Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

「ふるさと」としての早稲田

「心のふるさと われらが母校」とは、日本一有名なわが校歌の一節である。早稲田を卒業しても、常に心は早稲田にあるということであるが、それでは、「ふるさと」としての早稲田の「ふるさと」は何だろうか。この問いの答えは、卒業生一人一人異なるであろうが、私の思うところの「早稲田のふるさと」を考えてみたい。

坂口安吾は、「文学のふるさと」という小論で次のように言った。「そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないこと、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる―私はそうも思います。」と。この言葉には「人間のふるさと」についての深い洞察があるように思われる。そこには、人間の弱さや限界を前提として、非合理的な人間の存在に対する無限のいとおしさを抱いている安吾の姿が目に浮かぶようである。私は、これこそが「非合理的人間主義」であると思う。

東京大学は官僚的合理主義、慶應義塾大学は経済的合理主義であり、これらに対して、早稲田大学は非合理的人間主義である。昨今の早大生には、この「非合理的人間主義」がほとんど貫徹されていないことが問題であろう。

早大生の存在意義を原点に立ち返って考えるべき時が来たように思われる。

(TN)

第1015回

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