中学生の頃の保健体育科にいわゆる暴力教師がいた。昔は暴走族メンバー、との触れ込みで、われわれ生徒達は震え上がっていた。怒鳴られるのは日常茶飯事、時に拳骨で頭を強く叩かれた。部活動中に水を飲むことは厳禁、などは当時他校でもあったと思うが、運動能力に応じたあからさまな差別など、当時の学校の生徒の規律指導方針が少々行き過ぎていた気がする。運動は好きだが体育は嫌い、と思っていたのは体育授業で落ちこぼれに等しかった私のみではなかろう。
「体育」のイメージががらりと変わったのが高校だった。体内への吸収を高める水分の塩分濃度と運動中摂取の効果、という保健の講義は目からウロコであった。頭で理解してから身体を使う、良いところ、悪いところを自分自身で考える体育授業など、「体育」をいろいろな側面から学ぶことができた。これらの教育の良さを実感できたのは中学校での経験のおかげか、それとも単に中学校と高等学校の違いか。この高校には保健体育に加えて生物にも名物教員がいて(その後大学教授になられた)、独特の生物実験・講義が毎週展開されていた。運動部ではなく生物研究会に入っていたのはその先生に憧れたからである。考えてみると、中学から高校にかけての経験が大学での進路選択につながった。大学在学中も相当な名物教授のもとで様々な経験をすることになるのだが、それはまた別の機会に。大学教員として、落ちこぼれから学問の面白さの発見に至る自分の経験を活かして学生の興味とやる気を育みたいと思っている。
(Y.K.)
第996回