「高校時代の親友がすでに働いているのに対して、自分は大学で学んでいることに罪悪感を感じているんだよな。それはわかる。でも、そう感じること自体が自分のやるべきことに必死で取り組んでいないことを示しているのではないか。そんな君の学費を父親が払っていることへの引け目もあるんだろうな。しかし、君が勉強することは、本来ならば仕事をすることと何ら変わりはないはずだ。君は父親の経営する個人会社の職員であると考えるべきだ。社長である父親が君に給料(生活費の仕送り)と必要経費(学費)を払い、君を雇っているということだ。君はそのような父親と契約して雇われているんだ。雇い主は君が大学で勉強して何かを得ることに対して給料を払っている。だから、君は職員として給料に見合うだけの努力をすべきだ。それができないならば、確かに負い目を感じるだろうし、大学を辞める方が良いだろう。しかし、それが出来るならば、仕事に就いている友人と何ら変わりはないはずだ」
これは、まだ20歳代後半だった私が、ボルネオ島に3年間滞在していたときの同僚Hさん(当時60歳代)の言葉である。Hさんは、親友から「息子が大学を辞めて働きたいと言っている」と相談され、その息子さんに会って上記のように話したという。もう30年近く前に聞いた話であるが、今でも彼の言葉の価値は変わっていないと思う。
自分のやるべきことに一所懸命に取り組んでいるかどうかが重要なのだ。時には回り道を楽しむのもよい。それも含んでの一所懸命である。
(MI)
第995回