万年筆が好きである。筆痕に現れる濃淡の微妙な色合いや何とも言えない書き心地を供してくれるからであるが、他にもほんのちょっとした理由がある。汗とインクの混じりあった「酸っぱい」(「甘酸っぱい」のではない)青春時代を思い出させてくれるからである。
初めて自分の万年筆を得たのは中学進学の時だった。親戚から進学祝いに何が欲しいかと聞かれとっさに「万年筆」と答えてしまったのだった。当時の中学生にとってはシャープペンの方が遥(はる)かに実用的なのにそう答えたのは、大人への強い憧れと一世代前の「大人は万年筆」というイメージが相当頭にこびりついていたせいであろう。こうして万年筆と野球部所属の丸刈り頭の奇妙な中学生活が始まったのである。
徐々に馴染(なじ)んでゆく万年筆に愛着を深めつつも、扱いがあまりに乱暴なためインクを漏らすこともしばしばだった。指はもちろんノートも学生服もインクまみれになったが、こんなものだと全く気にも留めなかった。
シャープペンだと消しゴムで全てが跡形もなく消されてしまうが、万年筆では全てが残る。当初どう考えどう表現したのか、どこをどう間違えどう直したのか、正解に至るまでの過程全てが読み取れる。間違いは誰でもするもの。どんなに失敗しても気にせずとにかく前に進めと鼓舞してくれる存在が万年筆だった。今、本学のみならず若い学生たちに必要なのはまさにこの精神ではないか。
次学期期末試験の執筆条件を「万年筆に限る」とでもしてみようか。手許(てもと)の国産万年筆を見ながらそう思いを巡らせるこの頃である。
(Z)
第978回