Waseda Weekly早稲田ウィークリー

銭湯は人の弱さを許す場所 「こうあるべきキャリア」を捨てて掴んだ自分の道 番頭・イラストレーター 塩谷歩波

全国各地を訪ね歩き、訪れた銭湯は200軒以上。Twitterに投稿した銭湯のイラストが話題となり、『情熱大陸』(TBS系)や『人生デザイン U-29』(NHK Eテレ)などにも出演。その絵の作者が、「番頭・イラストレーター」という異色の肩書を持つ、塩谷歩波(えんや ・ほなみ)さん。

早稲田大学大学院創造理工学研究科で建築学を専攻し、修了後に設計事務所で働いていた彼女は、友達に銭湯の魅力を伝えるために「銭湯図解」の活動をスタート。実際に銭湯に足を運んで測量・撮影・インタビューを行い、「アイソメトリック」という建築図法を用いて銭湯内部を図解する前代未聞の試みと、湯けむりが漂ってきそうなイラストが脚光を浴び、今年2月には書籍『銭湯図解』(中央公論新社)を出版するに至った。

現在は東京・高円寺の銭湯「小杉湯」の番頭として働きながら、銭湯イラストを描き続けている塩谷さん。そこに至る背景をたどると、絵と建築に青春をささげ、悩みながら自分の場所をつくってきた、彼女の半生が見えてきました。

鬱々とした毎日から生まれた「銭湯図解」

塩谷さんが、そもそも銭湯にハマったきっかけは何だったのでしょうか?

塩谷
大学院修了後に設計事務所で働いていたのですが、仕事に熱中するあまり、5時間以下の睡眠、食事も栄養ドリンクやチョコレートだけという毎日を送っていました。そんな激務が続き、1年半ほどで「機能性低血糖症」という、血糖値がコントロールできなくなる病気になり、うつ状態になってしまったんです。

実家で寝込みながら、「頑張っても報われない…」「何のために頑張っていたんだろう…」と絶望的な気持ちに襲われていました。そんな鬱々とした日々を過ごしていたころ、友達に誘われて中目黒の「光明泉」に足を運んだことが、銭湯にハマったきっかけでした。
鬱のときって身体がカチコチに固まってしまうんですが、久しぶりにゆっくりお風呂に入ったら肩の力が抜けてすがすがしい気持ちになりました。しかも、お風呂から上がると気持ちだけじゃなく体調も良くなったんです。そんな効果を感じてから、積極的にいろんな銭湯に行くようになりました。

崩していた体調を、銭湯が回復させてくれたんですね。

塩谷
その体験から、「こんなにいい場所は誰かに伝えなくちゃいけない!」という使命感にかられ、Twitterに銭湯のイラストをアップしたのが、「銭湯図解」の始まりでした。

友達のために初めて描いた「銭湯図解」

描き始めた当初から、「アイソメトリック図法」(等角投影図法)を使っていたのでしょうか?

塩谷
はい。アイソメトリックは、建築学科の大学1年生が習う初歩的な描き方なのですが、建物の雰囲気を表すのにはぴったりなんです。

設計事務所時代に使っていたレーザー測定器とメジャーを用いてタイルの幅まで測量し、正確な縮尺で描いていく

当時、Webで検索しても銭湯の中の情報はほとんどなく、銭湯マニアの人がブログに書いているものは、「カラン12口、ジェット、電気、水…」といったスペック的なものばかり。中の雰囲気は全然分からなかったんです。

銭湯図解を描くにあたって、どのようなこだわりがあるのでしょうか?

塩谷
人の風景や表情をしっかり描こうと考えていますね。普通、建築図面では、あまり人を描くことはありません。しかし、学生時代に入江正之先生(早稲田大学名誉教授)が「人がいない絵は死んでいる」と話してくださったこともあって、人がいない絵には違和感があるんです。

緻密なサイズ感で再現された銭湯の中に、柔らかなタッチで描かれる人々の姿が和む

人がいるからこそ建築は生きてきます。だから湯船に浸かったおばちゃんが「ハァ、気持ちいい」みたいな表情をしているのが、銭湯が一番「生きる」描き方なんじゃないかと思っています。

銭湯図解のイラストを眺めていると、確かに人が話していたり、お湯に入っていたり、人々がどんな様子で銭湯を使っているかが見えてきますね。

塩谷
学生時代、建築模型を作るにあたって人の置き方にも注意していました。そんな建築で学んだ技術が、銭湯図解には生かされていますね。

愛すべき建築漬けの日々と 「建築家にならなきゃ」という呪い

銭湯図解の背景には、塩谷さんが学生時代から学んできた「建築」がとても大きなものとしてあるんですね。塩谷さんはどのようにして建築と出合ったのでしょうか?

