私は、授業で意図的に答えのない質問をすることがある。ディスカッションのきっかけになるような、個々の多様な意見を引き出すための質問である。時々学生から「先生は何を求めているんですか。」「何と答えればいいですか。」と聞かれることがあるが、私の方では特に一つの「正解」を求めているわけではない。授業で取り扱う作品と真剣に向き合って、根拠を持って述べる意見であれば良いのである。自分なりの解釈をする力と、それを説得力を持って他者に伝える力を身につけてもらいたいからだ。
考えてみると、日本の高校までの学習は、先生の講義を聞いたりテキストを読んだりして「正しい」知識を吸収し、試験問題に「正解」するための訓練をするという性質が強いのかもしれない。しかし、大学はそうではない。私も、高校までで「正しい」日本史を学んだつもりだったのに、大学の日本史の授業で「高校で習ったことは忘れてください」のようなことを言われ、愕然(がくぜん)とした覚えがある。高校までの私は、日本史は無批判に存在するものだと思っていたが、大学で、それが多くの史料から人間の解釈を経て組み立てられたものだと気づき、自ら多くの資料や原典を読んで、自分で真実に近づこうとする姿勢の大切さを学んだ。
大学は、色々な価値観や考え方の人と出会い、自分の意見を自由に述べることができる貴重な場である。誰かから与えられる「正解」を求めるのではなく、積極的に自分で考える力を身につけてほしいと思う。
(T)
第1039回