Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

新制早稲田大学の出発

大学史資料センター嘱託 星原 大輔 (ほしはら だいすけ)
被災した演劇博物館

被災した演劇博物館

早稲田大学は大空襲によって約三分の一の校舎を消失したが、終戦一カ月後には講義を再開した。しかしその後、さまざまな戦後改革が実施され、教育基本法や学校教育法が公布されるなど、教育行政・学校制度も大きく様変わりする。従来の大学、高等学校、専門学校、師範学校などはすべて統合再編され、4年制の新制大学になった。早稲田大学も「大学基準」を満たしているとして、1949(昭和24)年に新制大学の設置が認可された。

新制早稲田大学が発足するに当たっては、新しい戦後教育改革の理念が取り入れられるとともに、建学以来の独自の伝統と学風との接合が図られた。島田 孝一 (しまだ こういち) 第6代総長は新制早稲田大学開設記念式で、「新たに発足した新制大学の使命を正しく認識するとともに、(中略)創立以来七十年に垂んとする我が早稲田大学の学問の伝統を新時代に順応せしめ、更に大隈老侯の建学の精神を顕揚し得るやうに全力を尽くしたい」と述べている。例えば、1913 (大正2)年に制定された教旨は改訂が検討されたが、最終的には、新憲法にそぐわない「立憲帝国の忠良なる臣民として」の語句を削除するにとどまった。

昭和28年頃の早稲田大学の様子

昭和28年頃の早稲田大学の様子

また従来の学部・学科を再編して設置された11学部にも、こうした姿勢が反映されている。その一つが、当時私立大学唯一の「教育学部」である。1903(明治36)年に発足した高等師範部を改組し、高等教員および教育行政家の養成を目的に設置された。もう一つは、夜間学部たる「第二学部」である。終戦後の経済的・社会的混乱の中で、勤労学生に学問研究の場を与えようとする趣旨であった。勤労学生を対象とした教育活動は明治時代から重視されており、早稲田大学の姿勢は一貫したものであった。

早稲田大学ではこれ以降も、時代の要請に応じるとともに、大学教旨にある建学の精神を踏まえたさまざまな改革が実施され、現在の姿に至っている。

 

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