Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

今はなきあの風景―キャンパスの変貌④ 演劇博物館

大学史資料センター 助教 檜皮  瑞樹

1954年頃の演劇博物館

演劇博物館は現在からさかのぼること84年前、1928(昭和3)年10月に設立された。しかし、私たちが目にする外観や博物館の内部は、建設当時そのままの姿ではない。

世界でも稀な古今東西の演劇を扱う独立した博物館である演劇博物館は、坪内逍遙の古稀と彼の『シェークスピア全集』翻訳の完成を記念してその建設が計画さ れた。逍遙は東京専門学校(早稲田大学の前身)創設の中心であった鷗渡会メンバーと同級生であり、創設の翌年から教壇に立った。また、1890(明治 23)年の文学科創設に際しては、その中心人物として「文学の早稲田」の礎を築いた。

1932年の早稲田キャンパス

演劇博物館の建設計画に対して大学側は当初より消極的であった。そのため、文科の校友を中心とした寄附募集が行われ、各界有志の寄附金によって、エリザベ ス朝期(16世紀イギリス)の劇場「フォーチュン座」を模した博物館が建設された。建物の竣工後、逍遙は演劇博物館と博物館費用として牛込余丁町の自宅を 大学に寄附した。開館式は10月27日に挙行され、1,000名を超える来会者を得た。

しかし、完成から17年後に演劇博物館の建物は大きなダメージを受けた。1944年から始まった東京での空襲は1945年に入ると激しさを増した。5月の 大空襲では、大隈会館や恩賜記念館の焼失など大きな損害を被ったが、演劇博物館も延焼によって屋根が焼け落ち、鉄骨をさらけ出すこととなった。しかし、収蔵資料は既に3月の大空襲後に疎開しており、建物も警手山川義孝の懸命の消火活動によって全焼をまぬがれた。 

空襲で罹災した演劇博物館

2008年の早稲田キャンパスと演劇博物館

戦後はトタンの仮屋根でしのいでいたが、1950年からの2年間にわたる大改修工事によってようやく復旧することが出来た。また、1998年にも全館にわたる改装を行っている。

創建当時から、その華麗な外観はキャンパスの中で異彩を放っていたが、現在では1990年代以後の校舎の高層化によってその景観を失っている。

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