『Miss Saigon』から聴く世界 ―トーク&歌唱イベント― (2026/7/28)レポート
2026.09.14
国際文学館では、2026年5月から企画展「『ミス・サイゴン』から見る世界——戦争、難民、そして文学」を開催しています。
『ミス・サイゴン』は、ベトナム戦争末期のサイゴンを舞台に、ベトナム人少女とアメリカ兵との愛と過酷な運命を描いたミュージカルです。企画展では、この作品を出発点にベトナムの歴史をひも解き、戦争終結後、アメリカに渡った難民たちによるベトナム系文学を紹介しています。
7月28日、この企画展に関連し、ミュージカル『ミス・サイゴン』の出演者をお招きし、イベントを開催しました。イベントでは、国際文学館館長の麻生享志さんが、作品の背景となったベトナム戦争の歴史や難民問題などについて講演しました。また、ミュージカル出演者のルミーナさん、小林唯さん、金本泰潤さん、伊藤広祥さん、植木達也さん、小林遼介さん、高瀬育海さん、深堀景介さん、古川隼大さんが登壇し、劇中歌を披露したほか、作品にまつわるトークを繰り広げました。司会は東宝株式会社『ミス・サイゴン』日本公演プロデューサーの塚田淳一さんが務めました。

『ミス・サイゴン』は、1989年のイギリス・ロンドンでの初演以降、世界各国で上演されている人気ミュージカルです。着想のきっかけとなったのは、脚本家のクロード=ミッシェル・シェーンベルクが、雑誌で目にした一枚の写真だったといいます。写っていたのは、ベトナム戦争末期、サイゴン空港でベトナム人の母親がアメリカ人兵士との間に生まれた娘をアメリカへ送り出そうとする姿でした。
麻生さんはスクリーンに映し出されたこの写真を示しながら、「アメリカ人兵士とベトナムの女性との間に生まれた子どもは過酷な環境におかれ、その先、どうなるかはわからなかった。そんな状況で母親は泣く泣くアメリカの父親のもとに子どもを送り出しています。こうした光景は当時のベトナムでは珍しいものではなかったようです」と説明。続けて、ベトナム戦争について解説します。
第二次世界大戦後、フランスの植民地だったベトナムは独立を求める戦いを続け、1954年にフランス軍が撤退。その後、ベトナムは北と南に分断され、北ベトナムはソ連や中国の支援を受ける共産主義政権に、南ベトナムはアメリカの支援を受ける反共産主義政権となります。「ベトナム戦争は、北ベトナムと南ベトナムが内戦状態に陥ったというのが実態ですが、冷戦を続けるアメリカとソ連の代理戦争の舞台ともなっていました。ただ、ソ連や中国が軍事介入しなかったのに対し、アメリカが南ベトナムに送った軍事力が非常に大きかったため、当時の映像や報道を見た人は、アメリカ人とベトナム人が戦争をしているように感じたかもしれません」。麻生さんはこのように説明し、ミュージカルのテーマに言及します。
「『ミス・サイゴン』は、こうしたベトナムの国際情勢を見事に描きだしています。少女・キムはベトナム戦争による戦争孤児で、生計を立てるためにナイトクラブ・ドリームランドで働くことになり、そこでアメリカ人兵士のクリスと出会います。戦争に疲れ切っていたクリスはキムの純粋さに心を奪われ、愛に目覚めていきます。キムとクリス、そしてクリスの戦友のジョンは南ベトナム側の人物であり、クリスはアメリカを代表しています。一方、ベトコンのトゥイは、それと敵対する北ベトナムに近い存在です」。
トゥイはキムの幼馴染で、もとは婚約者だった人物。ベトコンとは南ベトナム解放民族戦線の通称で、反南ベトナム政府勢力として、北ベトナム政府と協力し、南ベトナム軍やアメリカ軍と戦う存在でした。

麻生さんの解説を受け、クリス役の小林さんが「戦争中、南ベトナムでアメリカ兵とベトナム市民との交流はあったのでしょうか?」と質問すると、麻生さんは意外な事実を明かしました。
「当時、サイゴンの若者たちの中には、アメリカのロックに夢中になり、コピーバンドを組んでアメリカ軍基地やナイトクラブで演奏する人々もいました。アメリカ兵もそれを楽しむなど、ベトナム市民との密接な交流があったようです」。
その後、ルミーナさんと小林さんが劇中歌「世界が終わる夜のように」を歌い、続いて、「命をあげよう」をルミーナさんが独唱しました。


