インターネットがなく、横浜からヨーロッパまで船で何カ月もかかり、外国語が「外」の世界から来た、文字通り「外」のものであった時代がありました。時は去り、今ではニューヨークとブリュッセルにいる友人へ同時に電話したり、東京からロンドンへ24時間以内に行ったり、多言語ニュースを無料で見たり、いつも行くコンビニで世界中から来た交換留学生や観光客と出会ったりできます。
かつて「外」の世界にあったものは、この「グローバルな世界」では私たちの一部になりました。しかし、思い違いをしてはなりません。アクセスが簡単になったとはいえ、理解が容易であることには全くならないのです。明白なのは、言語があらゆるものの中心にあることです。「グローバルな世界」を理解したいなら、彼らが言うことや考えることの真意をつかまなければなりません。
英語のような共通語もありますが、極めて流ちょうでない限り、本当の人となりは表現できません。私たちは相手の言語だけでなく、言語が内包するもの、つまり価値観、感情、表現、社会文化的な関係なども理解しなければならないのです。
新しい言語を通して、新たな概念、新たな歴史、人間社会の多様性に関する新たな視点を発見できます。すると、世界には容易に翻訳できない表現や概念があることが分かります。容易に翻訳できないのは、それらがコミュニティー特有の価値観・振る舞いであるためです。従って新しい表現や概念を学ぶことこそ、自分自身の世界を拡大して新しい行動様式や生き方を見つけ出すことにつながるのです。新しい方法を取り入れれば自分の一部にすることができますが、取り入れなかったとしても、なぜなのか理由を学ぶことができます。こうすることで、ようやく世界を理解し、自分らしくなることができるのです。
パリのカフェで数人の日本人学生がフランス人の友だちとフランス語で熱心に会話しているのを見て、私は「素晴らしいな」と思いました。私の願いは、さらに多くの日本人学生が先輩を見習って「私にもできる、したい」と考えてくれることです。世界を知り、自分らしくなりましょう。それには新しい視点や新しい言語に心を開かなければなりません。
第982回
(SD)