【Translators Talk】海外に広がる日本文学 インドネシア・イタリアの場合(2025/10/21)レポート

早稲田大学大学院文学研究科修士課程 長尾和幸

2025年10月21日、早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)にて、トークイベント「海外に広がる日本文学――インドネシア・イタリアの場合」が行われました。本イベントは 国際文学館顧問・柴田元幸さんを中心に活動を進めている「国際文学館翻訳プロジェクト」の一環、Translators Talkの今年度第二回企画です。講演は柴田さんが司会進行を務め、ゲストのアンドリー・セティアワンさん(翻訳者で、インドネシアの出版社Penerbit Haru編集長。書籍の企画から翻訳までを手がけ、日本の作品を発信。国際文学館の「翻訳者レジデンシー」で来日)、そしてスペッキオ・アンナさん(イタリア・トリノ大学准教授で日本語・日本文学を担当。文学を中心に日本文化にまつわる書籍を翻訳・編集)がスライドによるプレゼンテーションを行いました。

セティアワンさん、スペッキオさんは、それぞれインドネシア、イタリアにおける日本文学の受容について、歴史的な流れから現在の傾向までを語りました。

インドネシアでは、日本による占領期以後、短編や英語を経由した翻訳などが80年代まで行われました。80、90年代には、『ドラえもん』や『セーラームーン』といったアニメや漫画から、『おしん』や『東京ラブストーリー』(1991年版)のようなドラマまでを含む日本のポップ・カルチャーが流行。これらは「アメリカではない海外」として広く浸透し、日本文学の受容と連動しているというのがセティアワンさんの見解です。2000年代になると、村上春樹や吉本ばななといった作家の作品がインドネシアに入り、この頃には日本語からインドネシア語への直接の翻訳が進んだといいます。また、90年代にインドネシアで育った人々が作家になると、日本を舞台に創作をする作家が増えます。 Winter in Tokyoという作品がベストセラーになったように、“Tokyo” がヒットのキーワードになっており、これらの作品には日本=「憧れの、完璧な国」というイメージが共通していたそうです。

そして現在のインドネシアにおける日本文学の受容を支える要因について、編集者だけでなく翻訳者自身が企画力や作品を推薦する力を持ち始めていることに触れました。また読者の読書習慣については、近年発展している「サイレント・ブッククラブ」という催しが紹介されました。人々が開催地に集まり、その名の通り「サイレントに」、黙々と各々好きな本を読み、時間がくれば集合写真だけ撮ってそれぞれに解散するという、一見して不思議な催しは、会場全員の関心を強く引きました。

発表の中では、翻訳された日本文学によってインドネシアにおける「日本」のイメージが独自に形成されている状況に対して、「日本人は日本文学をどう読んで欲しいのか」という観客への問いかけもありました。

翻ってイタリアでは、非欧米言語では日本語が最も多く翻訳されているというデータが示されました。中でもやはり村上春樹と吉本ばななの作品は、1990年代からイタリアで人気を獲得し、以後の日本文学への需要を作ったようで、イタリアの出版社は今なお「第二の村上春樹」となる日本の作家を待望しているといいます。

その村上春樹の作品である『ノルウェイの森』は、当初 “Tokyo Blues(トウキョウ・ブルース)”というタイトルで翻訳されました。というのは、イタリアの読者にも “Tokyo” は「引き」を持つキーワードになっていたようで、著者が無名の作品の翻訳タイトルには必ず“Tokyo” という語が用いられたというエピソードには会場から驚きと笑いが漏れました。 “Tokyo Blues(トウキョウ・ブルース)” は商業的に失敗したものの、のちに村上春樹の世界的な成功を受け、『ノルウェイの森』として出版社を変え、再び出版されたとのことです。

そして2000年代以後、村上春樹や吉本ばななの海外における成功をきっかけに、他の作家の紹介も進み、特に女性作家の作品が取り上げられ、日本の作家では桐野夏生が村上春樹以降最大の成功例となっているといいます。2000年代以降、イタリアでは日本の女性作家やその作品の紹介が顕著に増加しているそうで、こうした日本の女性作家の台頭には、家父長制や異性愛規範といった既存の覇権的な価値観に対するオルタナティブな物語、そしてその可能性を拓く女性ならではの視点に、国際的な関心・共感が高まりが現れているとスペッキオさんは指摘します。

またイタリアでは現在、いわゆる「癒し系」小説がブームで、皮切りとなったのは川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに』であったそうです。こうした小説の表紙は、パステルカラー、桜や着物など「和」の雰囲気、「カフェ」や「雑貨店」、そして「猫」といったイメージで統一され、似通ったデザインの書籍が書店の棚を満たしている様子が紹介されました。このようなやや市場の需要を重視した販促戦略は、やや意図的に読者を混乱させているようで、東野圭吾や三島由紀夫といった作家の作品もこの「癒し系」小説と同様の表紙で再出版されているといいます。

質疑応答では、太宰治の『人間失格』の再ブームがアメリカだけでなくイタリアやインドネシアにも波及していること、「癒し系」小説はイタリアに続きインドネシアでもブームの兆しがあること、また、インドネシアとイタリアいずれの国においても、InstagramやTik Tokのようなプラットフォームを介して “Bookstagram”、“booktok”といったSNSによる読者の拡大が試みられていることなどに話題が及びました。

セティアワンさんにより投げかけられた「日本人は日本文学をどう読んで欲しいのか」という見かけ以上に困難な宿題へは、残念ながら発言が出ませんでしたが、質疑応答は絶えることがなく、イベントは活気の中で幕を閉じました。


アンドリー・セティアワン
インドネシアの出版社「Penerbit Haru」の編集長であり、翻訳者。日本のエンターテインメント作品を中心に、企画から翻訳まで携わり、インドネシアの読者へ数多くの作品を紹介してきた。さらに、設立した「Penerbit Mai」では、若手翻訳者が学び、ポートフォリオを築くための場を提供することを目指して活動している。2025年には、翻訳者グループ「Rantai Kata」の仲間と共に、国際交流基金(JF)と連携し、日・イン翻訳ブートキャンプを企画・運営した。これまでに湊かなえ、秋吉理香子、市川拓司、新海誠、柏葉幸子、森博嗣といった作家の作品を翻訳。さらに、市川沙央、吉本ばなな、太宰治、宮沢賢治、壷井栄、田村俊子などの作品編集にも携わっている。

スペッキオ・アンナ
イタリア・トリノ大学准教授(日本語・日本文学担当)。研究分野は現代女性文学における女性像・フェミニズム・ディストピア/ユートピア。2024年に『現代女性作家読本㉑ 村田沙耶香』(鼎書房)の編集を担当。2025年には、イタリアにおける『美少女戦士セーラームーン』30周年を記念して『Nel nome della luna. Origini, Rivoluzioni ed eredità di Sailor Moon(月に代わって:セーラームーンの起源・革命・遺産)』(Società editrice La Torre)の編集を担当。日本文学のイタリア語翻訳としては、桜庭一樹、今村夏子、林真理子、松浦理英子、鹿島田真希、岩城けい、小野美由紀、八木詠美、李琴峰、村田沙耶香などの作品を手がけている。

柴田 元幸
米文学者、早稲田大学特命教授、国際文学館顧問、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、スチュアート・ダイベックなどアメリカ現代作家を中心に翻訳多数。文芸誌『MONKEY』日本語版責任編集、英語版編集。


【開催概要】
・開催日時:2025年10月21日(火)18時30分~20時
・会場:早稲田大学国際文学館 地下1階
・主催:早稲田大学国際文学館

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