早稲田大学歴史館には、「史編・大学史旧蔵」という名称を冠した資料群が複数あります。これらは歴史館前身箇所である大学史編集所・大学史資料センターが収集したと考えらる資料コレクションで、近年精力的に整理が進められています。この記事では、現在整理中の「史編・大学史旧蔵 沖縄「留学生」関係資料」の一部をご紹介します。
「史編・大学史旧蔵 沖縄「留学生」関係資料」は、1986年・1987年に発行された『早稲田大学史記要』(早稲田大学大学史編集所)第18巻・第19巻の特集「米軍政下沖縄籍早大生の意識と態様」の企画・編集過程で作成・収集された資料です。この特集は、米軍統治下の沖縄から早稲田大学へ進学した学生たちが、「日本人」であるという自己認識を持ちながら、制度上は「留学生」「契約学生」のような特殊な身分に置かれた経験を、どのように受け止め、学生生活・政治意識を形成していったかを中心テーマとしています。1950年前後~1950年代末の経験を中心に、1960年代~1970年代の「留学」組の視点も交えながら、当時の記憶が掘り起こされました。
戦後、米軍統治下におかれた沖縄の住民は、日本本土へ渡航する際、米側が発行する「渡航証明書」(事実上のパスポート)を携行しなければなりませんでした。こうした施政権の分離のも、本土の大学への進学が法的に「留学」として扱われ、「日留(日本留学)」という言葉も使われました。回想記事を寄せた大田昌秀(当時は琉球大教授。のち沖縄県知事)は、1950年、第2期の「契約学生」として本学に入学しました。この制度は、米側が自ら費用を負担する代わりに、学生に沖縄へ戻り働かせる統治政策の一環でもあったことから、大田をはじめとした元「留学生」たちの複雑な感情が回想されています。その後この制度は、サンフランシスコ講和条約が発効された1952年に琉球育英会が設立され、育英会と日本政府の支援によるものへと変化しました。
この資料群を構成するのは、座談会のための参考資料や、回想の校正原稿、著者と編集者の書簡、ネガフィルムなどの資料です。1950年ごろの「留学生」たちの集合写真や、「渡航証明書」の写しなど、当時の状況を伝える資料であることはもちろん、米軍統治下の「留学」が回想され、また「早稲田大学史」として編集される瞬間を記録したものでもあります。

沖縄・大島早稲田会(1952年頃)

『早稲田大学史記要』第18巻(1986年3月)、p. 272
前列右から2番目は滝口宏(教育学部教授、学生部長)、3番目は大濱信泉(法学部教授、法学部長)。石垣島出身の大濱は1954年に第7代総長となり、滝口は大濱のもとで1959年に早稲田大学八重山学術調査団の団長に就任した。また、後列右から3番目は大田昌秀、中央の女性の右側は由井晶子(後に沖縄タイムス取締役)。

昭和26年秋沖縄大島早稲田会

昭和27年度沖縄大島早稲田会

渡航証明書

渡航証明書

〔原稿〕「米軍政下の思い出」(未公開原稿)

〔原稿〕「契約学生の頃」(校正原稿)

「座談会・回想 米軍政下沖縄籍早大生の意識と態様」(校正原稿)

座談会「米軍政下沖縄籍早大学生の意識と態様」校正ゲラ、太田昌秀の送付状等

座談会「米軍施政下 沖縄出身学生の思い出」参考資料

沖縄「留学生」関係資料集(仮題)

〔書簡〕滝口宏(執筆当時 目白学園女子短期大学学長、早稲田大学名誉教授)

〔書簡〕由井晶子(執筆当時 沖縄タイムズ編集委員)
















