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2024年度寄贈小久保正美旧蔵アルバム
写真と来歴調査過程
Wed 05 Aug 26
写真と来歴調査過程
Wed 05 Aug 26
2024年7月25日、早稲田大学歴史館(館長:真辺将之・文学学術院教授)は、写真アルバムの寄贈を受け入れました。寄贈者は、アメリカ在住のご友人からこのアルバム寄贈を託されたとのことですが、アルバムの元の所蔵者(旧蔵者)と寄贈者およびそのご友人の間に直接のご関係はないとのことでした。
保全処置後、アルバムの写真・キャプション、および関連資料を調査した結果、旧蔵者は小久保正美氏であると判断し、「2024年度寄贈小久保正美旧蔵アルバム」と命名しました。このWeb記事では、アルバム写真のすべてをご紹介するとともに、旧蔵者調査の過程をご紹介します。
本Web記事のテキストおよび画像の引用にあたっては以下の情報を出典として付記してください。
- 著者名:早稲田大学歴史館
- タイトル:2024年度寄贈小久保正美旧蔵アルバム 写真と来歴調査過程
- 掲載サイト:早稲田大学歴史館
- 公開日:2026年8月4日
- URL:https://www.waseda.jp/culture/archives/news/2026/08/05/7565/
写真とキャプション
「東海道五十三次之内 庄野 広重画」がえがかれた布地
紙製ペナント貼付。校章様のロゴに「WASEDA BASEBALL TEAM」とあり
「真夏の戸塚にて」。写真なし
「郷土熊谷にて」。写真なし
キャプションが旧蔵者の手によるものだと仮定すれば、旧蔵者は熊谷出身であると仮定できます。
「第二合宿ヨサラバ!」「窪田.鶴田.吉木./桑原.服部坊〔カ〕.俺.津田」
「俺」の写真が登場します。キャプションに記載された姓の並びと写真の人物位置が対応すると仮定すれば、「俺」は下段中央で子供を抱き抱えている人物だと推定されます。
「シーズン終わて.津田宅ニテ」「小久保 催/中野 津田」
「来年度早大中建.昭和9年11月」
「九州宮崎ニテ.」
「宮崎ノ青嶋ニテ」
「昭和十年冬季練習」
「阿蘇登山.十年一月一日」
「冬季練習ヨリ」。写真1葉分の貼付コーナーあるも写真なし
「後輩ト共ニ.昭和九年夏」。後ろ二人の後輩らしき人物のユニフォームには「KUMACHU」とあり。中央の座っている人物が「本人」か。
「エール大学ヲ迎ヘテ 193[5].8.」。「5」は「6」へ書き直したようにも見える。
「昭和十年秋期優勝.福田主将」。
「早大軍九州速征.於春日原 津田、宇津橘、山本、白川、藤堂、中野」
「中学生ニコーチスル福田、藤堂」
旧蔵者は1934・35年[昭和9・10]ごろの野球部に関係していた可能性があります。また「後輩ト共ニ」写真の「後輩」と思しき二人が「KUMACHU」ユニフォームを着用していることから、旧蔵者は熊谷中学出身である可能性があります。
「錦丸甲板ニテ.193[5].11.」。「5」は「6」へ書き直したようにも見える。浮き輪に「に志き丸」とあり。
「早大軍於春日原球場.」「錦丸ニテ.内山.俺.藤堂.高須.岩田.白川.」
「錦丸,マスト!」「合宿バルコニーニテ.太田.東島.佐藤?.俺.」
「伊東海岸ニテ.津田.俺.小楠.中野.鶴崎.遠藤.」
「合宿バルコニーニテ.中野.俺 193[5].8」。「5」は「6」へ書き直したようにも見える。
「懐シノ福岡市街.193[5].」。「5」を「6」へ書き直したか、あるいは「1」を「5」へ書き直したようにも見える。
「見ヨ外野ニウテ.内野ニWノ早大ノ応援ヲ」。
「野球生活ノ傍ラ.下志津ニテ今木.手島.呉.俺.白川.高須.193[5]」。「5」は「6」へ書き直したようにも見える。
下志津は現在の千葉県千葉市若葉区にあり、戦前には下志津陸軍飛行学校が所在しました。
「俺ノ近影」
「落日ノ合宿ニテ.1935.12」
どちらも旧蔵者の写真だと推定されます。
「いざ行かん! 我がWASEDA!! 1935」「旅行!! 1935」
「慰安旅行修善寺ニテ 1935」「友ト共ニ.シーズンオフ.1935」
来歴調査の過程
歴史館アーカイブズでは、資料そのものだけでなく、その資料が「どこから来て、どのような道のりをたどってきたのか」という来歴(provenance)を重視しています。
