Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

安部磯雄と早稲田大学野球部

大学史資料センター嘱託職員 高橋 央(たかはし あきら)

1382早稲田に歴史あり同志社尋常中学校の教頭であった安部磯雄は、1899年5月、東京専門学校(1902年に早稲田大学と改称)講師に着任した。以降安部は早稲田の教員として、大学部政治経済学科や専門部政治経済科で社会政策、高等予科で英語の講座などを担当した。初代政治経済学部長、理事などの大学の要職も歴任し、明治・大正期の早稲田の看板教授の一人であった。早稲田大学における安部の活躍を語るとき、欠かせないのが野球部長としての活動である。

安部は1901年の野球部発足後、初代部長となり、体育部長に専任した一時期を除き、1926年まで約四半世紀にわたり、部長として野球部の発展に尽力した。

安部は部長として、大学の教務の傍ら部員の練習を日々見守った。また1905年には野球部のアメリカ遠征を実現させるなど、部の活動の充実に心を砕いた。安部部長の時代に早慶戦が開始され(1903年)、やがて東京六大学野球連盟が成立(1925年)し、今日に至る東京六大学野球発展の基盤が築かれていく。

安部が部員の指導において一番重んじたことが、部員の精神面の修養であった。

安部は野球論「野球の三徳」の中で、「野球選手に精神修養の大切なる事を話して置いた」と述べ、要点は二つと述べる。「第一は競技中最後に至るまで同一の熱心を以て戦ふべきこと」、すなわち試合が不利であろうと最後までベストを尽くし、「ヤケ」にならぬことを説いた。さらに「第二は勝負に余り重きを置かぬこと」を説いた。安部によれば試合において大切なことは、勝敗に拘泥することではなく、平静沈着な精神に終始することであった。

卒業後は人生という名の試合に立ち向かう選手(学生)に、最善を尽くし、難局にも平常心を保ち生き抜いてほしいというのが、安部部長が野球を通して学生に伝えたいことであった。

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