Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

ドラマティーチャー石井路子 岸田戯曲賞受賞作を作り上げた高校生の育て方

2013年1月に、福島県立いわき総合高校の校庭でたった2回だけ上演された同校総合学科第10期生アトリエ公演『ブルーシート』。大きな反響を呼び、「演劇界の芥川賞」といわれる岸田國士戯曲賞を受賞したその作品は、演出家・劇作家の飴屋法水氏と高校生の共同作業で作り上げられたものでした。その高校生を指導したのが“ドラマティーチャー”石井路子さん(現・追手門学院高校教諭)です。7月5日、「早稲田小劇場どらま館 2017春の講演会 演劇教育のすすめ ドラマティーチャー石井路子の場合」が早稲田小劇場どらま館にて開催されました。この講演会の模様をダイジェストでお届けします。聞き手は、水谷八也文学学術院教授です。

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石井路子(いしい・みちこ)ドラマティーチャー。福島県立いわき総合高等学校教諭として高校生とプロの演劇人の協働を通じ、飴屋法水作『ブルーシート』(第58回岸田國士戯曲賞受賞)など多数の作品を世に送り出した。2014年度より大阪府追手門学院高等学校表現コミュニケーションコース教諭。著書に『高校生が生きやすくなるための演劇教育』(立東舎)。

「演劇教育」とは

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水谷八也文学学術院教授(以下、水谷) いわき総合高校で作品を作ったのは、前田司郎さん、藤田貴大さんなど第一線の劇作家たち。高校生たちは全く違う演出家に対応できている。その演劇の基礎的な部分を作っているのが石井路子先生の教育です。まず、「ドラマティーチャー」とはどんな職業ですか?

石井路子さん(以下、石井) 私は演劇に関する技術を教えているわけではなく、演劇を媒介として、自分自身を知ったり、どのように他者と向き合わせるかについて教えています。公演にたどり着く前のところ。発表は前提としていません。

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水谷八也(みずたに・はちや)文学学術院教授

水谷 日本の演劇教育はいつごろ始まったんですか?

石井 演劇教育は昔からあります。一番盛んだったのは戦後、終戦を迎えてアメリカが日本に「経験主義」を持ってきました。それまでの全体主義的な教育ではなく、民主主義を進める中で、一人一人の経験を大事にして学びを与えていきましょうと取り入れられたのが演劇教育です。その分かりやすい形が学芸会。1950~60年代まで盛んでしたが、教育が知識中心になって廃れていきました。

水谷 民主主義と演劇教育の関連は興味深いです。石井先生の考える一般の教育と演劇教育との違いは?

石井 私の教育では、まず静かにしなさいと言いません。日本の教育は静かに話を聞くのが基本で、生徒もそれに慣れきっていて受け身の姿勢です。意見を言うことが苦手なので、とにかく話してくださいと言います。

水谷 言葉よりも身体を先行させるのも特徴的ですね。

石井 自分のことを知ることの第一段階として、体を動かします。まずは楽しく筋トレを。また、背中をばしばしたたいたり、足の甲をぐりぐり押したりして、痛いということを実感させるなどもします。そうすると体の輪郭がはっきりする。今の文化的な生活の中では痛みを感じることはないですが、痛いということを知らないと、体を使えないです。なので、痛みに慣れることをします。

空間全体を意識することの重要性

DSCF9151(石井さんが追手門学院高校で行っている演劇ワークショップのビデオを見ながら)

水谷 「聞く」という行為を体全体、皮膚感覚で行っている。普段使っていないところで何かを感じるんですね。

石井 (ビデオ内の)これ(複数人で輪になって拍手を回していくワーク)は、「全体」を意識するためのワークショップです。人間ってすごくて、何にもしていないようで、常に同時進行に5個くらいのことをやっているんですね。空気を意識したり、音を聞いていたり…。現代のリアリズム演劇だと、俳優はその状態を再現する。このワークは、そのことにつながっています。同時にいろんなことをやるというのは、特殊な技術がある俳優ではなくても普通にみんなができること。でも、それを意識している人はあまりいない。無意識だから、例えば舞台に上がった時には緊張してできなくなってしまう。同時展開を意識的に行うことでリアリティーが増すので、そのための訓練です。

体も意見も感じ方も、みんな違って当たり前だと知ること

水谷 石井先生の授業だと、生徒たちは本当に自由に自分の意見を言いますよね。

石井 最初は、みんな「これが正解ですか…?」みたいな感じでした。だから、「あなたが感じたことが正解です」ということをだいぶ言いましたね。筋トレをしているときから「人の体は千差万別で、同じことができなくて当たり前だから」と言っていたんですが、考えたり感じたりすることも違って当たり前なんです。同時に、他の人の話から気付くこともあるから話は聞くように、とも伝えていて、次第に自由に発言するようになりました。

水谷 違いの認識がベースにあるから、こういう面白さが成り立っているんですね。今、世の中では「個人」という言葉がマイナスに使われている。例えば、自民党の憲法改正草案の中には「個人」という言葉が出てこない。違いがあることを大前提としている石井先生の演劇教育は、民主主義のための基礎教育でもあるように思います。

石井 井上ひさしさんか別役実さんだったかはっきり覚えていませんが、「サーカスと芝居は余り物がない」とおっしゃっていましたが、その通りだと思います。演劇は、技術がなくても誰でもできる。もちろん技術があったら素晴らしい。でも、その人にしか出せないものが必ずあります。それぞれの場所があるということですね。

水谷 ご著書『高校生が生きやすくなるための演劇教育』(立東舎)では、体育の授業について「体育の授業は競技の技術を測るものが主で、誰もが持っている自分の身体と向き合わせるものはほとんどないのが現状。公共教育では身体との向き合い方を教えるべきではありませんか」(P.53)と書かれています。多様性のある体、自分の身体を肯定するような物の見方は、体育の授業では教えていないですね。

