ソウルフルなブルースを歌い続けるロイ・ロバーツ(左/2016年、AFP PHOTO / GUILLAUME SOUVANT)とボビー・ラッシュ(右/2012年、RICK DIAMOND / Getty Images / AFP)
文学学術院教授 鈴木 雅雄(すずき・まさお)
20代まではロックのリスナーだったので、若いころからの趣味ではないんですが、ある時期から突然ブルースを聴くようになりました。ブルース・ロックは通過してないし(実はクラプトンが苦手)、ブルースを巧みに消化した90年代のロック(ジョン・スペンサーとかG・ラヴ)はまだ出てきてなくて、おそらくライ・クーダーあたりが入り口だったはず。一聴するとジャズっぽいT-ボーン・ウォーカーとか、スクラッチ・ノイズ(※)がバリバリの戦前ものなんかは、入っていくのに多少は苦労しましたが。
ブルースはロックのルーツといわれるけれど、私の耳には全然違う感触があって、むしろそこが重要でした。では何が違ったか。いろいろ理屈はつけられるけれど、結局は「声」の問題なんでしょう。吐き捨てるような歌(例えばトミー・マクレナン)からどこまでも淡々とした歌(リル・サン・ジャクソンとか)まで、とにかく自分が歌える唯一の歌を歌っていて、でもあくまで人に聴かせてお金を稼ぐための音楽であり、かといって演出ではない感情がほとばしっているとしか思えない、結局どうなってるんだろうというような歌。たとえ自分が歌がうまくても絶対に歌えない歌。いつのまにかそれがないと生活に支障が出るまでになったわけです。
その後ゴスペルやソウル、今のR&Bまで手を広げ、CDが2万枚を超えたころには、ブラック・ミュージックと呼ばれる領域の全体像もおぼろげながら見えてきましたが、「声」との出会いこそが核心だという気持ちはさらに強まりました。特にソウルの世界には、近ごろ亡くなった「女王」アレサ・フランクリンを筆頭に、壮絶な声の持ち主は数えきれないほどいるわけですけど、ナマで聞いたなかですごかったといえば、やはりJ・ブラックフットでしょうね。PA(音響)のバランスの悪さなど意に介さない、空気を切り裂くように届いてしまう声というのがあるのです。
でもそうして何百という決定的な声に出会っても、一番は誰かと聞かれれば、迷うことなくエルモア・ジェームスと答えます。他の歌い手と比較して優れているというのではなくて、聴こえはじめた瞬間に他の全てが押し流されてしまうという感じ。自慢できるような人生を生きてきたわけではないけれど、エルモアに出会ったのだから、生まれてこないよりは生まれてきた方がよかったのでしょう。ブルースについて何らかの研究と呼べそうなものを書いてみたいというのが、最後の夢であり続けるかもしれません。
※録音時やレコードを再生した時などに混じる雑音