Waseda Weekly早稲田ウィークリー

「オネエ」って言ってもいいんですか? 女装家ブルボンヌ×森山准教授“LGBT”談義

近年、マツコ・デラックスをはじめ“オネエ“タレントの存在も一般的になり、男性カップルの日常を描いたドラマ『きのう何食べた?』(テレビ東京)や、男たちの三角関係を描いたドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日)などが、深夜ドラマながら異例のヒットを記録。さらには海外のリアリティーショー『ル・ポールのドラァグ・レース』(Netfrix)、『クィア・アイ 』(同)の人気も手伝って、かつては“日陰”の存在であったセクシュアルマイノリティに対して、少しずつ理解が広がってきました。早稲田大学にも2017年から、ジェンダー・セクシュアリティに関する学生のための支援施設「GSセンター」が開設され、多くの利用者が訪れています。

そんな中「特別」から「普通」へと変わってきたように見えるセクシュアルマイノリティという存在を、当事者たちはどのように見ているのでしょうか? バラエティー番組への出演だけでなく、新宿2丁目にある『Campy! bar』をプロデュースし、セクシュアルマイノリティの祭典「東京レインボープライド」の総合司会も務める女装パフォーマーのブルボンヌさん(第一文学部出身)と、性の多様性を研究する「クィア・スタディーズ」を専門とする早稲田大学文学学術院の森山至貴准教授にお話を伺いました。

万全を期するため、編集室内でも議論を重ね、セクシュアルマイノリティについてのリサーチを重ねて望んだ今回の取材でしたが……?

「失礼のないように」が既に失礼! LGBTは“腫れ物”じゃない

今回は失礼のないように、セクシュアルマイノリティについて事前にさまざまな予習をしてまいりました。

ブルボンヌ
う〜ん…。最近ね、お店に来る人でも講演会でお話しする人でも、「失礼のないように」って言う人がすごく多いんですよね。でも、「傷つけてはいけない」「失礼をしてはいけない」って、どこか「腫れ物に触る」ような感じがしません?

せっかくなら「LGBTを知ることで人生観が広がる」といったプラスの方向に受け止めてほしいって思うんです。だって、自分とは異なった人の状況を知ることで物の見方が広がったら楽しいでしょ?
森山
「失礼じゃないですか…?」と言いながらむしろ距離を置くその感じ、それがもう失礼だと思う人は、私も含めて結構多いと思いますよ。もっと素直に向き合うことはできないのっていうか。

・・・。いきなり、ちょっと面食らってしまいました。

ブルボンヌ
でもね、それはここ10年のメディアが作ってきた状況なのかもしれない。「〇〇は差別です」ということばかりを伝えてきた結果、「失礼のないように話さなきゃ」と思わせてしまうようになった。確かに「これは差別です」と表明するのは間違ったことではありません。

ただ、それが「性の世界って奥深くて面白い!」よりも、「こんなこと言ったら傷つけるかも…」という態度を生んでしまったんじゃないかな? けれど、差別かどうか、失礼かどうかなんて一つの答えがあるわけではないし、そもそも当事者たちが一枚岩という訳でもない。

「どうしてストレートの人たちは分からないんですか!」って常に怒っているタイプの人もいるし、私のようにメディアとの間を取るように動く人もいる。もちろん、物事を切り開くときには怒るパワーも必要なこともあるし、どちらが正しいということではありません。

そもそも、みんな前提となる知識や物の考え方は全然違うし、どんな伝え方をすればいいかは千差万別なんです。私の場合は、真面目に話すとき、バラエティー番組に出演するとき、地方の公民館でお年寄りを前に講演会をするとき、その時々で伝える相手に合わせて臨機応変に対応しています。

