Waseda Weekly早稲田ウィークリー

キキの魔法はなぜ一つ?『魔女の宅急便』作者・角野栄子が語るその秘密

魔女キキが相棒の黒猫ジジとともに、ほうきで夜空を飛んでいる。ほうきの柄にはラジオがぶら下がり、流れ出した音楽と風に乗って、キキたちは知らない町を目指してぐんぐん進む…。アニメ映画化や実写映画化もされ、日本のみならず世界中で多くの人に愛されている『魔女の宅急便』(福音館書店)の冒頭です。

このすてきな物語を生み出したのは、作家の角野栄子さん(1957年早稲田大学教育学部卒業)。角野さんはキキの13歳から35歳までを描いたシリーズ全6冊を含め、250冊以上もの作品を創作、2018年には「児童文学のノーベル賞」と呼ばれる国際アンデルセン賞の作家賞に選ばれました。

そんな角野さんの代表作である『魔女の宅急便』は、どのようにして生まれたのでしょうか。その舞台裏と角野さんの想像力の源をお聞きしました。

お話がどうなるか分からないから、書く人も読む人も面白い

『魔女の宅急便』は世代を超えたファンも多い作品です。その理由の一つは、ほうきに黒い猫を乗せ、柄にはラジオをかけて空を飛ぶ13歳の魔女の姿にあるのではないかと思います。角野さんは、どうしてキキを空飛ぶ女の子にしたのでしょうか?

角野
大学生の時、アメリカ大使館の図書館で見た雑誌に、鳥の目の高さから見たニューヨークの風景写真が掲載されていたんです。それがずっと記憶に残っていました。キキが空を飛ぶ姿には、そのイメージが反映されているのだと思います。

私が早稲田大学に入った時は、日本はまだ1ドル360円の時代。英米文学の原書なんて高くて学生にはとても買えませんでした。でも当時のアメリカ大使館は、学生証を見せると中の図書館に入れてくれたんです。

そこには最新の雑誌がそろっていました。『Harper's BAZAAR(ハーパーズ バザー)』のようなファッション誌や『The New Yorker(ザ・ニューヨーカー)』のような文芸誌。日本にはそんな雑誌はない時代だったから、通い詰めて見ていました。だって、きれいでしょう?

そんな時に見たのが、写真週刊誌『Life(ライフ)』です。そこに鳥の目の高さから見たニューヨークの風景写真が掲載されていました。

鳥瞰図ちょうかんず」のようなものでしょうか。

角野
そう。モノクロームで、とても美しかった。「鳥の目」を持てば、視覚が変わって今まで見えなかった世界が見えるようになります。そこから想像が広がっていって、物語が生まれるような気がして…。

その後、結婚して娘が生まれました。その娘が中学生になると、魔女の絵を描いたんです。黒いマントを着たわし鼻の魔女が、ほうきの後ろに黒猫を乗せて飛んでいる。柄にはラジオがつるされていて、そこから音符が吹き出していました。その絵を見た時、「この魔女のお話を書けば、私は飛んでいる鳥の目を獲得できる」と思いました。

なぜお話を書くことで「鳥の目」が獲得できるのでしょう。

角野
空を飛ぶ話は、自分が飛んでいるつもりにならなければ書けません。きっと楽しいだろうと思いました。娘が当時12歳だったから、魔女もそれぐらいの年の女の子。ラジオを聴きながら飛んでいる絵だったから、じゃあその子にラジオを持たせよう…そう考えたら、もう書き始めていました。

これが絵の実物。ユーモラスな魔女の姿が描かれている

そのお話が『魔女の宅急便』になるのですね。第1巻では13歳だったキキも、巻を重ねるごとに成長し、最終巻の第6巻では35歳になって子育てもしています。このストーリーは、最初から考えていたのですか?

角野
あんまり決めないで書くの、私。行き当たりばったり(笑)。だから書く人も読む人も面白いんじゃないのかしら。でも、最初に決めたことが一つだけあります。キキの魔法は一つにしようと思っていました。

それはなぜですか?

