Waseda Institute for Advanced Study (WIAS)早稲田大学 高等研究所

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中央アジアの新たな近現代史像を遊牧民の首領一族の動向から探る
秋山 徹 准教授

現代中央アジアにおける歴史実践から、新たな近現代史像を探る

秋山 徹 (Tetsu Akiyama) 准教授

私は中央アジアの近現代史像を、「歴史実践」というアプローチで研究しています。歴史実践とは、いま現在を生きる人々が時間を遡り、歴史上の様々な出来事を基点にして現在を見つめたり、未来を見据えることです。中でも私はクルグス(キルギス)のある首領一族にスポットを当て、彼らの歴史実践を、政治史だけでなく、社会的・文化的・宗教的側面を併せて総合的に考察しています。これまで中央アジアの近現代史像は、教育を受けた、いわゆる近代的知識人(インテリゲンツィア)の研究が先行していたわけですが、他方で、いわゆる「伝統」社会やそのリーダー(部族首領)の研究は未解明の部分が多く残されています。そうしたことから、中央アジアの民族のなかでも、「伝統」的要素を今なお色濃く残すクルグスを研究対象として選びました。

具体的には、ロシア帝政期からソ連時代を経て現代に至るおよそ1世紀半において、クルグスの一首領シャブダン・ジャンタイ(1839/40~1912年、以後シャブダン)を軸に、現在を生きるひ孫までの一族の行動を、記録やインタビューからたどり、彼らに対する評価を新聞や映画、戯曲、伝記などを通して分析しています。

私の研究は、3部作で成り立っています。第1部はシャブダンの伝記で、2016年に日本語のモノグラフを出版しました。第2部、第3部は現在進行形の研究です(図1)。

図1.ロシア・ソ連史の流れとジャンタイ=シャブダン一族の系譜

第1部:一族が生き残るための戦略

中央アジアの遊牧民たちは13~14世紀のモンゴル帝国時代をピークに中央アジアの草原地帯を拠点として、周辺の定住民地域に対して覇権を持っていましたが、その後相対的に後者の力が上回っていき、19世紀半ばごろになると、中央アジア一帯はロシア帝国(東部は清朝)に取り込まれていきます。

ロシア帝国が中央アジア一帯を征服する前、シャブダンの父・ジャンタイは、コーカンド・ハン国の宮廷に息子・シャブダンを仕えさせていました。ロシア帝国による中央アジア一帯の征服は、その土地の勢力と、そのリーダーである遊牧民の首領を味方にし「協力者」にすることで進んでいきました。つまりロシア帝国は、コーカンド・ハン国と密接な関係にあった父・ジャンタイに目を付け、取り込みを図っていくのです。父・ジャンタイは、ロシア帝国との軍事衝突が自分たちの破滅につながると悟り、ロシア帝国に「協力」することを選択しますが、単に手下になったわけではありません。コーカンド・ハン国、イスラム、中国の清朝など様々な人たちと接触してコネクションを築き、広範囲に情報を集め続けていたのです。そして、集めた情報を活用し、交渉役や媒介役としてうまく立ち回っていました(図2)。

ロシア帝国は、一族を味方に引き入れたものの、もとは敵国の有力者だったため、常に猜疑心を抱いていました。しかし、彼らのコネクションやそれを介してもたらされる情報を重視し、19世紀後期に中央アジア一帯を征服した後でさえも、一族を排除することはありませんでした。むしろ征服にあたっての軍功を高く評価し、息子シャブダンをロシア軍の陸軍中佐に任命しています(写真1)。ただし、19世紀末以降になると、シャブダンのような現地有力者の存在はロシア支配の「障害」として認識されていくようになります。

中央アジア近代史を研究するとき、遊牧民を支配していたロシア帝国側の資料を見ると、彼らは「戦闘的・好戦的」であるという「紋切り型のイメージ」をよく目にします。しかし、上記のようにシャブダン一族の歴史を紐解くと、単に馬に乗った勇敢な騎馬戦士だったわけではなく、情報や、情報を得るためのコネクションの重要性を明確に認識し、その獲得に努めていたことがわかります。またロシアとの関係においても、彼らの態度は言うなれば「面従腹背」であり、「協力」と「抵抗」をうまく使い分けていました。ロシアに限らず、帝国が異民族地域に勢力圏を拡大し、そこを支配下に治めようとする場合、現地の有力者の「協力」を得る必要があったわけですが、ジャンタイ=シャブダン一族の軌跡を通して、そうした現地「協力」者が有するモビリティや、彼らが帝国権力との間で直面した葛藤をより具体的なかたちで描き出すことができたと考えています。

図2.19世紀半ばの中央アジアの勢力図。斜線部右半分(トクマク)付近が、シャブダン達がいたと思われる場所

写真1.左から3番目が第1部で取り上げたシャブダン。1908年撮影 軍事勲章の付いたロシア軍服を身にまとっている

現在進行形の研究と今後の研究

第2部では、ソ連とシャブダンの息子や孫たち(写真2)の関係(1920年代くらいから1950年代くらいまで)を追っています。ソ連がスターリンの時代になると、シャブダンの子孫たちは排除された、というのがソ連の見解でしたが、1991年のソ連解体後に公開された資料を見ると現実は違いました。「ロシア帝国と父・ジャンタイ、息子・シャブダン」の時代から、両者はいろいろな葛藤を抱えながらけん制しあっていましたが、「ソ連とシャブダンの子孫」の時代になってもこの構図は変わりませんでした。ソ連は流刑などで子孫を排除しようとしましたが、彼らはそれまでに培ったソ連の高官との人脈を使って一時はそれを阻止し、現在でもしぶとく生き残っているのです。私は、このソ連とシャブダンの子孫とのせめぎあいや葛藤に大変興味を持っていて、2019年まで中央アジアやモスクワなどで史資料調査をし、執筆を行っている最中です。

第3部はシャブダンのひ孫、ジャヌル・アブディルダベク・クズゥ(写真3)の伝記で、ペレストロイカやソ連崩壊から今日までをカバーする予定です。シャブダン一族の継承者である彼女は理系のエンジニアとして活躍する一方、ソ連解体後はシャブダンの伝記を書き、銅像を建て、映画化に関わっています。私は彼女に何度かインタビューしており、今後は、この今を生きるひ孫の、過去との向き合い方や、それをどのように理解し表現するのかという「歴史実践」を通して、新たな中央アジアの近代史像を探りたいと思っています。

写真2. 第2部の主役、シャブダンの息子と孫たち

写真3.第3部の主役、ひ孫のジャヌル・アブディルダベク・クズゥ。左の写真:幼少時代。右の写真:左側の白髪の女性が現在のジャヌル・アブディルダベク・クズゥ

取材・構成:四十物景子
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School

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