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「夜の早慶戦」盛衰記【第2回】

夜の早慶戦―戦後・新宿における“大騒ぎ”の行方―

大学史資料センター 助手 嶌田 修(しまだ ・おさむ)

本シリーズの【第2回】は、戦後の1950~60年代にスポットを当てる。【第1回】では、戦前期の銀座における両校の“乱闘”を中心に、新宿については新宿駅前や武蔵野館(映画館)前での“大騒ぎ”について論じられた。しかし、現在、早慶戦終了後の早大生による“大騒ぎ”をご存じの方(あるいは経験がある方)であれば、新宿といえば、歌舞伎町のコマ劇場前での騒ぎを連想する方が多いのではないか。そこで、今回は戦後の新宿に舞台を移し、そこで繰り広げられた“大騒ぎ”の変遷を、街の移り変わりとともに見ていきたい。

新宿一帯は、1945年4月、5月の空襲で大部分が焼け野原となった。戦後、戦災復興計画において新宿の街も土地区画整理事業に組み込まれ、東口や西口駅前をはじめとする各地区において事業が開始された。その中に歌舞伎町地区も入っている。もともと歌舞伎町は一般住宅といくつかの商店で構成される静かな住宅街であったが、戦後の復興に際し、「アミューズメントセンター」として新しくつくられた街であった。

資料①「新宿の地域区分」(芳賀善次郎『新宿の今昔』より)戦後の新宿における各繁華街などの位置付けが確認できる

本シリーズの【第1回】で紹介した、早慶戦終了後の新宿での騒ぎは、主に新宿武蔵野館前を舞台としたが、その後どのようにして歌舞伎町へと場所を移していったのであろうか。主に新聞記事を参照しながら、早慶戦終了後の“大騒ぎ”―「夜の早慶戦」―の行方を追ってみよう。

戦後も早慶戦終了後に早大生は新宿に繰り出していた(『読売新聞』1949年11月6日など)。舞台も戦前と同じ新宿三丁目の飲食・娯楽街である(資料①の地図中の「②飲食喫茶街」にあたる)。特にライオン(ビアホール)と武蔵野館がある十字路付近で、校歌の大合唱やスクラムを組むなどの騒ぎを繰り広げている。周辺の商店は、“野球デモ”として恐れ、早じまいをしたり臨時休業をしたりと“対策”を講じていた(『毎日新聞』1951年11月6日、『朝日新聞』1952年11月4日など)。

資料②「早慶夜の延長戦」と題し新宿の様子を伝える記事(『朝日新聞』1952年11月4日)

しかしその後、1955年の秋に際しては、学生の群れで周辺の道路がストップし、通行人に対する暴力沙汰も起きたため、周囲の各商店や所轄署は、これまで大目に見てきたが翌春からは取り締まりをし、一般人への被害を防ぐ、という方向にシフトしていった。大学側も学生課などから自粛を要請している(『読売新聞』(夕刊)1955年11月8日、同1956年6月6日)。それらが功を奏してか、翌1956年については、これまでに比べスクラムは小さくなり通行人を巻き込むこともなく、自粛ムードで推移したとある(『朝日新聞』1956年6月24日)。

さらに1959年の記事からは、騒ぎの場所の変化が確認できる。新たな場所として、新宿駅中央口(東口)の広場を東京都から借り受け、そこで騒ぐことにしたとある(『毎日新聞』1959年5月28日)。そもそも新宿三丁目の飲食街における騒ぎは、通行人や車の交通もある路地において行われたものであり、少なくともそれは回避しようという思いからであろうか。なお、中央口広場での騒ぎは1960年代に入っても確認できる(『朝日新聞』1961年6月5日)。しかし、場所を変えたからといって、騒ぎ自体が大きく変わるわけではなかった。1960年代半ばには、看板破損などの弁償金が81万円に達したとの記述もある(『早稲田キャンパス』1964年6月15日)。

そして、歌舞伎町での騒ぎが確認できるのは、1960年代の半ば以降になる。歌舞伎町は、冒頭でも触れたように、戦後新たにつくられた街である(資料①の地図中の「⑤新興娯楽街」にあたる)。1948年に「歌舞伎町」として誕生し、その後、都電駅の近辺への移動、西武新宿線の延伸、博覧会の開催、コマ劇場の開設など、人が集まる要素が重なり、「追分〔三丁目付近〕からその地位を奪ったのは三十二年〔1957年〕ごろである」(『新宿の今昔』P.284)とあるように、新宿の娯楽の中心地として発展を遂げていく。そのような歌舞伎町に早慶戦終了後の早大生が集うようになるのは、「歌舞伎町界隈(かいわい)」や「歌舞伎町の小公園」での騒ぎという記事(『朝日新聞』1964年11月9日、『読売新聞』1966年11月2日など)が見られるようになる1960年代半ば以降のことと思われる。また、1964年に新宿コマ劇場前に「レインボーガーデン」なる広場(現:シネシティ広場)が憩いの場として開設されたことも遠因の一つかもしれない。こうして、新宿の街の移り変わりとともに、早大生にとっての“大騒ぎ”の場も変遷していったのである。

資料③「歌舞伎町中央広場」(昭和30年代の新宿コマ劇場前の風景)所蔵:新宿歴史博物館

以上、本稿では主に戦後の新宿における「夜の早慶戦」の場の変遷をたどることで、歌舞伎町コマ劇場前が舞台となるところまでを確認した。騒ぎの内容にあまり変化がないように思われるが、1970年代以降はいかに推移していくのであろうか。本シリーズ【第3回】では、その時期を取り上げる予定である。

(参照・引用文献)
・芳賀善次郎『新宿の今昔』(紀伊国屋書店、1970年)
・河村茂ほか『新宿・街づくり物語』(鹿島出版会、1999年)
・歌舞伎町商店街振興組合編『歌舞伎町の60年』(2009年)

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「夜の早慶戦」盛衰記【第1回】

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