「沼にはまる」という表現を目にする。ネット用語で「夢中になって抜け出せない」状況を指す。私は今、万年筆のインク沼にはまっている。一度「インク沼」でググって見てほしい。こんなに多くの人が底なし沼にはまって喘(あえ)いでいる。
手紙というコミュニケーションツールが過去のものとなり、SNSやメールがその主流となっている。そこに「打つ」行為はあるが「書く」行為がなくなりつつある。テストや役所に出す書類は書かなくてはならないので、シャープペンシルやボールペンはしばらく健在だろうが、万年筆は数年前までは文筆家や一部の愛好家だけが使う、化石化しそうな筆記具であった。それがここ数年で復権をし、しかも沼扱いされるほど多種多様な万年筆とインクが出回っている。一度、伊東屋や丸善など大きな文房具屋さんの万年筆コーナーにお立ち寄りになるとよい。色が驚くほど豊富であり、さらに自分のオリジナルカラーを作ることができる。
インスタ映えを狙った写真や流行のスイーツなどの沼にはまることはわかりやすいが、古く高価、不便で手間のかかる道具である万年筆にいまさら人気が集まることは多少解せない。でも、ふと思うのである、「人間は、ある方向に進み過ぎたとき、その対極にあったものの価値を再認識するのではないか?」と。国際化が進んで、母国の良さを再認識したという話をよく耳にする。自然環境が失われて初めて、種の多様性の重要性を再認識するがそのときはもう遅い。
「多様な価値を再認識すること」、私たちは、行き過ぎる前にそのことに気づきたいものである。
(H.T.)
第1037回