米国の大学で長年教鞭をとった後早稲田に赴任して来た。日本屈指の大学としての風格を感じるが、日本の大学教育の国際化が正念場らしい。
教育の国際化=英語コミュニケーション力向上という図式は単純過ぎるであろうが、アジア諸国から来た学生が少々文法的に間違っていようがアクセントがあろうが外国語を使って自らの人生のゴールを追い求める姿勢には清々しさを感じる。日本では英語が上達すれば「ペラペラ」になるというイメージが一般的であるが、アジア諸国から来た学生にとっての外国語はそのように表層的で軽いものではない。むしろそれとは全く逆のベクトルを持っているように思われる。そしてそれは彼らが来た社会の生命力を反映しているようにも思われる。
英語に代表される外国語によるコミュニケーション力の向上は教育の国際化にとって確かに重要であろうが、多様性つまりdiversityへのコミットメントはさらに重要なことのように思われる。そこには価値観・世界観が異なる個々人がフェアに幸福を追求できる社会を希求する姿勢、そして寛容性や日常のコミュニケーションにおけるマナーも含まれているように思う。
こんなことを声高く叫ばずとも、留学や海外滞在に向かう若者達はそれを身体で学んで来るのであろうが、日本の大学にとっての本当の正念場は内外の多様な価値観・世界観やアイデアの流れにコネクトした生命力のある学びとコミュニケーションをいかに日常化できるか、ということにあるような気がする。まずは授業で学生諸君とこのことについて白熱トークしてみたい。
(N.I.)
第1021回