Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

佐賀と早稲田-創立記念コラム

天野為之たちが学んだ耐恒寮の跡地、唐津城の麓に建つ早稲田佐賀中学・高校。校内には大隈重信像もある(佐賀県唐津市)

早稲田大学の創設者・大隈重信が佐賀藩の出身であることは皆さんご存知でしょう。幕末期の佐賀藩は日本で最も早く本格的に西洋の科学技術を取り入れたことで有名でした。日本初の実用蒸気船を作ったのも佐賀藩ですし、ペリー来航後に幕府がお台場に設置した大砲も、当時国内で唯一鉄製大砲を作ることができた佐賀藩に命じて作らせたものでした。

佐賀藩が幕府や他藩に先駆けて西洋の科学技術を取り入れることに成功した背景には、その教育力があります。藩校弘道館の拡大・充実、蘭学寮の設置、英学塾致遠館の開設など教育改革に力を入れていました。そこで学んだ大隈をはじめとする多くの若者たちが佐賀藩の近代化、さらには日本の近代化に大きな役割を果たすことになります。大隈が本学の創設をはじめ多くの教育事業に関与し続けた原点はここにあります。

天野為之(早稲田大学大学史資料センター所蔵)

本学が2010年に佐賀県に早稲田佐賀中学・高校を開設したのは、あらためてこの原点を確認する意味もありました。

実は早稲田佐賀中学・高校がある佐賀県唐津市は、江戸時代は佐賀藩の一部ではなく別の藩-唐津藩の城下町でした。唐津藩もまた教育に大いに力を入れていました。明治維新後に開設された耐恒寮はその一つです。耐恒寮では英語教育を行い、若き日の高橋是清が教壇に立っていました。高橋に教えを受けた学生たちは様々な方面で活躍しました。その中の一人が東京専門学校や早稲田実業学校の創設に重要な役割を果たし、早稲田大学第二代学長を務め、また早稲田実業学校では30年以上に亘り校長を務めた天野為之です。早稲田佐賀中学・高校は天野たちが学んだ耐恒寮の跡地に建っています。

本学と佐賀県は単に創設者大隈重信の出身地であるということにとどまらず、様々な形でつながっていることがわかります。

早稲田大学理事(学生、附属・系属校担当) 村上 公一

【プロフィール】むらかみ・きみかず。名古屋大学助手、福井大学助教授、早稲田大学助教授を経て、2002年より早稲田大学教授(教育・総合科学学術院)。教育・総合科学学術院長、教育学部長などを歴任し、2014年より理事(学生、附属・系属校担当)。2017年より大隈記念早稲田佐賀学園理事長、2018年より早稲田大学系属早稲田実業学校校長。

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