【国際文学館翻訳プロジェクト】オチルフウ ジャルガルサイハンさん 滞在レポート(2026/6/6-6/29)

「国際文学館翻訳プロジェクト」は、若手翻訳者の育成、翻訳文学の発展、そして世界各国の翻訳者交流を目的として、2024年度にスタートしました。その一環として、海外の翻訳者を日本に招き、1か月ほど滞在していただきながら研究活動や講演、ワークショップを行う 「翻訳者レジデンシー」 を実施しております。今年度は公募を実施し、3名の参加者が決まりました。そのうちのひとりが、モンゴル在住の翻訳者オチルフウ ジャルガルサイハンさんです。2026年6月6日~6月29日の期間に滞在し、6月10日にはトークイベントTranslators Talk】海外に広がる日本文学 エジプト・モンゴルの場合にご登壇いただき、モンゴルにおける日本文学事情についてお話しいただきました。以下、ジャルガルサイハンさんの滞在レポートをお届けします。


森鴎外、夏目漱石、村上春樹 三人を結ぶ文学的絆の探検記
―村上春樹ライブラリーから私が持ち帰ったもの―

村上春樹ライブラリーを訪れた時、私は村上さんが描いた羊の絵の前に腰を下ろし、静かに本棚を眺めるのが好きです。

そんな時に森鴎外、夏目漱石、村上春樹のあいだには直接的な師弟関係があるわけではありませんが、三人はそれぞれ異なる時代に世界文学と向き合い、近代日本人の孤独な内面を100年以上にわたって受け渡しているのではないかと気付いたのです。

森鴎外はドイツ、夏目漱石はイギリス、村上春樹はアメリカを中心とする世界文学に深く携わりました。その三人の道のりをレジデンシー期間中にもっと知りたいと思いました。

まず早稲田大学の喜久井町のゲストハウスに住んでいたので、すぐ近くにある夏目漱石山房記念館を訪れました。夏目坂を上っていくのはとても楽しかったです。

夏目漱石は亡くなるまでの9年間を漱石山房と呼ばれた早稲田南町の家で暮らしていたそうです。早稲田南町に転居した頃から文筆業に専念し始めた漱石は、この地で「三四郎」、「こころ」、「道草」、「それから」、「夢十夜」など数々の名作を送り出しました。夏目漱石は週1回木曜日に<木曜会>と呼ばれる文学サロンを開催し、それが若い文学者たちの集いの場になっていたのは、想像しただけで楽しくなります。

夏目漱石は、近代的な個人はいかに他者と関わりながら生きられるのかを問い続けたと思います。

「こころ」や「それから」の人物たちは、自由を求めながらも、孤独や罪悪感から逃げられません。彼らは他者とつながりたいと願う一方、自意識の壁によってその関係を自ら破壊してしまいます。そして、夏目漱石の猫は人間社会を外部から観察し、ユーモアと皮肉によって照らし出します。社会を見る眼鏡であるだけでなく、近代人の心の裂け目でもあるのではないかと思います。夏目漱石がイギリスから日本へ持ち帰ったもっとも大切なものは、イギリス文学そのものよりも<近代とは本当に人間を幸福にするのか>という疑問であったということを、彼の「倫敦塔」などをモンゴル語に訳した翻訳者として改めて感じています。また外から押し付けられた価値観ではなく、自分の内側から生き方を築く<自己本位>を提唱したことを記念館の雰囲気から実感しながら、CAFE SOSEKI でコ-ヒを飲みました。

数日後、私は文学散歩に出かけました。今度は、文京区立の森鴎外記念館です。

文学的散歩とは私にとって、ラクダの隊商が荷を運ぶ旅と同じような意味を持っています。

私は、日本の精神と文学の貴重な価値を、ラクダの荷のように運び、モンゴルの広大な草原へ届け、そこで下ろします。土地の人々はその荷を好奇心に満ちて開き、そこに広がる世界と出会います。

一方、遥かな道のりを旅してきたキャラバンの旅人自身も次第に変わっていきます。そしてその旅路の中で、精神的な孤独、憂鬱、卑下を深めていく可能性もあります。

さて、文京区は坂の町でもあります。

森鴎外にまつわる坂といえば、まずは団子坂が挙げられます。ここは近隣に暮らしていた室生犀星の短編「或る少女の死まで」(私がモンゴル語に訳した作品)の舞台でもあります。