塩谷
母がインテリアコーディネーターとして働いていて、中学生のころにパース(遠近法)を使って部屋の中を描く方法を教えてくれたのが、建築に興味を持ったきっかけです。そして高校生のとき、進路を決めるにあたり、好きだった数学・物理・哲学・美術を全部学べるもの…と考え、建築にたどり着きました。

そこで、いくつかの大学のオープンキャンパスに参加したのですが、他の大学は模型をきちんと配置し、ポスターのようにきれいな図面が貼ってあったのに、早稲田だけは黒鉛で塗りつぶしたような建築の絵が雑然と置いてあるだけだった(笑)。その泥臭さから受ける「熱量」がとても印象的で、早稲田に入学したんです。

塩谷さんが学生時代「ほぼ住んでいた」と話す思い出の場所、西早稲田キャンパス57号館の地下にある建築設計スタジオ。取材時にも多くの学生が課題の制作を行っていた

その「熱量」に引かれて早稲田に(笑)。学生時代はどんな毎日を送っていたのでしょうか?

塩谷
朝から晩まで建築漬けの毎日でしたね。家にも帰らず建築設計スタジオに泊まりながら課題をこなしたり、課題がなくても朝まで友達と設計について話していたり…。徹夜も楽しかったです。バイトも建築模型をつくる仕事だったし、サークルも「Perspective研究会」という建築を見に行く公認サークルで、とにかく建築のことばっかり考えていた6年間でした。

濃い時間ですね。

塩谷
夢中で楽しかったですね。卒業論文では佐賀県の鹿島市を舞台に「町の色」を研究しました。町ごとに「町の色」は違っていて、それがその町のアイデンティティーになっています。鹿島市には半月間滞在しながら、スケッチ20枚、3メートルの絵巻物を2枚描きました。

卒業論文で描いた、佐賀県鹿島市の町並みの水彩画

すると、それを見た地元の人が「自分たちの町って、こんなにいいところなんだ!」と驚いてくれたんです。

それまでは「自分が描いた絵なんて大した価値はない」と思っていたのですが、初めてそんな反応をいただいて、絵の持っている価値を実感できました。そこで、小さなころから大好きだった絵を描くことを頑張りたいと思ったんです。

ただし画家のような絵ではなく、それまで勉強してきた建築と関係するような絵を描きたかった。だから院生時代は「絵と建築を両立させる」という目標を立てて、勉強をしていましたね。

「絵と建築」とは、まさに銭湯図解の活動につながるものですね。

塩谷
はい。ただ、当時は全然両立できなかった。研究の集大成として取り組む修士設計では、地下鉄銀座線の駅舎を設計していくというテーマを設定して、上野から浅草までの地域をフィールドワークし、スケッチを描きながら設計デザインに落とし込んでいきました。

その発表の際に、先生たちから言われたのが「絵はいいけど、設計が全然ダメ」というもの。設計で頑張りたいと思って進学した大学院の2年間だったので、とても悔しかったですね…。そこで、先生を見返すためにも建築家の下で勉強して絵と設計が両立できる人にならなければと思い、設計事務所に飛び込んだんです。今思うと、悔しい思いを消化したいという、設計への執着もあったかもしれません。

でも、そこで体調を崩してしまい、銭湯と巡り合った、と。

塩谷
もともとすごく負けず嫌いな性格というのもあって、中学生時代から憧れていた建築の仕事で早く一人前になりたいと、目の前の仕事に没頭するあまり体調を崩してしまいました。一度は休職したものの、銭湯に通うようになって体調が回復し、もう一度頑張りたいと思って復職したんです。でも以前のようには身体が動かず、仕事に支障をきたすばかりで…。ちょうどその頃、小杉湯の若旦那である平松佑介さんが「うちで働いてみたら?」と、声を掛けてくれました。

