政治経済学術院教授
谷藤 悦史(たにふじ・えつし)
昭和40年代、多くの学生にとってスポーツは身近であった。卒業に必要な単位数は多く、その中には体育の単位も含まれていた。体育祭への参加は、単位の取得のために必須であった。旧記念会堂の裏で行われたソフトボールの授業は楽しかったし、三段跳び金メダリスト織田幹雄先生の講義もオリンピックの経験が満ち溢(あふ)れ興味が尽きなかった。
現在の国際会議場の地に安部球場、リーガロイヤルホテルの所に庭球場(※)があり、キャンパスにも時折球を打つ音が響いていた。講義の合間に球場に入り込み、野球部の練習をのぞき込んでいたから、活躍する選手たちに親近感を持つこともできた。野球の早慶戦、ラグビーの早明戦などを筆頭に、学生スポーツを存分に楽しむことができるキャンパスライフであった。
北国の生まれで、小さいころからスキーとともに過ごした。スラロームが中心で、富良野(当時は「北の峯」)やその周辺のスキー場で過ごす日々を送ったが、ニセコ、函館近くの仁山など、北海道のほとんどのスキー場を巡った。指導者に恵まれいくつかの競技会に参加したが、周りの選手は技術も体力もはるかに優れ、一向に上位の成績とはならなかった。スキーは高校のころからもっぱら余暇の楽しみとなり、大学時代になっても続いた。冬になるとそわそわしだして、蔵王などに繰り出した。80年代から90年代に、スキーはブームとなり、教員になってからも、ゼミの学生を連れて深夜バスで蔵王に出掛けた。
教員の間でもスポーツ活動が盛んで、教員になりたての頃は、政治経済学部のソフトボール・チーム「政経キングス」に加わった。秋になると、東伏見や所沢のキャンパスで職場対抗戦に興じた。「政経キングス」が最盛期のころで、優勝とはならなかったが、かなりの成績を収めたのであった。そのせいで「技能賞」を頂き、いまでもそのトロフィーが研究室を飾っている。
散歩や軽いランニングをするだけの齢(よわい)になり、スポーツに参加することから、スポーツを観賞するだけになっている。若いころ興じたスキーやテニスからは遠ざかり、時に球場やコートに向かうが、以前より少なくなってしまった。しかし、野球、ラグビー、駅伝など、早稲田が出場するとなると、思わずテレビに向かってしまう。早稲田学生スポーツが作ってくれた昔の経験からか、スポーツの魅力から逃れられないのである。
(※)編集室注 三神記念テニスコート