社会科学総合学術院 教授
久塚 純一(ひさつか・じゅんいち)
「音楽」? 「お酒」? 「読書」? 「旅行」? どれもこれも、私にとっては「オフタイム」というほどのことではない。そもそも、私は「オフタイム」というものを持っていないか、あるいは、そもそも、「オンタイム」がないので「オフタイム」はない、ということになるが、実際はその両方である。ところが、妻に尋ねると、いつも、全て、「オフタイム」ということらしい。
今の私がリフレッシュするときは、どのようなときなのであろう。研究室で実験をしてみた。カセットテープを取り換えながら、あれこれと聞いてみた。オフタイム的な感じになっていたときに、後ろで流れていた曲は、どういうわけか、ビートルズではなく、テリー・スタッフォードの「サスピション」と、サーチャーズの「ニードルズ&ピンズ」であった。
振り返ってみれば、「勉強というオンタイムであるべきとき」に、私は何をしていたのだろう? 大切に保存している記録によれば、約50年前の1964年3月12日にビートルズを本当に好きになったらしい。
初めて「ビートルズのレコード「抱きしめたい」を買ったのが4月17日、そして、スクリーンで『これがビートルズだ』(極端に短いフィルム)を見たのが8月7日、その後、8月14日に『ビートルズがやってくる ヤァ! ヤァ! ヤァ!』を博多の映画館で見ていた。1964年3月の全米ヒットチャート1位・2位・3位はビートルズ、4位はフォーシーズンズ、5位はビーチボーイズということである。
同じころ、日本の佐賀県立佐賀西高等学校で、私たちは不良のレッテルを貼られながらも、バンド “チェインズ“を結成した。当時のメンバーの一人に、横浜の赤れんがでコンサートをするときには、現在でもサザンオールスターズのバックでキーボードを演奏しているF町栄さんがいた。
3年後には、オンタイムをくれていた「早稲田大学の先生」を離れることになるのであるから、私の「オフタイム」と「オンタイム」はさらに混とんとしそうである。先ほど紹介したF町栄さんは、数年前からウクレレ片手に高齢者施設を訪問し、ボランティアとして昭和歌謡を歌っている。私の場合、全部がオフタイムになったら、福岡県のY市で、町屋を改装して、NPO「ソーシャル・ミュージアム」兼「認知症Café」なんて想像している。そこでもオフタイムできずに、オンタイムでやっていそうだ。
リフレッシュするための私からのアドバイス。それは、「『達人技だ』と評されるくらいに、『オフタイム』と『オンタイム』の区別がなくなるくらいに磨きをかける」ということになりそうである。ただし、ほとんどの場合、これは「ダラダラしている」と見なされるので、用心してほしい。
研究を終えてパリから帰国した2010年の春、健康診断を受けた。結果はオールA。担当の先生は「フランスの暮らしが合っていたようですね」と一言。
「オンタイム」と「オフタイム」の区別がなくなっていた特別研究期間(※校務が免除され、研究に専念する期間)は、私にとってはリフレッシュの期間だったようだ。