学生時代からずっと建築漬けの毎日を送っていた塩谷さんにとって、「設計事務所を辞める」という決断は、きっと挫折に等しいものでしたよね…。

塩谷
だから、めちゃめちゃ葛藤がありました。設計事務所で働き続けるには多少無理をしないといけませんが、小杉湯を選んだら、中学時代から憧れて、建築漬けで死に物狂いでやってきたこれまでの全てが無駄になってしまう…。建築をやめることは、今まで自分がやってきたこと、自分自身を否定するような気もして。
悩みすぎて自分では決められなくなってしまったので、友達みんなに相談しました。すると、みんな「塩谷がずっと大切にしていたのは絵のことだった」「建築なんていつでもやれるんだから、自分の目の前に開いている道に進んだ方がいい」と、転職を勧めてくれたんです。

塩谷さんのことをずっと見ていた友達だからこそ、本人も見えていなかったものが見えたんでしょうね。

塩谷
そうですね。振り返ると「建築家にならなきゃ」「建築をやらなきゃ」とずっと言ってきたけど、具体的にどんな建築を作りたいのか、どんな建築家になりたいのか、というビジョンは一切なかった。

大学に入ってずっとやってきたこと、修士設計で先生からダメ出しされたこと、学生時代に成績が良くなかったこと…。それらをバネに頑張っていたのですが、いつしかそれが「建築家にならなければならない」という「呪い」に変わっていたんです。ダメだから頑張らなきゃいけないという、圧倒的な自己否定でした。

だから、建築をやめると決断した途端、とてもスッキリした気分になりましたね。

「こうなりたい」より「こうありたい」 葛藤してたどり着いた自分の道

2017年から、塩谷さんは高円寺の銭湯「小杉湯」の番頭として働いています。この2年間、番台に立ちながら、どのようなことを学んだのでしょうか?

塩谷
小杉湯の一番いいところは弱さを受け止めてくれるところ。昔は設計が上手ではない自分を責め「何でこんなに下手なんだ」「努力が足りない」という思考に陥っていたのですが、小杉湯にはそういった雰囲気が全然ない。

私が体調が悪いとか、人とコミュニケーションを取るのが下手だとしても、「努力しろ」ではなく「上手なところを生かしたらいいよ」という考え方なんです。できないことを否定するのではなくて、できないことは受け入れて、できるところを伸ばしていく。

これは、小杉湯の方針でもあると同時に、実は、銭湯自体がそういう場所なのではないかと思います。

小杉湯の番台に座る塩谷さん(撮影:篠原豪太)

銭湯は、人を受け入れ、無理をしないことを許す場所。お風呂に入っちゃえば名前も分からないし、普段何をしているかも分からない。全員が裸でイーブンな状態だから、自分の弱さも感じません。そんな弱さを受け入れるおおらかさが、銭湯にはあるんですよ。

塩谷さん自身も、番台に立ちながら、みんなの弱さを受け入れているんですね。

塩谷
銭湯が受け入れてくれたことによって、私は、考え方を変えることができました。お客さんの中には、毎日疲れて小杉湯に来る人もいます。小杉湯ではいつも、これからも銭湯が弱っているような人たちを受け入れてくれる場所であり続けたいと思って働いています。

お風呂に入って気持ちいいという身体的な効果と、受け入れてくれるという心理的な効果、その両方が銭湯の魅力なんですね。塩谷さんが小杉湯で働き始めて今年で3年目ですが、客層に変化はありますか?

塩谷
若い人がどんどん増えているし、売り上げもかなり増えています。最近、「朝湯」として日曜だけ朝8時から営業も行っています。これまで、土日のお客さんは大体600人〜700人くらいだったのが、朝湯を始めた効果で、1000人に届きそうな勢いになっています。

塩谷さん作の、小杉湯の朝湯のお知らせ

銭湯というと、景気の悪い話ばかり耳にしますが、小杉湯では右肩上がりなんですね。ところで、塩谷さんは銭湯図解の他に「銭湯再興プロジェクト」も主催されていますが、ご自身の活動を通して、銭湯に救われたからこそ、銭湯に恩返しをしたいという気持ちもあるのでしょうか?

