大学史資料センター非常勤嘱託 高木 重治 (たかぎ しげはる)
ソニーの創業者として有名な井深 大は、早稲田大学第一高等学院、理工学部電気工学科の出身である。幼いころから機械いじりが好きだった井深は、学院時代には科学部に所属し、授業そっちのけで実験に熱中した。大学に入学後、理工学部長の山本忠興からの依頼で、明治神宮競技場に設置する巨大スピーカーを科学部の仲間と共に作成。1933年の光通信に関する卒業研究は新聞に取り上げられ、早くも世間に注目されるほどになっていた。
井深は開発者としてのイメージが強いが、開発された製品が世界中の人々に利用されて初めて意義があると考え、製品の海外への売り込みにも積極的に取り組んだ。
日本初のテープレコーダーを開発した井深は、1952年に初めて渡米。アメリカの技術を視察することと自社製品の売り込みが目的であった。「日本では新しいものを作ってみても取り上げられないかもしれないが、アメリカでは驚きを持って取り上げてくれるだろう」との期待があったのだ。この渡米では、製品の売り込みは成功しなかったが、後の大成功につながるトランジスタの足掛かりを得ることができた。
ポケッタブル、トリニトロン、ウォークマンなど世界中に広まったソニー製品の名称は、海外への販売戦略のもとに付けられた和製英語である。そもそもソニーという社名も海外で通用するように考え出されたもので、採用にあたっては外国人へのマーケティングも行われた。だが、井深は単に海外に進出すればよいとは考えなかった。「世界のソニーとして認識されるのは大変うれしいことだが、だからこそ、なお私は私を育ててくれた日本を愛し、世界を見つめなければと思う」。
井深は、自らの立脚点をしっかりと認識することの重要性を訴え、母校である早稲田大学では評議員や商議員を務め、母校の発展のため多額の寄付を行っている。
自らの立脚点を保ちながら海外へ進出していく井深は、まさに早稲田が生んだ国際人であった。