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「一箪之醪使投諸河……」中野正剛の書額をご寄贈いただきました
〔2023年度寄贈中野正剛書額等〕
Tue 03 Sep 24
〔2023年度寄贈中野正剛書額等〕
Tue 03 Sep 24
早稲田大学歴史館では、本学の歴史に関連するさまざまな資料を収集しています。学内箇所から移管された文書・記録等だけでなく、本学にゆかりのみなさまからご寄贈いただいた資料等を、整理・修補のうえアーカイブズとして保存しています。また展示や『早稲田大学史記要』などで調査研究の成果を公開しています。
2024年4月、早稲田大学歴史館(館長:真辺将之文学学術院教授)は、篤志の方より中野正剛筆の書額をご寄贈いただきました。

早稲田大学歴史館『〔2023年度寄贈中野正剛書額等〕』
中野正剛は1886年(明治19)、福岡市西湊町に生まれました。修猷館中学校を経て早稲田大学高等予科に進み、1909年(明治42)に早稲田大学大学部政治経済学科政治専攻を卒業しました。『早稲田大学百年史』は一節を割いて、中野について記述しています。
大学卒業後間もなく、東京日日新聞に入社したが、およそ三ヵ月後に、恩師浮田和民の勧めにより東京朝日新聞社に転じ、主筆池辺三山の知遇を得た。新聞記者として天稟の才を持っていた中野は、却ってこれが禍となって同僚と不和になり、朝日新聞からの退社を早めた。盟友緒方は、「中野君は中学時代から新聞記者志望で、又天成の新聞記者ともいふべき資質を具へてゐた。その私がその後三十五年も新聞社の飯を食ふやうになり、中野君が早く新聞社を見棄てて了つたことを今でも私は時々残念に思ふのである。しかし、新聞記者を見棄てたことは好いとして、中野君が政治界に入つた後も、いつも朝日新聞を去つた時と同じやうな心境の裡に、革新俱楽部から民政党、民政党から国民同盟、東方会と同じやうな去就を繰返したのではないかと、彼の志を悲しむの情に堪へなかつた」(同書三三―三四頁)と、述懐している。中野は、東条英機内閣が出現して軍閥独善の下に輿論を圧迫するのを見て、打倒東条を決意した。すなわち昭和十七年十二月二十一日、日比谷公会堂で時局批判大演説会を開き「天下一人を以て興る」と題して大熱弁を振い、東条内閣に宣戦を布告した。次いで翌十八年正月『朝日新聞』紙上に発表した「戦時宰相論」を、東条が一見して怒気満面、直ちに朝日新聞に発売禁止の命を出した。遂に十月二十一日に至り中野およびその一党を撲滅せんものと、彼を拘引した。しかし、拘留請求の却下により、二十六日釈放されたが、憲兵隊はなお諦めず、憲兵隊員を中野邸に同居させて監視した。軟禁状態になった彼は覚悟を決め、翌二十七日午前零時、代々木の自宅で自刃して果てた。
今回ご寄贈いただいた書軸は、絹布に墨筆で以下の文言が記されています。
一箪
之醪使
投諸河
与士卒
同流而
飲 録
兵家語
耕堂正剛
[中野正剛][耕堂]
この文句は、用兵の肝要を説くものとして古典にたびたび登場します。寄贈者の祖父は中野の親戚で、陸軍大尉を務めていたことから、「将の心構え」として中野が祖父に書き与えたのではないか、と寄贈者は推測しています。
本資料群(仮称:〔2023年度寄贈中野正剛書額等〕)は、その他の資料と併せて2025年度をめどに文化資源データベースにて目録を公開する予定です。