角野
魔法でいろいろなことができれば、確かに表現は面白くなるかもしれない。けど、物語はつまらなくなるじゃない? だって、どんなことでも解決できてしまうから。使える魔法が一つだと、それが使えなくなった時には工夫が生まれるし、想像力も生まれます。そうして物語が面白くなるし、力強くなるわけです。

キキは第2巻で新しい魔法が使えるようになりますが、それは「くすりぐさ」を育てて「くしゃみ薬」を作るようになるということ。ハーブを育てるようなものですね。本当の魔法は、「ほうきで飛べる」ということだけなんです。

物語を紡ぐ中で抱いた二つの思いが角野さんに「子育てするキキ」を描かせた

角野さんは大学卒業後、出版社に勤務されてからご結婚。それから1959年、25歳の時にいきなり、ご夫婦でブラジルに移民として渡っています。心配するお父さまとは裏腹に、角野さんは新天地に向かう前、うきうきされていたそうですね。それが「私はね、贈り物の箱をあけるときのようにわくわくしてるわ」と言って両親の元を旅立つキキの姿と重なりました。

角野
もちろん、キキと私で重なる部分はあると思います。ブラジルに出発する時、私も彼女と同じ気持ちでした。旅は今でも好きですが、ブラジル行きは何しろすごい旅行でしたね。 もう航路はなくなってしまったけど、海を三つも渡って行きましたから。

私も若い時はキキに感情移入して自分も一緒に成長しているかのように読んでいましたが、今ではキキのお母さんであるコキリさんの立場になって読んでしまいます。

角野
第6巻ではキキ自身もお母さんになっていますからね。スタジオジブリの宮崎駿さんが『魔女の宅急便』を映画化したのは第1巻しか書いていなかった頃だけど、その時は続きを考えてなかったの。私は「物語が終わったところから始まる物語は、読者のものだ」と思っているから。そうしたら「続編を書いてください」と言われて…。結局、シリーズ6巻を書くのに27年かかっているかしら。でも、第6巻まで出ていることを知っている人は少ないの(笑)。

なぜ第6巻で子育てをする「お母さんとしてのキキ」を描こうと思われたのでしょう?
(※まだ第6巻の内容を知りたくない方は、このリンクをクリックすると該当箇所をスキップできます

角野
『魔女の宅急便』を書いているうちに、二つ思ったことがあったの。まず「魔法は一つ。そして誰でも持っている」。それから「なぜ男の子は魔女になれないのか」。だから、キキが結婚して男の子と女の子の双子を産み、男の子の方がどうやって自分の魔法を見つけていくかという物語になりました。

男の子も魔女であるキキの子なのに、空が飛べない。その葛藤は、読みながらハラハラしました。

角野
でも、彼も魔法は持っている。空は飛べないかもしれないけど、自分の行くべき方向を感じつつ、汽車に乗って旅立ちます。

『魔女の宅急便』は6巻で完結なのでしょうか。

角野
スピンオフはすでに2冊出ております。もしかしたらあと1冊、出るかもしれません。第3巻に登場したケケの話を書こうかなと思っています。

ケケ! 魔女かどうか正体が分からない不思議少女ですね。実はとても気になっていました。それまで物語に登場するのはキキに優しい人たちばかりでしたが、彼女だけはキキの存在を脅かします。どうしてケケをキキの前に登場させたのでしょうか。

角野
まあ、衝動的ですね。あのお話を書いていた頃、渋谷に「ガングロギャル」っていう女の子たちがいたの。目の周りを白くして、地べたに座っているような。私はあの子たちが嫌いじゃなかった。すごく一生懸命、自己主張しているじゃない? だから、ケケも同じように髪の毛をバーッとさせて、黒い服を着せて。ケケは頭もすごくいいし、ちょっとひねくれている。書いていて、とても面白かったです。