塩谷
後継者問題や客数の減少などいろいろな問題があり、銭湯業界は衰退の一途をたどっています。そんな銭湯に対して、「活性化したらいいな」という気持ちはもちろんあります。

でも、「何かのために何かをする」ということではなくて、根本的には好きなことをやっているだけで…。あくまで私自身が「銭湯が大好き!」という思いで、それを表現しているだけなんです。

ただ、とにかくいとおしい銭湯を「伝えたい」と思っています。そこから何かしらの効果が生まれたら、それはとてもうれしいこと。Twitterで友達に「銭湯の良さを伝えたい」と思ったときから、それは変わっていません。

塩谷さんは、学生時代から紆余うよ曲折をたどり、「銭湯」という自分の場所を見つけられたんですね。

塩谷
ようやくスタートを切れた! という感じがしますね。この記事を読んでいる現役の学生には、ストレートなキャリアじゃなくても何とかなる、ということを知ってほしい。在学中、私が先輩たちから聞いたのは、設計やゼネコンなどで成功した話ばかりでした。私のように、葛藤する中で何とか自分の道にたどり着いた人の話は聞けなかったんです。

設計事務所で働いていたときは、「建築家にならないといけない、その上で今は何をすべきだ」と、目的に向かって真っすぐに進もうとしていました。しかし、銭湯の番頭兼イラストレーターに転身した現在は、「今」の方が大事であり、その先に未来がつながっていると感じられます。
だから、全然息苦しくないし、毎日楽しい。「どうなりたいか」よりも「どうありたいか」。どんな自分でいたいのか、という気持ちを大切にしています。そんな生き方があるなんて、学生時代には誰も教えてくれなかったんです。

紆余曲折がありすぎて伝えづらいキャリアですが、今の自分なら、学生時代の自分に勇気を与えることができる思う。あの頃は、就活で失敗したくないとか、失敗のない100%の正解を求めていたけれど、私みたいに「何とかなっている人」もいる。機会があれば、そういう人がいるんだよということを学生に伝える講演もやってみたいです。

塩谷さんは、今後も銭湯を描き続けていくのでしょうか?

塩谷
そうですね。公衆浴場は、日本だけでなく外国にもあります。以前、フィンランドに行ったとき、フィンランドの公衆サウナも日本の銭湯と同じように、家のサウナが普及することによって数が減ってしまったという話を聞きました。世界中にあるいろいろな温浴施設を描けたら楽しいですね。

また、銭湯だけでなく、今後はいろいろな町や建築も描いていきたいという気持ちもあります。今まで「絵と建築」でずっと揺れていたのですが、『銭湯図解』という本を出すことによって、ようやく自分の中で絵を描くことへの覚悟がついた。

2019年2月に発行された塩谷さんの著書『銭湯図解』(中央公論新社)。都内を中心に24軒の銭湯の図解がカラーで掲載されている

今、一番描きたいのは住んでいる高円寺の飲み屋街です。その時々の「描きたい」を大切にしながら、アーティストとして生きていきたいと思っています。
プロフィール

塩谷 歩波(えんや・ほなみ)

1990年東京都生まれ。高円寺の銭湯・小杉湯の番頭兼イラストレーター。銭湯再興プロジェクト主宰。早稲田大学大学院創造理工学研究科(建築学専攻)修士課程修了後、有名設計事務所に勤めるも体調を崩し、休職を余儀なくされる。休職中に出合った銭湯に救われ、銭湯内部を俯瞰ふかん図で描いたイラスト「銭湯図解」をSNS上で発表。これが話題となり、2019年2月に『銭湯図解』(中央公論社)を出版。『情熱大陸』(TBS系)や『人生デザイン U-29』(NHK Eテレ)など多くのメディアに取り上げられる。現在、雑誌『旅の手帖』で「百年銭湯」を連載中。好きな水風呂の温度は16度。

取材・文:萩原 雄太

1983年生まれ、かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。http://www.kamomemachine.com/
撮影:加藤 甫
編集:横田 大、裏谷 文野(Camp)
デザイン:中屋 辰平、PRMO
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