早稲田で響き合う 舞台実践と学術研究
「劇場にぜひ足を運んでみてください。意外にハマってしまうかもしれませんよ」──そう楽しそうに語る石井道子所長。オペラ/音楽劇は決して敷居の高い芸術ではなく、一部の愛好家だけの娯楽ではないといいます。伝統の上に立ちながらも、社会の諸相を写し、未来を見て変容を続ける総合芸術。そこに魅せられた研究者や実践者、学生や一般の人々も交えた大きな研究グループが、日々活動を続けています。
◆多彩な学問の可能性に満ちたオペラ/音楽劇の世界
──芸術系の大学ではなく、早稲田大学でオペラ/音楽劇を研究することの意義はどのようなところにあるのでしょうか。

石井道子(所長/早稲田大学理工学術院教授)
オペラやミュージカルといった音楽劇は、とても多くの要素を備えていて、さまざまな側面から光を当てることができる総合芸術だといえます。歌ったり演じたり、演出したり、舞台美術を創作したりといった芸術の実践だけでなく、文学、演劇学、音楽学、舞踊学、美術、映像学、メディア学などという多様な学問分野との接点があり、学際的なアプローチが可能です。その時々の社会的背景との関わりや、歴史的な考察も研究対象となるでしょう。そこには芸術大学や音楽大学などの単科大学で学ぶのとはまた違った魅力がありますし、早稲田のような総合大学だからこそ味わえる学問の世界が広がっています。
──学内各所に散らばるそうした叡智を結集する場所として、この研究所が生まれたわけですね。
そうですね。早稲田にはオペラ/音楽劇を専門に学ぶ学科や専攻はありませんが、いろいろな分野で個別に進められてきた研究の積み重ねがありました。いわば、分業のような状態ですね。それは早稲田に限らず、日本の学術界全体にもいえることで、この研究所ができるまでは、オペラ/音楽劇に対して総合的に研究する場所や機会はほとんどなかったように思います。それぞれ別々に取り組むよりも、まとまって進めたほうが学問領域としての深みが増すのではないか。研究者同士の情報交換や若手の育成にも効果があり、より発展が望めるのではないか。そんな思いから研究所を立ち上げたと、私自身は当初のメンバーではありませんが、そのように聞いています。
──それが2002年とのこと。長いこと活動を続けてこられたのですね。
はい。最初は「21世紀COEプログラム」という文部科学省の助成事業に採択された、早稲田大学演劇博物館・演劇研究センターによる取り組みの一環として始まりました。「演劇の総合的研究と演劇学の確立」という大きなテーマの下で「オペラ/音楽劇の総合的研究プロジェクト」が動き出し、そこでの成果を踏まえて後続の「グローバルCOEプログラム」においても活動を続け、2011年にプロジェクト研究所の一つとして現在の研究組織へと昇華したという流れです。その間、のべ200回を超える研究会を開くなどして、他大学の研究者を交えた共同研究や、上演現場に携わる方々との交流が進められました。
──実際に舞台をやられている演者や演出家、演奏家の方々も、研究活動に参加されているのですか。
私たちは「オペラの舞台実践と学術研究の結合・両立」を基本方針の一つに掲げていて、そうした方々との共同企画で実際にオペラを上演したり、それに関わる講義やシンポジウムを組み合わせたりといった活動にも力を入れています。例えば、昨年(2025年)12月には、「アレッサンドロ・スカルラッティ没後300年記念シンポジウム:バロック・オペラの規範の確立と展開」を演奏付きで行いました。
アレッサンドロは息子のドメニコと並んで知られるバロック時代のオペラ作曲家ですが、その真価はまだ研究途上にあり、初期・中期・後期におけるオペラの製作背景や作品の分析、欧州各地での受容について考察するのがこの講演会の目的でした。そうした研究発表に実演が加わることで、一般聴衆の方や研究者自身の理解が深まりますし、演奏者の方からも貴重な刺激になるとの反響をいただいています。
◆歴史を識り、今を観て、未来を望む研究の面白さ
──オペラ/音楽劇研究所の具体的な研究テーマについてお聞かせください。
重点研究領域として「オペラと舞踊」「オペラと文学」「オペラとメディア」を設けていましたが、2026年度からはこれに「オペラ劇場の未来」を加えた4つのテーマに方向を定め、さまざまな分野の専門家が連携して研究を進めています。研究所員は私を含めて9名で、学外からの招聘研究員が30の機関から40名という多彩な体制です。さらに、学生や一般の方々も参加可能な協力組織の「オペラ研究会」には約150名の会員がいますので、総勢約200名の集合体が、いろいろな形で研究活動に関わっている状況です。
──舞踊というと、バレエがありますが、オペラとの結びつきが強いのですか。
今でこそオペラとバレエは別のジャンルと認識されていますが、実は起源は一つで、400年ほど前、ルネサンス期のイタリアで生まれた宮廷娯楽に端を発して発展しました。歌あり、踊りありの総合芸術だったんですね。特にフランス王のルイ14世は熱烈なバレエの愛好家で、バレエを多用するフランス・オペラの礎を築き、現在のパリ・オペラ座バレエ学校へとつながる王立舞踊アカデミーを創設しました。
私たちは歴史的背景を踏まえ、広義のオペラ芸術の一つとしてバレエや舞踏、ダンスを捉え、その関係性について研究しているわけです。日本では大正時代に、帝国劇場で「歌劇」「喜歌劇」や、ここでバレエを指導したイタリア出身のG.V.ローシーによる「西洋舞踏」「バレー」も上演されました。その流れを汲む「浅草オペラ」というものには「バレー」と称する作品も含まれていて、日本での普及の原動力となりました。ただ、実際どのような舞踊であったのか、不明な点が多々あります。そうした当時の資料について調査分析することも、この研究所の使命です。昨年3月には「浅草のダンス、浅草のバレエ」と題するシンポジウムを開き、近代日本における洋舞受容の一事例としての浅草オペラに焦点を当てました。