ケケはキキにとってはしゃくに障る存在。読んでいて、いい子のキキがかわいそうになっていました。でも読み進めると、ケケのバックグラウンドが初めて分かる一言があり、「そうだったのか、ケケ!」と思わず涙してしまいました。

角野
そうね。確かにキキはいい子だけど、青春時代は相当危ういですよね。自分を見失うし、猜疑さいぎ心も出てくる(※第3巻から第5巻にかけて青春時代のキキの姿が描かれる)。みんなが通ってきた道だと思います。うちの娘も、中学時代に私にあんまりいろいろなことを話さなくなって、「訳が分からない時代だな」と思いました。自分も中学生の時は、いっぱし分かっていたつもりだけど、大人が見たらものすごく分からなかったのだろうなと。女の子が一番面白い時代ですね。

キキやケケに自分を投影する読者も多いですよね。

角野
そう言ってくださる方もいますね。「留学中にお母さんから本を送ってもらって、手放せませんでした」という方。「地方から東京に出てきた時、自分と同じように違う町に行くキキのお話をずっと読んでいました」という方もいました。今はその方たちのお子さんがまた読んでくださるわけです。

魔女とは、見える世界と見えない世界をつなぐ存在

『魔女の宅急便』の魅力は、多くのファンタジーやヨーロッパの童話に登場する魔女とキキの姿が違っていたことにもあるのではないかと思います。キキが登場するまで、魔女はどちらかといえば悪いイメージでしたよね。お年寄りで、意地悪で…。

角野
それはキリスト教に出てくる魔女のイメージですよね。本来の魔女は薬草に詳しくて、病気を治したり、お産婆さんとして出産を手助けしたり、そういう特徴を持っています。つまりキリスト教が一神教なのに対して、魔女はアニミズム(※「自然界のあらゆるものに精霊が宿る」という信仰)。キリスト教社会とは相いれないところがあったのかもしれませんね。

魔女は政治的なスケープゴートにされたりして、歴史のはざまで不幸な事件が起きてしまう。例えばジャンヌ・ダルクのように「魔女」とされ、焼き殺されてしまったりするわけです。

ひどい話ですね。

角野
本当は悪い存在じゃないのにね。グリム童話に登場する魔女は森の中に住んでいるおばあさんで、自然の中でその力を大事にしています。春になれば必ず芽吹く木の力を大切にして、その力を体に入れ、家族を守ろうとする。

そうした人たちは「魔女」というより、「シャーマン(巫女)」と呼んだほうがしっくりくる気がします。

角野
「魔女」は古くから日本にあった言葉ではないです。江戸末期から明治時代にかけて、外国語を日本語に訳した人たちが「魔女」という言葉を当てはめました。ドイツ語だと「ヘクス(hexe)」と言って、「垣根(hag)」と「女(zussa)」の合成語に由来するといわれています。だから「魔女」という日本語でひとくくりにするのはおかしいでしょうね。

「垣根の女」とはどういう意味なのでしょうか。

角野
「魔女」というのは垣根の上に座り、見える世界と見えない世界を同時に見ていた人だと言われています。二つの世界をつなげていたわけです。だからドイツでは、ほうきを逆さまにして焚き火の上をばーんと飛ぶお祭りがあります。春の兆しがある季節、冬から春に移るその橋渡しを魔女が担うのです。

昔の町には城壁があって、夜は真っ暗で城壁の外にはオオカミなどがいました。あかりがあるのは城内のこちらだけ。あちらは真っ暗闇。その城壁の上に魔女はいました。でも、暗闇の力というものは、同時に春の実りをもたらすものも持っている。それをないがしろにして、城内のこちらばかり見ていると、人間の暮らしが危うくなるんだという思いを魔女は持っていたわけです。つまり、見えない世界とその力を信じるまなざしを持っていたのが魔女なのです。

