Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

早稲田における校外教育と夜間教育の系譜【第1回】

“筆”と“口”をもってする校外教育-通信講義録と巡回教育

大学史資料センター助手 佐川 享平(さがわ・きょうへい)

写真① 講義録の副読本『新天地』

早稲田大学における校外教育の歴史は古く、東京専門学校開校から4年後の1886年には、早くも通信講義録を刊行し、通信教育事業に着手した。また、1893年には、講師陣が各地方に出向いて講義・講話を行う巡回教育が、巡回講話の名称で始まる。こうして、校外教育部趣意書(1910年)の表現を借りれば、「筆を以てする」通信講義録と「口を以てする」巡回教育を二本の柱として、戦前早稲田の校外教育は展開されることになる。

通信講義録の購読者には、「校外生」として聴講や図書館利用などの権利が与えられ、修了して試験に合格すれば正規の課程に編入できた。購読者の多くは日々の仕事や生活に追われ中途で脱落していったとはいえ、高知県から寄せられた一校外生の投書(下記)にみるように、講義録は確かに、教育を受ける機会に恵まれない人々の向学心に応えるものだった【写真①】

毎月来る講義を一々、かみ砕いて行く程心地のよい事はありません、私はこれが何よりもの慰みです、ひねもす野に出て働き夕にかえりて机に向うて中講〔中学講義録〕を読むとき程嬉しい事はありません、私は独学者として奮闘努力の一生を送らんと思っています(『新天地』1924年5月号)

写真② 長岡市にて、増水のため船で講演会場へ行く講師一行(1911年)

一方、1910年の校外教育部設置とともに規則が整えられた巡回教育は、「招待する者さへあれば三人五人の学者が隊を結むでドコへでも行つて講釈をする」(市島謙吉「夏期講習会に於て来会者に告く」『早稲田学報』199、1911年9月)というスタイルで、1カ所につき5~10日間の日程で実施された【写真②】。それは、講師を招待する地方の有志らの熱意に支えられたものでもあった。

写真③ 家永豊吉

こうした取り組みの基礎に据えられていたのは、ユニバーシティ・エクステンション(大学開放・大学拡張)という理念である。ユニバーシティ・エクステンションとは、19世紀後半の欧米諸国で興隆した高等教育普及運動であり、運動の先進国であるイギリスとアメリカでは、学外での巡回教育や講義録による通信教育が盛んに実施されていた。1892年にアメリカ留学から帰った講師・家永豊吉【写真③】がその動向を紹介して以降、早稲田はこの理念を積極的に取り入れ、通信講義録と巡回教育を、「その目的とする所は、ともに大学教育の普及にありて、かの欧米に所謂大学拡張事業(ユニヴァーシテー・エキステンション)と正しく揆を一にするものなり」(『廿五年紀念早稲田大学創業録』1907年)と位置付けたのである。

巡回教育は少なくとも1920年代半ばまで実施され、通信講義録事業は幾度かの経営危機に見舞われながら、1956年まで命脈を保った。ユニバーシティ・エクステンションという確固たる理念に裏打ちされた早稲田の校外教育は、「新知識の普ねき伝道」(校外教育部趣意書)を使命として、“筆”(講義録)と“口”(巡回教育)によって多くの人々に学びの機会を提供し、同時に、早稲田の名を全国へと広めていったのである。

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