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「夜の早慶戦」盛衰記【第1回】

戦前期の「夜の早慶戦」―銀座を舞台とした早慶生の“場外乱闘”

大学史資料センター 非常勤嘱託 宮本 正明(みやもと・まさあき)

昨年(2018年)の「早稲田に歴史あり」では、戦前の早慶野球戦(以後、早慶戦)の開始・中断・復活に至る経過の描かれた回があった。早慶戦の醍醐味(だいごみ)はもちろん神宮球場でのプレーにある。とはいえ、学生側にとっての早慶戦とはその前夜・後夜の“大騒ぎ”を含むものでもある。今回は、早慶戦終了当夜の繁華街で学生が“大騒ぎ”する姿に焦点をあて、3回に分けてその変遷をたどる(タイトルの「夜の早慶戦」とは、この“大騒ぎ”を指して戦後の時期によく用いられた表現である)。

銀座での早慶生の検束を報じる『読売新聞』1936年11月2日付の記事。見出しとは裏腹に、早慶生の乱闘・検束に関する記述は記事末尾の6行のみ。写真は銀座における学生検束の様子で、警察に検束された学生数(早大生28人・慶大生6人)を試合の得点に見立てた見出しとなっている。

【第1回】で取り上げるのは戦前期の情景である。1925年の早慶戦復活と東京六大学野球連盟発足に伴い、早慶戦の関連報道は改めて一大トピックとなるが、1920年代後半から早慶戦終了当夜の“大騒ぎ”に関する記事が現れ始める。新聞紙面から把握できる限りでは、慶大による六大学リーグ戦の制覇・早慶戦の勝利が続いた1927~29年の時期に、慶大生による銀座での“大騒ぎ”が繰り返され、その後、慶大生であふれる銀座に早大生が乱入するようになり、両者の衝突が「恒例行事」と化していく、という流れであるようだ。当時の報道はしばしば、これを「銀座早慶戦」と呼んでいる。

当夜の銀座は、飲み歌い練り歩く早慶生と、警戒態勢をとる警官隊・大学側の巡回員でごった返す。飲食店・喫茶店の占拠、卒業生目当ての“無銭飲食”、店内の商品・備品の破壊などが学生によって引き起こされ、さらに早慶生による大小の乱闘があちこちで頻発する。時には、「早々戦やら慶々戦」といった同士打ちや、早慶生の衝突に便乗して暴れ込む部外者も見られたほか、通行人が巻き込まれたり、電車・自動車がストップすることもあった。早慶生が銀座で仲良く交歓するケースも決してなくはない(1933年春季リーグ時など)のだが、1933年の秋季リーグ以降はほぼ毎回のように、両者の衝突が報じられている。警察に検束される早慶生も毎回数人から数十人に及んだ。

一方、早大生は当夜の新宿にも繰り出していることが、1930年代の新聞記事から確認できる。新宿は関東大震災以後、デパート・娯楽施設や多くの飲食店が軒を連ね、「山の手銀座」の地位を神楽坂から奪う賑(にぎ)わいを見せていた。早慶戦終了後の早大生の流入は、新宿が「早大の縄張(なわばり)」であるという意識をもたらす一つの原動力となった。当夜の様子については、新宿駅が「早大色にぬりつぶされた」という報道や、武蔵野館(映画館)前で「円陣をつくって校歌を合唱し『ワセダ、ワセダ』のエールを夜おそくまで絶叫しつづけた」という卒業生の回想がある。慶大生の乱入こそないものの、近辺の飲食店・喫茶店での“無銭飲食”や備品の破壊などを伴ったのは銀座と同様であった。

1937年7月の日中戦争開始以降、「銀座早慶戦」は「自粛」へと向かう。しかし、完全に途絶えてしまうわけではない。1940年の春季リーグの場合、早慶戦一日目は「興亜奉公日」(注)にあたるため静かな夜を迎えたものの、二日目は一転、銀座で早慶生の衝突が起こっている。同時に新宿でも早大生の一団が武蔵野館前や路地で校歌合唱や「乱舞」を演じており、“大騒ぎ”の“健在”ぶりが示される格好となった。

※1939年8月の閣議決定により同年9月から毎月1日が「興亜奉公日」と定められた。当日は「戦場ノ労苦ヲ偲ビ自粛自省」すべきとされ、「自粛自省」の中には禁酒や、料理店・飲食店などの営業時間短縮も含まれた。

早慶生の“大騒ぎ”を巡っては、現役学生・大学当局・卒業生や市民・文化人も含め、当時からその賛否が議論されていた。おおむね“大騒ぎ”には批判的であり、「ヤクザ大学生的豪傑さの誇張的表現が早稲田スピリツトの発露なりと解してゐるのか」(現役学部生)といった辛辣(しんらつ)な指摘もある反面、「少くとも学生時代は社会に害を及ぼさぬ程度の罪のない騒ぎは大目に見ていいと思ふ」(卒業生)という意見も見られる。

ともあれ、戦前期から早慶戦には「夜の早慶戦」がつきものであった。

「早慶野球戦後に於ける学生の行動報告」(1940年6月4日)。1940年春季リーグの早慶戦終了後、6月2日夜の新宿・銀座における早大生のふるまいや検束状況に関する早大当局の報告書。新宿での“大騒ぎ”のメインスポットは、武蔵野館やムーラン・ルージュ(劇場)が立ち並ぶ盛り場(現在の新宿東口“ビックロ裏”一帯)にあったことが分かる。新宿では検束こそなかったものの、銀座では築地署による検束者数が早大生25人・慶大生39人にのぼった。

(参照・引用文献)
・『東京朝日新聞』『読売新聞』『早稲田大学新聞』の関連記事(参照した記事が多数になるため日付の列挙を省略)
・石黒敬七「理想的な早慶戦」『早稲田大学新聞』1936年11月4日付(著者は1921年卒業、柔道家・随筆家)
・都南雄「(投書)早慶戦当夜を想う」『早稲田大学新聞』1939年5月31日付(著者は早大政治経済学部生)
・湯沢光行「しんじゅく今昔」『早稲田』第109号、早稲田大学広報課、1970年6月(著者は1931年卒業)
・杉山謙治(早大調査課長)「早慶野球戦後に於ける学生の行動報告」1940年6月4日、「自大正12年10月至昭和16年10月 諸通達綴」所収(大学史資料センター所蔵「第一早稲田高等学院関係資料」)

◆関連記事:「早慶戦」復活と六大学野球の始まり

学生部からの注意 早稲田大学学生部は現在、学生の飲酒マナー向上に取り組んでおり、毎年、飲酒行為に関する注意を学生に呼び掛けています。未成年の飲酒が絶対禁止であることはもちろん、飲酒の強要はアルコールハラスメントであり、さらにお酒の力を借りた行為で場を盛り上げたり、「酒の強さ」をアピールするなど格好付けて飲むことも重大な事故につながる危険行為です。高田馬場駅前周辺などでのグループ単位での集合も、禁止行為としています。
また、飲酒行為以外でも公園、宿泊施設、公共機関、繁華街や公道でのマナー違反について、大学に度々苦情が寄せられています。違法薬物・危険ドラッグの使用・所持など、法律に違反する行為を絶対に行わないようにしてください。
早稲田大学学生部からの飲酒に関する注意喚起

 

「夜の早慶戦」盛衰記【第2回】

「夜の早慶戦」盛衰記【第3回】

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