昔の人はみんな、見えない世界の力というものを大事にしていました。でも、今の世の中は、見える世界ばっかりなんですよ。数値で表して、すぐグラフにして。そして「去年より上がった」とか「下がった」とか言うわけです。

『魔女の宅急便』第1巻に、昔の魔女が使えた魔法が今では消えていっているという話が出てきますね。キキのお母さんのコキリさんはその理由を「ほんとうにまっくらな夜と、まったく音のないしずけさがなくなったせいだっていう人がいるのよ」と説明します。魔法が消えていっているのは、見えない世界をみんなが見ようとしなくなったから…。

角野
そうです。以前、鎌倉文学館で子どもたちにクリスマスについて話をしたんです。「クリスマスツリーによく似たものが日本にもあるけれど、なんだと思う?」と聞いたら、小さい子が「門松」と答えました。その通り、クリスマスツリーにも門松にも「災いを払って豊かな実りを願う」という同じ気持ちが込められています。何千キロ離れていても、PCがない時代でも、同じ願いが同じ形を生んでいくのです。

今お話を聞いていて、角野さんは魔女みたいだなと思いました。物語を書くことは、見える世界と見えない世界の両方をつなぐことなんですね。

角野
もちろん、そうですよ。コキリさんの言う暗闇の存在を大切にする気持ちとは、やはり想像力です。そこに豊かな世界というものがある。物語を書くということも、そういうことです。

豊かな世界を手に入れるには、想像力が必要である、と…。

角野
私はいつも言うのだけれど、「想像力」と「好奇心」は両輪です。それから、もう一つ欲を言えば「冒険心」ね。でも、今は好奇心を持とうと思っても、みんなあらかじめ与えられてしまっている時代です。選ぶことはできるかもしれないけれど、自分で捕まえるような世の中じゃない。きっと想像力は貧しくなっていると思います。

でも、何もないところから何かを作り出す力は、人間が本来が持っていたものなんですよ。「水を飲みたい」と思ったら、「器が欲しい」と思う。手ですくって飲もうか、葉っぱで飲もうか、でも病気の子どもに水を持って行きたいから、もっとちゃんとした器が欲しい。「おいしく飲みたい」と思ったら、クリスタルガラスにまで発展していくわけです。願いこそが想像力。それが、さっきお話しした「魔法は一つ。そして誰でも持っている」ということです。
プロフィール

角野 栄子(かどの・えいこ)

東京・深川生まれ。1957年早稲田大学教育学部卒業。1959年から2年間ブラジルに滞在。1970年、その体験をもとに描いたノンフィクション『ルイジンニョ少年』(ポプラ社)でデビュー。1985年、代表作『魔女の宅急便』(福音館書店)を刊行、野間児童文芸賞、小学館文学賞、IBBYオナーリスト文学賞受賞。国内でアニメ映画化・舞台化・実写映画化され、2016年末にはロンドンで舞台化された。『小さなおばけ』シリーズほか著作多数。2000年に紫綬褒章、2014年に旭日小綬章受賞。2018年には「児童文学のノーベル賞」と呼ばれる国際アンデルセン賞・作家賞を受賞。

取材・文:猪谷 千香

東京都生まれ。明治大学大学院文学研究科博士前期課程考古学専修修了。新聞記者、ニコニコ動画のニュース編集者を経て、2013年にはハフポスト日本版の創設に関わり、国内唯一のレポーターとして活動。2017年からは弁護士ドットコムニュース記者。著書に『日々、きものに割烹着』(筑摩書房)、『つながる図書館』(ちくま新書)、『町の未来をこの手でつくる』(幻冬舎)、共著に『ナウシカの飛行具、作ってみた』(幻冬舎)。2019年2月、『その情報はどこから?』(ちくまプリマー新書)を上梓。
撮影:加藤 甫
編集:松本 香織
デザイン:中屋 辰平、PRMO
取材・撮影協力:Garage Bluebell(https://garagebluebell.jimdo.com/
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