確かに、ストレートの側からすると、LGBTの方にお話をするときには、どこか「失点」を気にしてしまうような気持ちがあります。

ブルボンヌ
「これを言ったら地雷」「これを言ったら差別」と考えるよりも、「こう言った方が相手も喜ぶよね」「こう言った方がお互いに気持ちよくコミュニケーションが取れるよね」っていう考え方の方が疲れないでしょ? でも日本人気質って、失点を防ぎに行きがちなのよね…。 
森山
私自身は常に怒っているタイプですし、「これを言ったら差別になるよ」という言い方をすることも多いのですが、その際にも、言葉遣いだけの問題ではないと補足するようにはしています。今の話を聞いて思い出したのですが、最近、「オネエって言葉は使っていいんですか?」って学生が質問してくることが多いんです。異なる性のあり方を混同している言葉なので私はあまり使用を勧めませんが、それでもこの語だって文脈によってフレンドリーにもなるし罵倒語にもなる。言葉そのものがNGという話ではないんですよね。
ブルボンヌ
みんな「単語」にしか目が向かないんですよ。以前、ある雑誌でうちの社長(Campy)のことを指して「ホモ社長」って原稿に書いたら、出版社から「ホモは差別用語だから使えません」と言われて「ゲイ社長」に変えられてしまった。私にとっては、そして彼にとっても「ホモ社長」という言葉がぴったりだったのに。ニュアンスが全然違うでしょ?

私だって、もちろん知らない人を指して「ホモ」とは言わないけど、内輪のニュアンスとして使いたいときに「ホモ」と言えないのは違和感を覚えます。「オカマ」っていう言葉が封印されることで、悲しんでいる当事者もいるんだから。本人たちの言葉すら奪われるなんておかしいよね?

特に、グラデーションがベースにある性というテーマだからこそ、画一的に「ゲイはよし、ホモはダメ」といった、○か×かだけで考えることはしたくないなあ。

外からの発想だけで、良くないものは排除してなかったことにするのは、そのもののニュアンスまで奪ってしまう。それって、LGBTに限らずいわゆる差別用語全般に言えること。その単語を使わなければOKと思っていたら大間違いよ。

「地雷を踏みたくない」 メディアの中のLGBT

バラエティー番組などではオネエタレントという言葉が一般化し、「オネエ」という存在が急速に受け入れられてきています。この状況についてお二人はどう思いますか?

ブルボンヌ
「オネエ」という言葉が普及しだしたのは、2006年から放送されたバラエティー番組『おネエ★MANS』(日本テレビ)から。この番組によって「オネエ」という言葉が一般に普及し、セクシュアルマイノリティの存在が受け入れられるように変わってきました。でも出演者の中には、トランスジェンダー女性の如月音流さんや、女装でもなく身体もいじっていない真島茂樹さんのような人もいた。それらを全部ひっくるめて「オネエ」と呼んでいたんです。

それ以降は、りゅうちぇるちゃんや尾木ママのように、恋愛対象は女性なのに女性的な振る舞いをしているだけで「オネエキャラ」と認識されるようになっていったし、女っぽくないゲイまで「あの人、オネエだよね」みたいな言い方をされるようになっている。

でも、そもそも「オネエ」という言葉は、ゲイコミュニティーの中でも、特に女性性が高い人を意味する言葉だったんですよ。「“オネエ”の要素が強いゲイ」みたいな使い方でね。しかもね、ゲイって男性性の強い方がモテるんです。だからオネエはもともとちょっと滑稽であったり、「非モテ」的な見え方であったりしたんです。

もともとはゲイの中でも一部を指していた「オネエ」という言葉が、今やゲイもトランスジェンダーも、ストレートで女性性の高い人にですらも一緒くたに使われるようになってきたんですね。

ブルボンヌ
はるな愛ちゃんなんかはトランスジェンダー女性だけど「オネエ」という役割をきちんとタレントとして引き受けていますが、トランスジェンダーで「オネエ」と呼ばれることを不快に思っている人もいっぱいいるんです。

この10年で、良くも悪くも「オネエ」という言葉の裾野が広がり、バラエティー番組の中ではオネエ系タレントが一世を風靡(ふうび)するようになりました。その一方、近年は『おっさんずラブ』(テレビ朝日)、『きのう何食べた?』(テレビ東京)、『弟の夫』(NHK)といったゲイをはじめとするセクシュアルマイノリティを描くドラマも増えています。これは、セクシュアルマイノリティが受け入れられた証拠だと感じますか?

