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クリントン大統領の椅子
2012年度総務部総務課移管資料 1 「〔椅子〕」
Mon 07 Jul 25
2012年度総務部総務課移管資料 1 「〔椅子〕」
Mon 07 Jul 25
早稲田大学歴史館アーカイブズに収蔵されている資料は、どれもがそれぞれにかけがえのない存在です。ひとつひとつが固有の背景を持ち、同じものは他にありません。どの資料も、それぞれの時代と人びとの記憶を今に伝える、大切な「かたち」だといえます。
今回ご紹介する「クリントン大統領の椅子」も、そのひとつです。木製でありながら軽く、高さは約76センチ。座面には、アメリカ合衆国第42代大統領ビル・クリントン氏のサインが記されています。サインの下の「July 7, 1993」は、クリントン大統領夫妻が本学を訪問した1993年7月7日を示しています。

2012年度総務部総務課移管資料 1 「〔椅子〕」

2012年度総務部総務課移管資料 1 「〔椅子〕」

2012年度総務部総務課移管資料 1 「〔椅子〕」座面
ビル・クリントンの署名 – clinton4.nara.gov, パブリック・ドメイン, リンクによる
「本学にとってまさに歴史的な一日」
1993年7月15日付「早稲田ウィークリー」号外(早稲田大学学生生活センター発行)は、当日の様子を以下のように伝えています。

「早稲田ウィークリー」号外(早稲田大学学生生活センター発行、1993年7月15日)
クリントン米大統領が来学
大隈講堂で講演、学生との対話も
七月七日、ビル・クリントン第四十二代アメリカ合衆国大統領が本学を訪れ、大隈講堂で講演と学生との対話を行った。米国の大統領が日本の大学を訪問するのは史上初めてのことであり、本学にとってまさに歴史的な一日となった──。
今回のクリントン大統領の来学は、七月七日から九日まで開催された先進国首脳会議(東京サミット)に出席するための来日に際して、日本の学生と対話を行いたいという、大統領側の意向で実現した。
会場の大隈講堂は、各学部等で希望者の中から厳正な抽選によって選ばれた約六百人の学生や、日米両国の多数の報道関係者等で満員。当初、来学の予定がなかったヒラリー・クリントン大統領夫人が客席に現れ、場内が湧く中、予定より二十分遅れて小山宙丸総長と共にクリントン大統領が登場した。
講演に先立って挨拶に立った小山総長は、かつて本学を訪れた故ロバート・ケネディ米司法長官と本学の交流について触れ、「大学が社会に果たす役割は不変」と述べた。そして大統領は「同時通訳のレシーバーを付け忘れて、総長のお話の〝ロバート・ケネディ〟という部分しか分かりませんでした。もっと日本語を勉強しなくては」と、ユーモアたっぷりに演説を始めた。
「変革を友人に」と力説
演説のなかで大統領は新太平洋共同体の建設とアジア太平洋経済協力閣僚会議(APEC)の役割強化、日米の貿易不均衡の是正と新たな貿易のルール作り、アジアにおける民主化の促進、日米共通の利益に根ざしたパートナーシップの構築などについて訴えた。また、先の大統領選挙でも標語となった「CHANGE」という言葉を随所に折りまぜながら、「変化(CHANGE)を我々の友人にしていこう」と述べた。
その後、演壇から下りた大統領は客席の最前列に設けられた学生との対話用の椅子に座り、「日本の皇室」「イラク爆撃」等に関する学生からの質問に、時に厳しい表情でジェスチャーを交えつつ語りかけた。特にヒラリー夫人についての質問には「有能な彼女が才能を発揮するのは米国の利益」と強調し、夫人とのパートナーぶりをうかがわせた。
講演終了後、大統領夫妻は小山総長の案内で、大隈講堂の隣に立てられている平和記念碑や、この日に因んで飾られた七夕飾りについての説明を聞きながら大隈ガーデンハウス前の小道を散策。また、本部キャンパスの東門付近から新目白通りへと続く大隈通り商店街を訪れ、住民との交流を深めて帰途についた。
この時クリントン大統領が聞き逃したロバート・ケネディ氏にまつわるエピソードは、2015年3月キャロライン・ケネディ駐日米国大使の来校の際、多くの関係者によって想起されることになります。
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映像に記録された「使用の瞬間」
このイベントの映像記録が、米国ナショナル・アーカイブ(National Archives)に保管されています。講演のあと、ステージから降りた大統領が、この椅子に腰掛けて学生との対話に臨む──ごく短いカットながら、そこにたしかに椅子が映っています。

Photograph of President William J. Clinton Addressing Students and Faculty at Waseda University in Japan (NAID: 2581412)

小山総長の挨拶。 President Clinton's Address at Waseda University (NAID: 485327489)

クリントン大統領の講演。 President Clinton's Address at Waseda University (NAID: 485327489)

椅子とクリントン大統領。 President Clinton's Address at Waseda University (NAID: 485327489)

クリントン大統領とヒラリー夫人。 President Clinton's Address at Waseda University (NAID: 485327489)
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おそらくこの椅子は、ごくありふれた市販の家具で、大量に生産され流通し、多くのひとびとが座ったものだったはずです。けれども、そこに「ビル・クリントンが使用した」という記録があり、使用中の映像が残され、さらに座面には直筆と思しきサインが日付とともに記されている──そうしたひとつひとつの痕跡の積み重ねが、一つの椅子を「歴史資料」へと変えていきます。そしてそのことによって、もう誰も、この椅子に座ろうとはしないでしょう。
ごくありふれた椅子が、ある時点から「歴史資料」として扱われはじめる──その明確な契機や歴史的な画期は、はっきりとはしません。むしろ、痕跡が少しずつ積み重なるなかで、そのものの意味や性格が静かに変わっていく、と考えるほうが適切でしょう。日常にあった何気ない品が、誰かの行為や記録を経て、未来へと継承すべき記憶の媒体へと姿を変えつつ、ひっそりと収蔵されている。それが、アーカイブズという場の営みです。

梱包され収蔵庫に保管されている椅子