研博士13期生)『「教育者」から「研究者」へ』

現職:中国華東師範大学外国語学院日本語学部 専任講師

私の出発点は教育者だった。私は日本語教師となり母校で教鞭を取った。私が大学を出た1998年当時はちょうど中国で日本語の需要が拡大し、日本語教育が目覚ましい発展を遂げた時期だった。その意味では、私が日本語教師として歩んできた道は中国における日本語教育の発展過程と共にあったと言えるだろう。

日本語教師となってちょうど10年目の2008年の春、私は中国教育部「若手教師育成プロジェクト」の訪問研究員に選ばれ、早稲田大学日本語教育研究科の川口義一先生の研究室で勉学する機会を与えられたが、当初の私には「研究」がとても遠い存在に感じられた。中国では修士課程の研究テーマは指導の先生から与えられることが多い。また職場の上司の指示を受けて研究チームに参加し、論文や報告書を執筆したことも何度かあったが、それらは《自ら主体的にテーマを選定し研究すること》とはほど遠く、そのため当時の私は自らを〈教育者〉として自負することはあっても、〈研究者〉としての自覚を持つには至っていなかった。

その意味で、日研への進学は私にとって大きな転機となった。最初の一年間、私は複数の研究会や勉強会に参加したが、その中で諸先生方からご指導を賜り仲間たちと意見を交わすうちに、次第に私の中で〈研究〉へのモチベーションが醸成されていった。もとより日本の進んだ知識や理論を中国に持ち帰ることが留学生の目的ではあるが、しかし日本で得た最新の研究成果を、言語環境の異なる中国の学習者のためにいったいどのように生かせばよいのかという問題が、私自身の研究課題として再認識されるに至ったのである。

〈研究者〉への道は想像以上に険しいものだった。一朝一夕に成果が出るわけもなく、スランプに陥るときも多々ある。そんなとき、私の脳裏にいつも浮かぶのは私が初めて日本に留学した学部生のとき、日本人の先生から教えていただいた次の言葉である。「前へ、前へとまっすぐ進めば、きっと道が開く――」。〈教育者〉から〈研究者〉へ。たとえその道がどのように困難であっても、私は日本で得た自らの目標を達成するために、私自身の限界を超えて、常に前へ、前へと進んで行きたいと思う。

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