本年度の早稲田大学体育祭が、秋晴れの11月2日に盛大に成功裏に幕を閉じた。体育祭の前身は「運動会」と称され、100年ほど前は一週間にわたり盛大に開催されていた。仮装行列を繰り出し、早稲田界隈(かいわい)を大いに賑(にぎ)わせていたという。大隈重信候は、常日頃から「学問を修めるためには、身体を大いに鍛えておく必要がある」と説いていたという。
その運動会の旗振り役は学生であった。早稲田祭(11月5・6日)も学生諸君の見事な采配で盛り上がっていた。早稲田の学生をわが子のように見守っていた大隈老侯は、目を細めてその活躍を眺めていたことだろう。
さて、戸山キャンパスで建設中の多機能型スポーツ施設「早稲田アリーナ」とその屋上広場「戸山の丘」のお披露目は2019年春、待ち遠しい限りである。そのお披露目の日に、東京オリンピック・パラリンピックで日本代表となる早稲田スポーツ関係者は、果たして何人いるのだろうか。スポーツはあくまでも「参加することに意義がある」とは思う。しかし、関係者がいるとなれば、「勝って欲しい」と念ずる心が多少とも生ずるようだ。
早稲田スポーツは、昔から学生が企画・運営などを自力で頑張っていたという。しかし、歴史を紐解(ひもと)けば、早稲田スポーツの幕開けの時代には、大隈老侯を中心として、尾崎行雄や犬養毅など早稲田大学を応援する篤志家が大枚をはたいて学生スポーツを応援していたという。今後100年の未来を担うスポーツ政策はいかなるものか、鎌田総長をはじめとする早稲田大学関係者の大英断を大いに期待したい。
(J・K)
第983回