──「オペラ劇場の未来」を新たなテーマに加えたのはどのような思いからでしょう。
今までの研究はどちらかというと、過去のことに目を向けることが多かったと思います。また、一般的にもオペラというと、何となく古くさい印象があり、伝統芸術に特有の特権的な臭いが感じられることも確かです。つい先日も、若きハリウッド俳優がオペラやバレエを揶揄する失言をして物議を醸しましたね。芸術界は猛反発しましたが、若い世代を中心に、古くて関心を持てないものとして斥ける風潮があるのは否めないでしょう。であれば、私たち研究者も行動を起こし、実は多様化し現代化しているオペラの一面を伝えるとともに、その未来像を探究しなくてはならないのだと思います。
実際、日本を含む世界中のオペラ劇場で、新作オペラを創作したり、旧作に新しい演出や解釈を加えたりする試みが進められています。例えば、同じ演目を同じ曲、同じ歌詞で演じるにしても、衣装や立ち位置を変えるだけで、まったく違った味わいが生まれます。誰が演じるのかも重要です。外国人が扮する蝶々夫人に違和感はないか、アフリカ系アメリカ人の役を誰がどう演じるか、ジェンダーをめぐる描き方をどうするかといった、現代社会の諸相に即した議論も行われています。舞台上の表現だけでなく、劇場が社会に開かれる回路そのものも変わりつつあります。学校連携や参加型ワークショップといった教育普及、近年では健康・福祉領域への展開も進んでいて、劇場の公共的な役割が問い直されています。
◆若い世代に伝えたい、オペラ/音楽劇の楽しみを現場から
──石井先生はドイツ文学・語学がご専門とのこと。どのようなきっかけでオペラ/音楽劇の研究に関心を持たれたのですか。
もともと中世ヨーロッパの文化や文学、音楽が好きで、大学では文学・語学を専攻したので音楽は研究対象ではなかったのですが、オペラは若い頃からよく観に行ったりしていました。それが、早稲田にこうした研究活動があることを知り、ご縁があってメンバーに加わることになりました。
一つの芸術をいろいろな角度から見て、多くの人たちと専門性をまたいで研究するのは本当に面白いですね。何よりも皆、オペラに対する並々ならぬ愛着があり、文化をつなぎ、学問を深めることに誇りを持っている。そういう思いを共有する方々と、一緒にオペラ/音楽劇を支えていける喜びというのが大きいです。
──今、ご自身の中で温めている研究テーマはありますか?
ゲーテが18世紀に書いた『若きウェルテルの悩み』。約100年後にフランスでオペラ化されました。20世紀以降の人気オペラの一つですが、日本でも間もなく、新国立劇場で『ウェルテル』として上演されますね(※2026年5月24日より新国立劇場オペラパレスにて上演)。
原作は主人公のウェルテルが友人に打ち明け話をする書簡として書かれているのですが、オペラではウェルテルが恋い焦がれる女性シャルロッテや、その婚約者でやがて夫になるアルベルトも登場し、それぞれの思いを歌詞に託して歌うことになりますから、それをどう解釈し、表現するかによって原作とは違った趣が出てきます。例えば、二人の男性の間でシャルロッテの本当の気持ちはどう揺れ動くのか。そうした演出の妙、原作からの変化、フランスにおける受容のあり方など、研究対象としても面白い要素がたくさんあり、近いうちにシンポジウムで取り上げたいと思っています。
──そうしたお話を伺うと、実際に劇場に行って観てみたくなりますね。
ええ、ぜひそうなさってください。今は多くの劇場公演で、日本語の字幕も付くんですよ。上演自体はイタリア語とかの原語で歌われますが、舞台の上部か両端に電光掲示板があって、そこに歌詞やセリフが流れます。ですから、それほど予備知識がなくても大体のストーリーはわかると思います。
それに、音響も舞台装置も豪華。足を運ぶ価値はあります。チケットのお値段はちょっと高めかもしれませんが、若い方なら特別価格があります。例えば、新国立劇場では、オペラS・A席が25歳以下で5,000円、39歳以下で11,000円、公演当日の残席は学生割引で50%オフ、というように(※2026年5月現在)。
──これまでの研究成果と、今後の抱負についてお聞かせください。
シンポジウムや月例研究会での報告など、さまざまな形で成果発表を行ってまいりましたが、誰でもご覧いただけるものとしては2冊の書籍出版があります。一つは、2021年発行の『オペラ/音楽劇研究の現在─創造と伝播のダイナミズム』、もう一つは今年(2026年)2月に出した最新刊『オペラ/音楽劇研究の最前線─共鳴する人と社会』(ともに水声社)です。プロジェクト研究所は5年ごとに更新期限を迎えますので、それに合わせて成果をまとめました。オペラ/音楽劇の現在地を十数名の専門家が多角的に論じた、他に類書のないものと自負しています。
また、研究所として隔年で発行する学術雑誌『早稲田オペラ/音楽劇研究』もあり、今年3月の発行で第5号を重ねることができました。こちらもぜひご覧ください。

書籍・学術雑誌の詳しい情報はオペラ/音楽劇研究所 公式WEBサイトから
オペラ/音楽劇研究所は2026年度から、2030年度までの第3期をスタートさせました。これまでの活動で築かれた大勢の研究者の協力体制を土台として、個々の研究と共同研究を両輪に、演奏付き講演会などを通じた「学術と実践の結合」をよりいっそう強めていきたいと考えています。







