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「夜の早慶戦」盛衰記【第3回】

「夜の早慶戦」の黄昏?―集り散じて人は変れど

大学史資料センター 非常勤嘱託 長谷川 鷹士(はせがわ・ようじ)

これまで「夜の早慶戦」盛衰記と題して、【第1回】では戦前の“大騒ぎ”の様子、【第2回】では1960年頃の新宿内での場所の変遷をたどった。最終回となる【第3回】では1970年以降の「夜の早慶戦」衰退の様子を見ていく。特に「夜の早慶戦」が長きにわたって続けられた理由と、その衰退の理由に焦点を当てていきたい。

1973年の様子。藤棚と思われるものにのぼって騒ぐ早大生【広報課移管写真④(所蔵:大学史資料センター)】

さて【第2回】で見たように60年代半ばに歌舞伎町コマ劇前広場にその場所を移した「夜の早慶戦」は、70年代も相変わらず盛んであった。1972年秋にはスクラムに巻き込まれた通行人から警察に苦情が殺到し、『読売新聞』はその様子を「〝夜の早慶公害〟」と非難した。1973年には「レインボーガーデン」が「ヤングスポット」に改称・整備され、そこの噴水に飛び込むことが常態化した。一方で1977年の『朝日新聞』に「警察の御やっかいになるようなお祭り騒ぎも、早慶なるがゆえに、いつまでも許されるものではない」という意見が掲載されるなど、「夜の早慶戦」に対する世間の風当たりはいっそう強まっていた。

それでも80年代になっても「夜の早慶戦」の勢いは衰えなかった。当時の学内誌には1981年春の様子が「ドキュメント歌舞伎町-早慶戦の夜-」として記録されている。早稲田が慶應に勝った5月30日(1日目)。「七時四十分 もう総計七十人ぐらいの学生が池に飛びこんでいる」「八時二十分 外燈のポールによじ登ろうとする学生が出現。有刺鉄線の巻かれたポールに必死に登ろうとするが、なかなか登れない」。連勝した5月31日(2日目)。「九時三十分 『優勝明治』の幕を前面に掲げながら、中央台の方めざして突入を試みる」「九時四十分 トイレットペーパーが早大生内で飛びかう。明治側へ向かって投げたつもりが届かないのだ」「十時二分 早稲田がすっかり明治に囲まれた」「十時二十分 広場は、完全に明治に占拠された」

1981年春の様子。コマ劇前の「占有権」を争う早大生・明大生の様子が図式化されている(『新鐘』第30号記事より)

何故、世間の批判にもかかわらず、「夜の早慶戦」は衰えなかったのか。ある学生は不本意入学の友人が「夜の早慶戦」を通じて早稲田を好きになったとし「早大生である喜びを感じられるあの雰囲気はなくなってほしくない」と述べていた。こうした見方は「新入生にとっては早慶戦が儀式みたいなもの」と語る教員もいたように、ある程度の一般性をもっていた。つまり、早大生である自己意識を持つための「通過儀礼」であったのだ。一方で「伝統、伝統と言い、バカ騒ぎ」をしているが「集まり散じて、人は変わってゆく」のだから「そんな伝統は遅かれ早かれすたれてしまうに違いない」と述べる学生や、「早慶戦自体は変わっていないのに、受け手が変わっている」から、昔のように学生が騒ぎ続ければ、社会はそれを受け入れてはくれないと述べる学生などもいた。早大生になる「通過儀礼」として「夜の早慶戦」は時代遅れになっていた。

さらに騒ぎの舞台、歌舞伎町の変化が追い打ちをかけた。そもそも歌舞伎町の人々が早大生の騒ぎに比較的寛容だったのは、1960年代には「過激派学生」やフーテン族といった「やっかいな集団」が他にいたからという側面もある。彼らが退潮すると歌舞伎町の人々の早大生を見る目も徐々に厳しくなった。また早大生たちが飛び込んでいた噴水は1983年春には水を抜かれ、翌年には花壇になった。世間も空間も「通過儀礼」としての「夜の早慶戦」を受け入れなくなっていた。

1981年秋の様子。この1年半ほど後に、水が抜かれてしまう。新入生に「水の洗礼」を浴びせ「真の早大生」にすることができなくなったと苦情を言う早大生もいた【広報課移管写真④(所蔵:大学史資料センター)】

90年代に入っても仕事帰りの男性を胴上げするなど、「夜の早慶戦」は続けられていた。しかし、その規模は年々縮小していき、学内外のメディアでも「夜の早慶戦」が扱われる頻度は年々、減少していった。

「夜の早慶戦」が衰退したのは「通過儀礼」としての騒ぎが受け入れられなくなったからだろうか。それは世間にというだけではなく、学生自身も騒ぐことに違和感を持ち始めたということか。またそもそも早大生である自己意識自体必要とされなくなったのかもしれない。だとすれば「通過儀礼」は衰退するだろう。しかし、果たしてそうだろうか。確かに「夜の早慶戦」は往時の盛り上がりを見せていない。一方で日常的に高田馬場で騒ぎは続けられているのではないか。場所が変わり、「早慶戦」という行事性がなくなっただけなのか。「集り散じて人は変れど」とは言うが……。

(参照・引用文献)
・『朝日新聞』、『読売新聞』関連記事
・「’80年春の早慶戦この胸のときめき」『早稲田乞食』’80年度第2号vol.12(1980.4.1)
・ルポルタージュ研究会「ドキュメント歌舞伎町―早慶戦の夜―」『新鐘』第30号(1981.10、pp.42‐45)
・山田信一「「伝統」という鋳型にはめこまれた学生たち」『新鐘』第30号(1981.10、pp.52‐54)
・宗行孝之介「新宿で気勢をあげる甘ったれた君へ」『新鐘』第30号(1981.10、pp.54‐55)
・「早慶戦雑考」『早稲田ウィークリー』第444号(1983.6.16)
・「えび茶ゾーン」『早稲田ウィークリー』第464号(1984.5.17)
・藤尾潔『早稲田大学おもしろ話』(光文社、1999、pp.46‐49)
・歌舞伎町商店街振興組合『歌舞伎町の60年』(2009、pp.62‐66)

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早稲田大学学生部は現在、学生のマナー向上に取り組んでおり、毎年、飲酒行為等に関する注意を学生に呼び掛けています。未成年の飲酒が絶対禁止であることはもちろん、飲酒の強要はアルコールハラスメントであり、さらにお酒の力を借りた行為で場を盛り上げたり、「酒の強さ」をアピールするなど格好付けて飲むことも重大な事故につながる危険行為です。また、高田馬場駅前周辺などでのグループ単位での集合も、禁止行為としています。
また、飲酒行為以外でも公園、宿泊施設、公共機関、繁華街や公道でのマナー違反について、大学に度々苦情が寄せられています。違法薬物・危険ドラッグの使用・所持など、法律に違反する行為を絶対に行わないようにしてください。
早稲田大学学生部からの飲酒に関する注意喚起

「夜の早慶戦」盛衰記【第1回】

「夜の早慶戦」盛衰記【第2回】

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