“Letters from the Haruki Murakami Library”―カミラ・グルドーヴァ(Camilla Grudova)
2026.02.26
“Letters from the Haruki Murakami Library” は「早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)を訪れて、だれかにお手紙を書くとしたら?」という発想で、国際文学館に滞在いただいた方に執筆いただくシリーズ企画です。
第1弾として「国際文学館翻訳プロジェクト」で2025年5月22日(木)~6月6日(金)に当館に滞在いただいた、カナダ出身・スコットランド在住の作家 カミラ・グルドーヴァ(Camilla Grudova)さんに手紙を書いていただきました。
本ページでは、日本語版を公開しています。(翻訳:上田麻由子)
原文(英語)とあわせてお楽しみください。
親愛なるアンジェラ・カーター
あなたが『魔法のおもちゃ店』を書いたのは、一九六九年に来日する少し前のことでした。わたしはあなたとほぼ同じくらいの歳のころ、日本に行く直前にあの本を読みました。おそらくそのせいでしょう、東京ではとりわけおもちゃに目が留まりました。当時もいまも、わたしたちが去ったイギリスは混沌と衰退のさなかにあり、かびの上からまたかびが生えてくるような状況でした。あなたは東京にいたときの自分について、こんなふうに語っていましたね。「わたしは自分の操り人形の糸を引いていたのだ(…)自分の人形劇場の背景として、街を想像の青写真どおりに作り直そうとしたが、街はそんなふうに作り直されるのをかたくなに拒んだ」わたしは古い喫茶店に行きました。そこはムーア様式を思わせる建物で、壁にショパンとベートーベンの肖像画が飾られていました。わたしの知人は若いころ、一九六〇年代にそこに行ったことがあると言っていました。あなたもそういう場所に通っていたのではないかと、わたしは想像します。いまでも喫煙席があるあの喫茶店のようなところで、あなたもかつて煙草を吸い、ブラックコーヒーと卵サンドを食べていたのでしょう。
高円寺の駅近く、高架下で中古のおもちゃ店を偶然見つけました。トロール人形のキーホルダー、サスペンダー付きの赤い革の半ズボン姿で半狂乱になって太鼓を叩く二匹のぜんまい仕掛けのサル、箱に入ったゴジラのソフトビニール人形、さまざまな人形、ハローキティ、ベロア地のウシやトラ、ゴム製のスヌーピー、アクションマンのフィギュア、小さな箱に入った車、カリフォルニア・レーズン——その姿を目にするのは子どもだった一九九〇年代に友人宅のバスタブの縁に置かれていたのを見て以来でした——それから、小さな兵士や恐竜、苦しげな表情を浮かべた、おそらく肝臓を擬人化したのであろう磁器製の何か、しわくちゃで色あせた箱入りのボードゲーム、映画『エイリアン』のエイリアンのプラモデル。わたしはサルをひとつ買わなかったことを後悔しました。買いに戻ったときには店はもう片付けられてしまっていたのです。東京に住んでいる従姉妹が、インターネットで売られているのを見つけてくれました。ボールを転がしたり追いかけたりするぜんまいじかけのネコも一緒に見つけてくれて、これは『魔法のおもちゃ店』に出てくる邪悪なおもちゃ職人フィリップおじさんが作ったおもちゃに似ていましたが、手に入れてからずっとわたしを心から楽しませてくれています。ぜんまいを二、三回巻くだけで、部屋の中に動きや、命によく似たものをもたらしてくれるのですから。あなたは「レイディ・パープルの情事」という物語の中で、人形のことをこんなふうに言っていましたね。「[女に生まれた者の動きを]模倣したというより、それを純化し強化したもの」。きっとわたしの猿や、風変わりなおもちゃのコレクションは、生命のボヴリル・キューブ[イギリスの伝統的なメーカーの牛肉エキス]のようなものなのでしょう。
同じ街のヴィンテージのおもちゃ店に行って愕然としたのは、置いてあるヴィンテージのおもちゃがどれもわたしが子どものころにあったものばかりで、わたしが思っていたようなエドワード朝のものでもなければ、一九五〇年代、六〇年代のものでもなかったということです。プラスチックのおかしなハイウエスト・ジーンズをはいた卵形の『リトル・タイクス』、マクドナルドのハッピーセットの人形、『ポップルズ』のパフボールのぬいぐるみ——体をくるりと丸めると鞄の形になる奇妙な小動物で、よちよち歩きのころのわたしがこれを持って写っている写真があります。それからバービー、リトル・マーメイド。まるで自分の子どものころの寝室の散らかった一角に押し込められたかのような息苦しさでした。東京は世界じゅうのおもちゃの墓場か、あるいは死後の世界なのでしょうか?
