Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

なぜ「電子辞書よりも紙の辞書」なのか?

大学に入って初めて学ぶ外国語の授業で、私は常に新入生に対して、「電子辞書よりも、紙の辞書」を使うことを、強く推奨している。

紙の辞書は、なるほど不便だ。探している単語にたどり着くまでに、薄っぺらい紙の束でできた重たい冊子を何度もめくり直して、行きつ戻りつしながら、目的の単語を探し回る羽目になる。電子辞書ならば、キーボードをいくつか叩くだけで、予測される候補が表示されるが、紙の辞書にはそんな便利なサポート機能はない。あくまでも自分の目と、指先の感覚だけを頼りに、辞書という膨大な単語の森の中から、目的の一枝を探し出さなければならない。これを無駄というなら、実に大変な無駄ではあるだろう。

けれども、その一見無駄な努力こそが、むしろ初学者にとっては未知の言語を知るための、重要な経験となる。ちょうど、目指す一冊の本を求めて、図書館の書架の森にさまよいこんでしまった人のように。辞書という膨大な単語の森の中で、あなたの目は未知の単語の一覧の中をさまよい、あなたの頭は、機械的な文字の羅列の中から意味あるつながりを見いだそうと集中し、フル回転していることだろう。あなたの手は、やがてあなたの血肉となるだろう語彙(ごい)の殿堂たる辞書のどのあたりに、あなたが新たに知る単語があるのか、その位置情報を身体的に記憶させているかもしれない。

電子辞書のみを使って外国語を学習することは、いわば、図書館や書店の書架を見ることなく、ネット通販でしか本を買わない人にたとえられる。無駄を惜しみ、目的の情報のみをピンポイントで取り出してもらおうとする人は、その情報が、どのような関連の中に置かれているのかを知ることなく、自分の関心だけに集中している。反対に、知識を求めて図書館の書架の森の中にさまよいこむ人には、関連する分野の、目眩(めまい)がしそうなほどの知識の蓄積がずらりと並んで目に入ってしまうことだろう。それらはいずれも、あなたが求めていたのではない本たちだ。けれどもあなたは、それらのあなたが求めていたのではない本たちに中に、あなたがもっとも必要としていた知識を、偶然に見いだすかもしれない。知識との「出会い」は、往々にして、そのように訪れるものではないだろうか。

情報機器による検索機能の利便性は、私たちが新たな知識と出会う、その出会いのプロセスの重要な経験を、損なってはいないだろうか。

(H.K)

第1029回

 

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