来歴情報とは例えば、いつ・誰が・何のために作った資料なのか、誰や何について記録したものなのか、どのような経緯でアーカイブズに寄贈・移管されたのかといった情報に加え、その後どのように整理・保存され、誰が利用したのか、あるいはこれからどのように管理・公開されていくのかという記録です。これらの情報は、資料そのものではありませんが、資料についての資料だと言えます。
こうした来歴情報を守るために、アーカイブズでは、資料を作成した人や組織ごとにまとめて管理する「出所の原則」や、もともとの並び方や関係性をできるだけ保つ「原秩序の保存」という考え方を大切にしています。資料を、その背景や文脈を示す来歴情報とともに受け継ぐことで、アーキビストは一つひとつの記録をより正確に理解し、未来の人々にも信頼できるかたちで伝えていくことができます。
今回ご寄贈いただいた写真アルバムには、このような来歴情報がほとんど残されていませんでした。そのため、写真がいつ・誰によって撮影されたものなのか、誰がアルバムを作成し、誰が持っていたのか、そしてどのような経緯で今日まで受け継がれてきたのかを知る手がかりは限られています。
しかし、アルバムそのものをよく観察すると、写真の横に書き添えられたキャプションや並び方などに、当時の状況や作成者を読み解く手がかりが残されていました。こうした資料そのものに残る情報を丁寧に読み解くことも、アーカイブズの重要な仕事の一つです。
さて、ここまでのアルバムの観察から、以下の情報が判明しています。
- 出身地は熊谷、出身校は熊谷中学の可能性がある
- 1934・35年[昭和9・10]ごろの野球部に関係していた可能性がある
- 「俺」本人と思しき写真が複数ある
まず野球部の歴史資料から捜索を開始しました。
国会図書館デジタルコレクション掲載の飛田穂洲編『早稲田大学野球部五十年史』(1950年)にて「熊谷中学」という語を全文検索したところ、
343ページ
「昭和8年(1933)」の野球部のうごきを記した中に、「多数選手の入部」として「小久保正美(熊谷中学)」の記述がありました。その他の箇所に「熊谷中学」の記載はヒットしません。
また「桑原」「津田」「中野」「呉」「白川」「高須」「岩田」「鶴田」「手島」など、アルバムのキャプションに記載のあった人物と同姓の氏名が複数記載されていることから、「小久保正美」氏は旧蔵者の有力な候補となります。
次に、Web記事「[FAQ]卒業生を調べたい」でも紹介している「校友会名簿」「卒業生名簿」で、「小久保正美」の所属と卒業年を調べます。
国会図書館デジタルコレクション掲載の早稲田大学校友会『会員名簿 昭和33年』(1958年)で、「小久保正美」を全部検索すると、
401ページ
「小久保正美 11 専政 大栄通信工業」という項目がありました。つまり昭和11=1936年に、専政=専門部政治経済科を卒業し、1958年版の調査時には大栄通信工業にお勤めだった、ということがわかります。
幸いなことに歴史館は、専門部政治経済科1936年卒業アルバムの寄贈をすでに受けています(本記事執筆時点では非公開)。ここに「小久保正美」氏のポートレートが掲載されていました。「落日ノ合宿ニテ.1935.12」とポートレートを比較すると、
左・「落日ノ合宿ニテ.1935.12」の彩度とコントラストを加工した画像、中央・「落日ノ合宿ニテ.1935.12」オリジナル版、右・専門部政治経済科1936年卒業アルバム掲載のポートレート
同一人物であると考えて差し支えないように思われます。
以上のことから歴史館アーカイブズ部門は、2024年7月にご寄贈いただいたアルバムの旧蔵者は小久保正美氏であると判断しました。
小久保正美の戦後のあゆみ、およびなぜこのアルバムがアメリカ在住の方の手に渡ったのか等については、引き続き調査を続けます。
なお「野球生活ノ傍ラ.下志津ニテ今木.手島.呉.俺.白川.高須.193[5]」で「俺」の向かって左隣の人物は、呉明捷氏だと思われます。前掲『早稲田大学野球部五十年史』の「多数選手の入部」では、嘉義農林(学校)の出身と記載があります。
早稲田大学歴史館助教 佐野智規
寄贈者からの資料を受け取る真辺館長