切通坂の近くには、石川啄木が勤めていた銀座6丁目の朝日新聞から、夜勤帰りに通った坂道があります。石川啄木の詩は、モンゴルでは1985年に「近代日本短編選集」に載せられています。

作品の舞台を実際に歩くと、本で読んだだけではわからない理解をもたらすことがしばしばあるのです。また、作品と重ね合わせながら町を歩くと、涙があふれてくるほどに精神的な衝撃を受けることもあります。

森鴎外は明治23年から千駄木に暮らしました。亡くなるまで暮らした家が団子坂の上にあります。

森鴎外は「舞姫」に象徴されるように、国家、制度、義務と個人の愛や欲望との対立を描きました。森鴎外がドイツから持ち帰ったものは、知性と近代的自我であると思います。私自身も森鴎外の「鼠坂」をモンゴル語に翻訳し、そのように感じました。

森鴎外は世界の<知>を日本へ持ち帰り、夏目漱石は世界に出会った日本人の<こころ>を問い、村上春樹は日本人の孤独を世界共通の言葉で語りました。

村上春樹の主人公たちもまた、都会の中で一人暮らしをして、音楽を聴いて、失われた誰かを待っている。深い傷を抱えながらそれを大声で説明しない。料理や音楽、掃除、仕事といった日常の動作を通して、耐えている。森鴎外の抑制された悲しみは、村上春樹において静かな喪失の文体へ変化したと考えられる。村上春樹によって、従来の日本文学の重さや閉鎖性から距離を置いた、爽やかで透明な、開かれた日本語が生まれ、それが世界中で読まれているのではないでしょうか。

しかしその文体の奥には、戦争、暴力、歴史的記憶、損失、孤独という重い問題があります。

森鴎外が切り開いた近代的知性、夏目漱石が深めた内面的葛藤、村上春樹が世界へ開いた孤独の物語は、一本の川のようにつながっています。この三人の文学的な絆とは、時代を超えて受け継がれた日本文学の精神そのものではないでしょうか。

森鴎外、夏目漱石、村上春樹の三人が目指したのは、西洋文化の単純な輸入ではなく、世界という鏡を通して日本を見直し、日本語の表現と日本人の内面を新しくすることだったのです。私は村上春樹ライブラリーにいるとき、これを深く実感しました。私の持ち帰るものはここにあるのではないでしょうか。

早稲田大学国際文学館のレジデンシー期間中の一番重要なイベントは、Translators Talk で、柴田元幸さんとの対談でした。モンゴルにおける日本文学の受容を村上春樹の作品を中心にして話しました。柴田元幸さんならび村上春樹ライブラリーの皆さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

また、雨の日も雪の日も、十年近くにわたり、毎朝その本を開き、モンゴル語に訳するために読み、研究し、愛し続けてきました。その作品を生み出した作家の村上春樹さんにお会いできたことは、私の人生における忘れがたい瞬間となりました。心から感謝申し上げます。

そして今回、翻訳者として参加させていただいた国際文学館のレジデンシーの経験を通して、村上春樹「図書館奇譚」、「螢」、「めくらやなぎと眠る女」、森鴎外の「じいさんばあさん」、井上靖「石庭」、「死と恋と波と」などをモンゴル語に翻訳する思いを膨らませて帰国しました。

 

オチルフウ ジャルガルサイハン(Ochirkhuu Jargalsaikhan)

モンゴル国フブスグル県出身。モンゴル国立大学文学部卒業後1993-1998年まで国費留学生制度(教員留学制度)により日本留学。1998年からモンゴル大統領府大統領補佐官をへて現在モンゴル日本文学会代表。日本文学の翻訳者として活躍中。日本文学のモンゴル語翻訳としては、司馬遼太郎、村上春樹、夏目漱石、森鷗外、中島敦、泉鏡花、岡本かの子、太宰治、芥川龍之介、三島由紀夫、室生犀星、川村元気などの作品を手がけている。

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