今夏公開の劇場版も絶好調、2018年ユーキャン新語・流行語大賞トップテン入りなど
社会現象を巻き起こしたドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日)

ゲイカップルの何気ない日々と食卓を描いた、よしながふみ原作のドラマ『きのう何食べた?』(テレビ東京)

森山
ある意味ではそうだと思います。学生の反応を見ていても、昔に比べると明らかに「LGBT」に対する違和感は減っていますしね。ただ、「オネエ」の話と同様に、みんながきちんとLGBTについて分かっているかというと疑問です。

「LGBTが登場するドラマ」と言っても、多くのドラマはゲイを扱っていて、ゲイじゃないのはトランスジェンダー女性を描いた『女子的生活』(NHK)くらい。LとGとBとTが全部同じぐらいのペースで理解されている訳ではないんです。

だからって学生に「L・G・B・Tはそれぞれ何の頭文字?」と聞いても、「Lはレズ」と答えちゃう。「ホモ」はダメ、「ゲイ」って言わなきゃ、と思っている学生でも、「レズ」が強く侮蔑的なニュアンスをもって使われてきたことを知らない。そこは「『レズビアン』って答えるべきだと思うよ」といつも伝えています。

確かに「LGBTドラマ」と言っても、ゲイが中心で語られることがほとんどですね。

ブルボンヌ
いろいろなフィールドでセクシュアルマイノリティのことが真面目なイシューとして取り上げられるようになったことは大きな進歩。でも、どこまで分かってもらえているのか、ということ。

バラエティー番組で言うと、『サンデー・ジャポン』(TBS)にミッツ・マングローブさんが登場した同時期に、FtM(※女性から男性へ性別移行した人)タレントの方も出演するようになりました。しかし、ミッツさんが準レギュラーになっていくのに対して、彼のほうは出演しなくなったんです。

男性が女性性を持つと「面白い」とバラエティー番組で受け入れられやすいものの、女性が男性性を持つことは「格好かっこいい」「気取っている」といったイメージで見られてしまう。ストレートの男性社員が忘年会で女装して笑いをとるのにもつながりますが、根底には女性蔑視もあると思います。バラエティー映えするキャラにはなりづらいんですよ。

ブルボンヌさんは、古田新太さんが主演するゲイで女装家の高校教師を主人公にしたドラマ『俺のスカート、どこ行った?』(日本テレビ)に、監修として入っていらっしゃいました。これはどのような経緯で?

「俺のスカート、どこ行った?」
Blu-ray & DVD-BOX 10月2日発売 発売元:バップ ⒸNTV

ブルボンヌ
監修としては、監督さんやプロデューサーさんたちが集まる機会を3~4回設け、LGBTについての基本情報をお伝えし、台本ができた段階で古田さん演じるゲイ教師のセリフに赤字を入れていきました。私もアラフィフだし、高校で授業を行わせてもらったこともある。ある意味で「これは私だ」と思えるところも多かったので、お引き受けしたんです。
森山
放送前、ブルボンヌさんが監修をすると聞いて、私の周りでは「ゲイコミュニティーに対する『アリバイ作り』に利用されるんじゃないか…」という不安がささやかれていましたし、私もそう危惧していました。的外れだったり無神経だったりする描写を「当事者がOKしているんだから」という理由で封じるというか。けれども、ドラマに対してそういった批判もなかったし、結果的にとてもいい形だったと思いますね。
ブルボンヌ
2017年に『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)で、「保毛尾田保毛男」というゲイのキャラクターを使ったコントを放送して社会問題になったこともあり、テレビ局側としては「地雷を踏みたくない」という気持ちがあったんでしょう。私は東京レインボープライドの司会などもしているので、まさしく冒頭にも出た「失礼のないように」するためにお声がかかった一当事者だったと思います。

監修として、どのようなセリフに赤字を入れていったのですか?

