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WASEDA 1974-1977

2023年度寄贈佐瀬雅行氏撮影写真

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Thu 16 May 24

2023年度寄贈佐瀬雅行氏撮影写真

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Thu 16 May 24

2023年7月、早稲田大学歴史館は佐瀬雅行氏より「WASEDA 1974-1977」をご寄贈いただきました。佐瀬氏ご本人からご経歴とご寄贈までの経緯および写真キャプションをご提供いただきましたので、写真とあわせてご紹介します。

なおすべての写真データの著作権は、佐瀬雅行氏および早稲田大学歴史館に帰属します。本Web記事のテキストおよび画像の引用にあたっては以下の情報を出典として付記してください。


  • 著者名:早稲田大学歴史館
  • タイトル:WASEDA 1974-1977 2023年度寄贈佐瀬雅行氏撮影写真
  • 掲載サイト:早稲田大学歴史館
  • 更新日:2024年5月16日
  • URL:https://www.waseda.jp/culture/archives/news/2024/05/16/5237/

佐瀬雅行氏のご経歴

公益社団法人 日本写真家協会(JPS)会員
1978年 第一文学部卒
卒業後、仙台市の地方紙に入社
編集局写真部、報道部、地方支局の記者として勤務
写真部デスクの時に東日本大震災を経験する
2014年からフリーの写真家として活動

ご寄贈までの経緯

これまで撮り溜めてきた白黒ネガフィルムを整理していて、大学時代の写真を“発掘”した。

ベトナム戦争の報道で活躍したロバート・キャパや沢田教一に憧れ、フォトジャーナリストを目指して入学した第一文学部。慣れない東京暮らしに戸惑いながら、アルバイト代で購った中古カメラとフィルムで講義の合間に撮影を続けた。被写体は文学部にとどまらず、本部キャンパスや学生街を歩き回り、自らの感性に任せてシャッターを切った。

あらためて見返してみると、半世紀も前に自家現像したネガだけに画質は荒く撮影技術も稚拙だ。一貫したテーマのない雑多な写真ばかりだが、1970年代のキャンパス風景を捉えたイメージの集積であることは確かだろう。

WASEDA 1974-1977

1974年6月3日撮影

1974年6月3日撮影

神宮球場で早慶戦の試合開始前から盛り上がる学生たち。残念ながら在学中に東京六大学野球で優勝したのは、この時だけだった。

1975年6月撮影

1975年6月撮影

第一文学部のクラス掲示板から当時の学生生活が伺える。

1975年7月撮影

1975年7月撮影

1977年5月6日撮影

1977年5月6日撮影

文学部のキャンパスで級友を写す。当時は、ほとんどの男子学生が長髪だった。

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

校舎の壁は装飾のようにビラで埋め尽くされていた。

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1977年5月12日撮影

1977年5月12日撮影

特に用もないのに本部キャンパスにもよく通った。

1977年5月12日撮影

1977年5月12日撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

教科書を販売する書店、アルバイトの斡旋、角帽の肖像写真が飾られた写真館。キャンパスの周囲は学生街らしい風情に満ちていた。路上の靴磨き職人を見掛けることはなくなった。

1976年7月撮影

1976年7月撮影

西武新宿線の高田馬場駅から大学に向かう。地下鉄代を節約するため、いつも歩いていた。

1976年6月14日撮影

1976年6月14日撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年7月撮影

1975年7月撮影

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年11月撮影

1975年11月撮影

講義の合間、思い思いに時間を過ごす学生たち。

1976年5月撮影

1976年5月撮影

通称「国連ビル」は文学部キャンパスのシンボルだった。著名な建築家、村野藤吾の作品であることは後に知った。

1976年6月14日撮影

1976年6月14日撮影

1976年12月1月撮影

1976年12月1月撮影

コンクリートの直線で構成されたデザインが印象的だった文学部キャンパス。

1976年9月29日撮影

1976年9月29日撮影

地方の男子校出身者にとって、東京の学生は全てが眩しかった。

1976年6月1日撮影

1976年6月1日撮影

たまには図書館で真面目に勉学に励んだこともあった。

1975年6月撮影

1975年6月撮影

1975年10月撮影

1975年10月撮影

1976年5月撮影

1976年5月撮影

1976年6月4日撮影

1976年6月4日撮影

キャンパスの至るところに立て看板が溢れていた。

1976年12月1日撮影

1976年12月1日撮影

食堂のメニューが当時の物価を物語る。早稲田ランチはたまにしか口にできなかった。

1976年4月21日撮影

1976年4月21日撮影

時には神田川を越えて、都電荒川線の学習院下停留場や雑司ヶ谷鬼子母神堂まで出掛けた。

1976年6月11日撮影

1976年6月11日撮影

1976年6月11日撮影

1976年6月11日撮影

ロッキード事件に抗議するデモ行進を永田町まで追い掛ける。

1976年12月1日撮影

1976年12月1日撮影

休講になれば喫茶店で長時間粘り、友人と無駄話に興じた。

1977年5月6日撮影

1977年5月6日撮影

文学部キャンパスのスロープを校舎2階から見下ろす。

1977年5月12日撮影

1977年5月12日撮影

1977年5月12日撮影

1977年5月12日撮影

大学を象徴する建造物といえば大隈講堂。キャンパスのどこからでも時計塔を望むことができた。

1977年5月12日撮影

1977年5月12日撮影

就職ガイダンスに出席して、将来に想いをはせる。

1977年5月13日撮影

1977年5月13日撮影

大隈庭園の芝生で寛ぐ学生たち。

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