また別の街には、古いドイツのおもちゃを専門に扱う店がありました。マッチ箱に入ったジオラマ、折り畳み式の帽子店と一緒になった木製の人形セット——帽子もすべて木でできていてDer Kleine Modesalon[小さな洋品店]と書かれていました。それから、車輪のついたネコやウサギ。
古本屋には、磁器のピエロ、ドールハウス用の柱時計、小さな古い人形も売られていました。本とおもちゃの両方を売る店というのは、わたしには理想的に思えました。作家というのは、心の底では子どものような人形遣いなのですから。
カプセルトイの店では、小さな寿司の載った皿ふたつ、小さなオムレツひとつ、箱に入ったウサギの置物、『パンどろぼう』のキーホルダーを買い、列車の模型を手に入れようと二度チャレンジしましたが、出てきたのは線路が詰まったカプセルで、いくらやっても組み立てられず、どこにも辿り着かないえんえんとつづく線路だけが残りました。カプセルトイの店には、カプセルに入っていた宝物をポーズさせられる、ミニチュアの舞台装置が置いてあるコーナーがありました。プラスチックでできた小さなレストランではパンケーキ、コーヒー、チーズケーキ、サンドイッチが食べられるのを待っていて、ほんの一瞬、わたしのオムレツを座席に置いてチーズケーキを食べさせ、ヤン・シュヴァンクマイエルの映画さながらの一種の共食いをさせてみようかと思いました。
東京国立博物館では、一八九三年に川端玉章が描いた絹本の「玩弄品行商」をじっくり時間をかけて見ました。絵の中には、棚いっぱいのおもちゃのウマやイヌ、小さなジオラマ、ノート、お面(人やキツネ)、扇子、笛、矢、鯉が描かれた提灯がありました。作り物の鷺、旗、籠に入った貝殻もありました。行商人は笛を吹き、子どもたちはいろいろな品物を手に取り、二匹の小さなイヌが周りをうろうろしていました。
わたしには使命もありました。『グリーン・ノウの子どもたち』に出てくるような小さな木でできたネズミを見つけることです。この物語では、少年が古いお屋敷に住むおばあちゃんのもとに預けられるのですが、そこではネズミなどのおもちゃが動きだし、幽霊の子どもたちと遊べるのです——みなむかしむかしにペストで死んだ子たちだと、わたしたちは知らされます。このネズミは日本のものだとされています。根付だったのかもしれません。わたしは文房具店で木のネズミを見つけましたし、お寺で中におみくじの入った粘土のネズミも買いました。わたしはネズミ年生まれではなくトラ年生まれなので、おみくじは無視しました——わたしのことじゃない、と。エディンバラに帰ると、ドールハウスの中に大小のネズミを入れてみました。どちらも縮尺からすると異様に大きかったのです。大きなネズミと小さなネズミは同じ家には住めないと言われているし、家に小さなネズミがいるのは、少なくとも大きなネズミはいないということなので良い兆候だと言われています。でもこの人工の世界では、二匹のネズミが凍りついたような調和のうちに一緒に暮らしています——銅の揺り椅子や、爪ほどの大きさの赤い携帯ラジオとともに。
東京国立博物館では、故高円宮殿下の根付のコレクションも見ました——子どもなら誰でも自分のおもちゃ箱に加えたくなるような、ウサギやクジラの根付です。おもちゃではないはずのものが、何より楽しいおもちゃになるように、書かれるべきではないものこそ、書いていて何より楽しいものです。子どものころ、わたしは石膏でできたギリシャ神殿のミニチュアで遊びました——観光客用の土産物でしたが、家族の中にギリシャに行ったことのある人はいませんでした。ピンクのサテンが内張りされた丸い銅の宝石箱は、不思議な貝殻のような感じがしたし、薪ストーブ用の薪には顔を描いて遊びました。エディンバラにはおもちゃ博物館があって、その所蔵品の中に、靴やスプーンで作った子ども用の人形があります——ヴィクトリア朝のスラムに住んでいた親たちは、子どものためにそういうもので間にあわせるしかなかったのです。こうした靴やスプーンたちは——もしまだその名前で呼べるのであれば——いくつもの人生を生きてきたのです。もし話すことができたら、きっとどんな人間よりも賢いのでしょう。
わたしはこれまで、たくさんの物に取り憑かれてきました——ミシン、大理石や石膏の胸像、スプーン、そして東京から戻ってきてからは、あらゆる種類の古いおもちゃに執着しているようです。腕ほどの長さがあるゴムのワニや恐竜も持っているし、自分のドールハウスには収まらない、あまりに変なサイズのドールハウス用の家具もあります。わたしは子どもを持つことをすっかり諦めています。きっと本物の子どもたちが自分のおもちゃや大切な物を触るのではないかとはらはらする、気難しい年配女性の仲間入りをしかけているのでしょう——人形やぬいぐるみだけは集めないようにしているのですが。幼いころ遊んだクマのボンバジンと、尖った槍を持った小さなプラスチックのスイスの衛兵はいまでも手元にありますが、それだけです。わたしのドールハウスには、人の形をした者を住まわせるつもりはありません。わたしは人形を操る、フィリップおじさんのような人にはなりたくないのです。
註:引用は、アンジェラ・カーター、柴田元幸訳「レイディ・パープルの情事」(『英文精読教室 第5巻 怪奇に浸る』研究社)179ページより。[]内の補足は訳者による。

カミラ・グルドーヴァ(Camilla Grudova)
カナダ出身、スコットランド・エディンバラ在住。マギル大学で美術史とドイツ語の学位を取得。2016年「ワクシー」でシャーリイ・ジャクスン賞(中篇部門)を受賞。同作は、翌年の英国幻想文学大賞の最終候補にも選出された。2017年、デビュー短篇集『人形のアルファベット』をフィッツカラルド・エディションズより刊行し、話題になる。2023年、初長篇Children of Paradiseが女性小説賞の候補に選出。同年、『グランタ』誌が十年ごとに選出する「若手作家ベスト20」に選ばれる。他の著書にThe Coiled Serpentがある。
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