ブルボンヌ
まず、LGBTの用語解説などの補足修正ですね。それとオネエさんのギャグセンスなどについても提案しました。台本の中に、生徒の恋愛を応援するシーンで「大丈夫だよ、オレンジレンジの歌詞でも〇〇っていうのがあってさ」というセリフがありました。でも、アラフィフの“オカマ”は絶対にオレンジレンジを引用しない! そこで、オレンジレンジをドリカムに直してリアリティーを出したんです。アラフィフで女装まで楽しむオネエさんは恋バナでオレンジレンジを引用しねぇわって。そこでオレンジレンジからドリカムの歌詞ネタに直して「これなら言いそう」って。

50代“オカマ”のリアリティー(笑)。

ブルボンヌ
そうそう(笑)。真面目な部分だと、ドラマの中でゲイをディスる登場人物とのやり取りについても、ヘイトする存在をただ封じるだけでなく、思いを込めた言葉で伝えたいことがあったのですが、踏み込み過ぎた修正案は残念ながら通らないことも多かったですね。

でも、それはやむを得ないとも思います。大きなメディアであればあるほど、正しいからといって、表現の正確さや人権についての熱い思いが簡単に載るものではない。
ドラマはあくまでもエンタメだし、スポンサーから広告費をもらって稼ぐのがテレビの仕事。ゲイについての教育番組ではありませんからね。

つまり、ブルボンヌさんは監修としてエンターテインメントとしての文脈と、当事者としての文脈をすり合わせていたということですね。

ブルボンヌ
そう、全てはすり合わせですよ。エンタメの側からすれば、「面倒くさいこと言いやがって」かもしれないし、LGBTからすれば「あんなユルい表現を許しやがって」ってなるかもしれない。だから板挟みの面倒臭さを味わった仕事でもありました。

ただ、とても報われたと思えたのが、視聴者層でもあった若い世代が見て「そういう人たち」の事情を少しでも知ったり、自分の周りのことに気付くための種をけたこと。生徒がトランスジェンダーであることをカミングアウトする回の放送で、Twitterを見ていると、中高生たちからの「頑張れ、それでいいよ」「応援するよ」といった肯定的なツイートであふれていて。

ティーンたちが驚くほど肯定的に、セクシュアルマイノリティの情報を受け止めて応援してくれたんですね。それは、自分としてもかかわってよかったと思えた瞬間でしたね。

“エロ”を排除しているうちは 差別はなくならない

NHKで放送された『弟の夫』などはいかがでしょうか?

森山
原作者の田亀源五郎さんの名前をゲイコミュニティーの外側へも大きく知らしめた、記念碑的な素晴らしい作品ですよね。
ブルボンヌ
『弟の夫』について、田亀さんは、一般の人に対してゲイの事情を分かってもらうための作品として割り切って描いた、とおっしゃっていました。ストレートが「へえ」って読むものだからこそ、ゲイ当事者が見てもあまり楽しめないと思う、とも。

田亀源五郎『弟の夫』/アクションコミックス

もともと田亀さんは、ゲイ雑誌でポルノ漫画を描いていた人、世界的にはゲイ・エロティック・アーティストとして知られる方です。彼の作品には、〇〇から☓☓が出て■■になっちゃうような“スケベ”描写のオンパレードですから。

残念ながらそれは、伏せ字にしないと掲載できませんけど…(笑)。

ブルボンヌ
はぁ!? “エロ”話が出たら速攻で「それは書けない」って言っちゃうところが差別心の現れじゃない!? あんた、エロを低く見てるんでしょ!! ちゃんと〇〇からこま犬が出てコパァって書いて!(笑)

ええーー!

ブルボンヌ
フフ…イジメてごめんね(笑)。でも真面目な話、エロが差別されているから性的少数者や女性問題の一部も、性にまつわる事柄として語りづらくなるんじゃないかな?