義務教育のリズムダンスは本来の舞踊教育ではない

DSCF9124石井 先日、「コンタクト・インプロヴィゼーション(※)」をしている海外のダンサーの方が追手門学院で3日間ワークショップを行って、高校生と大学生が参加したんだけど、高校生たちは本当に自由に「わ~!」って動くんです。一方で大学生たちはダンスの経験があるから、みんな“言語”が自分が習っているダンスしかない。そのうちネタが切れて、「誰か私に(ダンスの)振りをください!」と思ったらしいです。舞踊教育って、本来は自由に動くこと、空間に身体を預けてみましょうとか人と触れ合ってみましょうとか、だったらどういうふうに身体を動かせるのかという可能性を広げることなんですが、リズムダンスを教わっちゃうとその型しか分からない。今、義務教育にリズムダンスが組み込まれていますが、どうなのかなと思います。

※コンタクト・インプロヴィゼーション…複数人で体を触れ合わせ、相手の重さや動きを感じ取りながら、即興で踊っていくダンス。1970年代初期にアメリカで生まれ、コンテンポラリー・ダンスに大きな影響を与えた。

石井 人に触れられた所を押し返すというワークをしたら、「普段体を人に触られることがないから緊張した」という人がいたり、参加者みんな興奮しちゃってなかなか家に帰らなかったり。ああ、これは大変だなと思いました。人と肌が触れ合って体が元気になるのって本当にあるんですよ。細胞レベルで何かが変わる。細胞が開いていくと感覚が開いていく。こういうことが教育に取り入れられるように、草の根運動をしていかなければなりませんね。

水谷 今、日本の政治は本当に不安定で、憲法を改正したい人たちは、教育勅語を復活させようとしていたり、明らかに民主主義的な個人を嫌悪している。そういう実例をもって草の根運動をしていくことは大切ですね。

3.11後の福島で作った演劇『ブルーシート』について

水谷 いわき総合高校で飴屋(法水)さんとやった『ブルーシート』には、東日本大震災後の複雑な状況が正直に出ていると思いました。

石井 福島は他県とは状況が違うんですよね。仙台の人が「あのときは悲しさだけじゃなかった。笑いがあった」と言っていましたが、私たちには笑いはなかった。悲壮だったし、とにかく怒っていました。それで、この頭にきたことを芝居にしようって。震災だからとかじゃなく、私はずっとそのやり方で芝居を作ってきたんです。

水谷 他県とは決定的に違う、放射能という目に見えない恐怖。『ブルーシート』は強烈でした。また、飴屋さんの前で動じず、生の自分を投げ出せる高校生がすごいと思いました。(演劇を通じて)自分自身の身体を認めるということは、身体がある現実を受け入れるということ。そのリアリティーが、今の日本のさまざまな問題を考える基盤になるべきだと思います。現実を見ないようにする装置がいっぱいある中で、もっともっとこういう教育が広まっていけばいいと思います。

石井 「共有できないことがあっても、みんなで一緒に生きていこう」ということをどうにかして伝えたい。それができるのは、アート・芸術だと思っています。自分たちが表現をすることで社会を変えていけるんだと高校生たちに伝えています。

 演劇は、生きる上での基本動作とつながっている―石井路子さんのお話を聞いて

早稲田ウィークリーレポーター(SJC学生スタッフ)
政治経済学部 4年 當銘 啓太(とうめ・けいた)

DSC_020311ドラマティーチャーである石井路子先生の、演劇を通した教育についてのお話でした。1950年~60年代に勢いをなくした「経験主義」に基づく教育ということで、実際に映像で見た石井先生の授業は、演劇の技術を教える「稽古」のような内容ではなく、演劇を通して生徒が「自分や人との関わり方」を学ぶような内容でした。教科書では学べないそうした力を、演劇の実践の中で身に付ける授業は非常に魅力的でした。

石井先生の授業を見てまず印象に残ったのは、まぶしいほどに生き生きと意見交換をする高校生たちの様子です。「最近の大学生は自分から意見を言わない。授業で話を振っても誰も手を挙げない」という水谷八也先生の話は非常に耳が痛かったですし、それがいかに不健全なことであるか、あらためて考えせられました。

ゲーム世代の子供たちは体を動かさなくなり、自分の体について知らないという話も出ました。それを聞いて私も、自分にできる動き・できない動きや体力などについて、しっかりと把握していないことに気が付きました。

体育の授業についてのお話も興味深かったです。体育教師は昔から運動の出来る人たちで、授業の内容も競技の技術ばかり。もっと子供たちが自分の体について知って、「体」を「育」てる教育が必要だという話は、当たり前のように体育の授業=スポーツだと思ってきた私にとって目からうろこでした。

何よりも驚いたのは、そのような状況にある今の子供たちにとって必要な教育のヒントが、「演劇」に隠されていたということです。今まで演劇をそのように捉えたことはなかったので、視野が広がりました。自分の存在を知り、体を動かし、他人を理解し、声を届ける。演劇は、生きる上での基本動作の練習とも言えるのかもしれません。

先生のこのような教育活動の根本にあるのは、「日本を良くする」ことへの思いだと感じました。より多くの人が、自分やお互いのことを知り、思ったことを気兼ねなく言い合える社会。それは上質な民主主義への道に他なりません。今は「草の根運動」だという風におっしゃっていましたが、こうした活動が広がり、日本の教育や社会が、より素敵なものになっていくことを願わずにはいられません。DSCF9271

撮影:商学部 5年 笹津 敏暉

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