Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

大学予科であった高等学院

大学史資料センター非常勤嘱託 木下 恵太 (きのした けいた)
第一高等学院(現在の戸山キャンパス坂下のあたり)

第一高等学院(現在の戸山キャンパス坂下のあたり)

戦前の高等学院とはどのようなものであったか、もはやご存じの方も少ないであろう。現在の早稲田大学高等学院や本庄高等学院は戦後の新制高校であって、これから述べる旧制早稲田大学の高等学院はまったく別個の存在である。

戦前期において早稲田の角帽は青年たちの憧れであった。それでは、具体的に早稲田に入学するにはどうすればよいか。実は、現在と違って当時の早稲田大学は2つの部門から成っていた。1つが東京専門学校以来の邦語速成教育の系譜を引き継ぐ専門部(3年)・専門学校(3年)・高等師範部(4年)であり、これらは専門学校令の規制を受けていた。もう一つが外国語原書研究を中心とする専門性の高い学部(3年)であり、これは1918(大正7)年の大学令の規制を受けていた。

第二高等学院(現在の早稲田キャンパス14号館辺り)

第二高等学院(現在の早稲田キャンパス14号館辺り)

もともと大学令の制定以前は、法的には帝国大学だけが正規の大学であった。大学令では初めて私立大学を認めたが、それには当時12校しかなかった高等学校(その全卒業生が原則無試験で帝国大学に進学できた)に肩を並べる大学予科の設置が要請されていた。そこで、早稲田大学では、旧来の高等予科を高等学校令に準拠した「高等学院」に拡充し、これを学部の大学予科とすることで、法的な大学の認可を受けたのである。従って、高等学院の合格者はここで大学予備教育を受け(第一高等学院は3年、第二高等学院は2年)、その修了後は無試験で予定の各学部に進学した。その結果、戦前の早稲田の学部生は、大半が高等学院の修了生で占められることになった。

つまり、早稲田を志す当時の青年たちにとって、学部に学ぶ夢をかなえるには、高等学院の入試が関門であった。この点が、学部の入試がそのまま大学入試である現在と、様相を異にしていたのである。

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