発信する当事者もそれを分かっているから、性的なものを排除した文脈でキレイめに伝える場も増えた。もちろんそれで広がることも多いけど、エロも含めた性にも向き合わないと本当の意味の差別解消もできないと思うのよ。
森山
田亀さんも、海外ではエロティックなものも含めた自分のさまざまな作品の展覧会が問題なくできるのに、日本ではできないとずっとおっしゃっていますね。『弟の夫』がヒットしても、「田亀さんの真価はそこじゃない!」って思っているゲイは多いはず。

森山先生は、別のインタビューで田亀源五郎さんについて「日本のゲイカルチャーにとって最重要人物の一人」だと語っています。

森山
だって、あの作品を見たら誰だってそう思いますよ! 他人にはなかなか言えないようなかなりきわどいセクシュアルなファンタジーを描いても、読み手側の感性に訴え、自分では気付いていなかった欲望を刺激してくる。私は大学教員になってしまったので、立場上自分のセクシュアルなファンタジーについて、話をしづらくなってきてしまって…。
ブルボンヌ
あら先生、守りに入っちゃったのね〜。
森山
違いますよ!!!

(笑)

森山
でもゲイが社会的に受け入れられつつある一方、昔の方がむしろもっとエロの話を聞いてくれていませんでしたか?
ブルボンヌ
確かに今はストレートの側も面白がるより先に、「そんな話聞いていいの?」ってためらうようになってるかもね。
森山
別に「聞いてください!」って言いたい訳ではないけど、「ゲイはOKだけど、エロは無し」っていう雰囲気がすごく嫌なんです。「長く添い遂げるカップル」「新しい家族の形」といった同性愛者に対するイメージも大切なことですが、そういう方向にばかり自分の人生を吸い取られていくのには抵抗感がある。

その意味でも、セクシュアルファンタジーをき立てる作品をいまだに作り続けてくれる田亀さんは、とても重要な存在だと思いますね。
ブルボンヌ
日が当たってくるとね、日陰を嫌うようになるのよね。私もLGBTの議論が真面目に扱われるようになってきたからといって、アンダーグラウンドでスケベな世界が奪われるのは嫌だわ。
森山
ただ、今の世代の当事者には「奪われる」という感覚はないかもしれない。若い当事者の人たちに話を聞くと「エロいものはない方がいい」と言う人も多いんです。今の世代のセクシュアルマイノリティからは、私たちの世代が持っていたようなある種の「暗さ」が減りつつあるかもしれないですね。
ブルボンヌ
ジェネレーションギャップね…。明るく丁寧に描くことばっかり盛り上がっていることで、性が汚らわしいって思っちゃうことって、一見きれいなんだけどLGBTへの偏見、女性への偏見にもつながっている。それは解き放っていかないといけないなと思います。

だから私は絶対、下ネタ言っていこうって思ってる! だってねえ、そのうちひずみが出るわよ。人間ってそんなにキレイなものじゃないんだから。
プロフィール

ブルボンヌ

女装パフォーマー/ライター。1971年、岐阜県出身。1990年早稲田大学第一文学部に入学、在学中にゲイのためのパソコン通信ネットワークを立ち上げる。その後、ドラァグクイーンとして全国のイベントやパレード、映画のキャンペーンなどに参加。同時に、ゲイ雑誌『Badi』の編集主幹、ライター、エッセイストとして女性誌、映画雑誌、週刊誌などに連載、寄稿。現在はメディア・イベントへの出演・連載、新宿2丁目のMIXバー『Campy! bar』プロデュースするほか、女装パフォーマー集団「Campy!ガールズ」のメンバーとして全国のクラブイベント、各種メディアでも活躍。LGBTや性の問題に関する講演活動も積極的に行っている。

森山至貴(もりやま・のりたか)

早稲田大学文学学術院准教授。専門は、社会学、クィア・スタディーズ。著書に『「ゲイコミュニテイ」の社会学』(勁草書房)、『LGBTを読みとくークィア・スタディーズ入門』(ちくま新書)。合唱曲の分野を中心とした作曲家としても活動する。

取材・文:萩原 雄太

1983年生まれ、かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。http://www.kamomemachine.com/
撮影:加藤 甫
編集:横田 大、裏谷 文野(Camp)
デザイン:中屋 辰平、PRMO
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