イベント後半、麻生さんはベトナム戦争末期にアメリカ軍が行った作戦や、ボートピープルについて解説しました。
「フリークエント・ウインド作戦は、アメリカ軍がサイゴン陥落直前に、ベトナムに残っていたアメリカの民間人やアメリカ兵、さらには一部の南ベトナム人をヘリコプターで脱出させた作戦です。ベトナム撤退を知らせる合図として、ラジオで『White Christmas』が流れると、それを知っていた人たちが南ベトナムのアメリカ大使館に殺到したといいます。これは『ミス・サイゴン』の中でも有名なシーンになっています」。
1975年に南ベトナムの首都・サイゴンが陥落し、南ベトナムは崩壊しました。南北は統一され、ベトナム社会主義共和国が成立します。その後、共産党政権による統治を逃れ、自由を求めて小さな船で国外への脱出を図った旧南ベトナムの人々は「ボートピープル」と呼ばれました。こうした難民を、アメリカやオーストラリア、フランス、日本などが受け入れました。
そして、麻生さんは、アメリカ兵とベトナム人女性との間に生まれた子どもたち「ブイ・ドイ」についても言及します。
「ベトナム戦争後、ベトナムに取り残され、敵国の子として、迫害や差別の対象ともなったブイ・ドイは約5万人いたといわれます。ミュージカルでは、キムとクリスとの間に生まれたタムがブイ・ドイを象徴する存在として描かれ、ブイ・ドイをテーマにした歌も披露されます。『ミス・サイゴン』は、戦争によって生まれ、そして、取り残された子どもたちという非常に重いテーマを扱った作品ですが、そのなかでタムは一つの希望となっています。タムのようなブイ・ドイの多くは、その後、アメリカに渡りました。もちろん、すべての人が成功したわけではありませんが、2000年を境に、ベトナム系難民による新たなアメリカの文化や文学が生まれています」。
その後、ジョン役の金本さんがアンサンブルキャスト6人とともに劇中歌「ブイ・ドイ」を力強く歌唱しました。

イベント終盤、参加者から事前に寄せられた質問にミュージカルの出演者たちが答える場面もありました。
最近、ベトナムを訪れたという小林唯さんと金本さん。そのときの印象や学んだことについて問われると、小林さんは「戦争証跡博物館に展示された戦争の実態がわかる衝撃的な写真を見て、『これが、クリスがみたものなのか』と思い、その光景が目に焼き付けられました」と回答。金本さんは、「クチトンネルのツアーに参加したとき、ガイドの女性が『枯葉剤の影響は200年を経ないと抜けない。皆さんはベトナム戦争と呼ぶが、我々にとってはアメリカ戦争だった』と語ったことが強く印象に残っています」と述べました。


また、役作りのために参考にした本や映像作品はあるかという質問に対して、深堀さんは『フルメタル・ジャケット』、金本さんは『プラトーン』と、いずれもベトナム戦争をテーマにした映画をあげ、兵士としての葛藤や戦争の残酷な現実を知ったと話しました。10月の開幕を前に、これから稽古に入るという出演者たちは、「サイゴンスクール」という勉強会で、さらに詳しくベトナム戦争について学ぶそうです。
最後に、開幕に向けた抱負として、ジョン役の金本さんが「これから先輩方に教えていただきながら、作品の背景についてしっかり学び、役に落とし込んでいきたいと思います」、小林さんが「肝に銘じていることは、過去の声や死者の声など、人々の思いを自分たちが言葉で体現することです。歴史の代弁者という役割を担っていると思い、一生懸命やります」と語りました。そして、ルミーナさんが、「暗い作品ではありますが、そのなかにたくさんの愛があふれているお話でもあります。その時代に、それぞれが最善の選択をした上で起きた状況を描いていると思います。私たちもこの作品を皆様にお届けできるよう稽古を精いっぱい頑張ります」と述べ、イベントは閉幕となりました。


(早稲田大学国際文学館 橘晶子)
ルミーナ
東京都出身。日韓を拠点に活動するミュージカル俳優。2019年に単身で韓国へ渡り、ソウル大学音楽大学に入学。2023年、卒業と同時に韓国版ミュージカル『レ・ミゼラブル』でエポニーヌ役として鮮烈なデビューを果たす。翌年には東宝版でも同役を務めた。ミュージカルからオペラまで幅広い歌唱技術を得意とし、日本・韓国でのコンサートにも出演している。
小林唯
兵庫県出身。2013年に劇団四季研究所入所。『キャッツ』スキンブルシャンクス役、『アラジン』アラジン役、『美女と野獣』野獣役など数々の主要な役を務め2023年に退団。退団後の主な出演作品に『この世界の片隅に』水原哲役、『レ・ミゼラブル』アンジョルラス役、『ジャージー・ボーイズ』フランキー・ヴァリ役、『アイ・ラブ・坊っちゃん』山嵐役など。舞台『1995117546』ではストレートプレイにも初挑戦し、表現の幅を広げている。
金本泰潤
大阪府出身。横浜国立大学教育人間科学部卒業後の2015年、劇団四季へ入団。『ライオンキング』エド役で初舞台を踏み、3年目の2018年『ノートルダムの鐘』カジモド役に抜擢。以降、『キャッツ』マンカストラップ、『美女と野獣』野獣など主要な役を務める。オリジナル作品『ゴーストアンドレディ』ではグレイ役として世界初演に参加。2024年末に退団後は、俳優業に加えシンガーソングライターとしても活動の幅を広げている。
麻生享志
東京都出身。ニューヨーク州立大学バッファロー校博士課程修了(比較文学)。早稲田大学国際学術院教授。早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)館長。現代アメリカ文化・文学研究。著訳書に『「リトルサイゴン」』(2020年)、『『ミス・サイゴン』の世界』(2020年)、『モンキー ブリッジ』(ラン・カオ 著、2009年)、『蓮と嵐』、(ラン・カオ 著、2016年)、『ランとハーラン』(ラン・カオ、ハーラン・マーガレット・ヴァン・カオ著、2022年)。
【開催概要】
・開催日時:2026年7月28日(水)18時30分~20時
・会場:早稲田大学大隈記念講堂
・共催:東宝株式会社、早稲田大学国際文学館
※募集時の案内はこちら
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