6月初旬、日本を代表する音楽評論家で指揮者でもあったU先生が亡くなった。その訃報に接し、学生時代のある出来事を思い出した。
当時私は学内の合唱サークルに所属しており、幹事運営担当に就任した頃、U先生に指揮を依頼することとなった。高名な先生が、学生団体の依頼に応じてくれる可能性は限りなくゼロに近いとは承知していたが、当たって砕けろの精神で、私が依頼状を執筆することになった。まだeメールは無い時代だ。
ところが、待てど暮らせど返信が無い。恐る恐るご自宅に電話すると、U先生からは驚きの言葉が返ってきた。「随分前に『断り』の返事を書いて投函(とうかん)した。しかし、それが住所不備で返送されてきたのです。はて困ったと、連絡を待つうちに色々と考えることがあった。もう少し検討させて下さい」と。依頼状に同封した私の名刺に記されていたのは転居前の旧(ふる)い住所だったことに気付いた。完全に私のミスだ。
数日後、U先生からの返信を受け取った。「断りの手紙が返送されてきて、大いに当惑した。しかしそれで(無下に断れない)不思議な『縁』のようなものを感じた。指揮を引き受けたいと思う」。以後、話がトントン拍子に展開し、我々はU先生のもとで、委嘱作品を初演することが出来た。
この経験は、私の胸に「縁」の大切さを刻み込んだ。教員になった今、「ゼミを非公式に聴講させて下さい」という依頼に私が前向きに応じるのはこの時の経験が大きい。今後も、大学の同僚、授業を履修する学生、ゼミに参加する学生との「縁」や繋がりを大切にしたいと思う。勿論(もちろん)、そのためにも、アドレスは正確に伝えたい。
(TK)
第974回